家庭教師田口の視点(52ページ目)

目が疲れるというような方は、ぜひ、プリントアウトされてから、お読みください。無理をされませんよう)


2011年5月28日 11:48:34
 前回、かなり力の入った文章だったので、疲れた方もおられるかもしれませんね。そういう方は、きちんと、読もうとか、がんばられなくても、いいですよ。大体のことは、ご理解いただけたら、と思いますが、、。日本のために、、。

 今度は気楽に読める内容にしますね。

 次回は、松田聖子さんから、私が勝手に学んだ、メモの使い方について、ご説明いたしましょう。これは、その予告です。

 家庭教師田口の視点(13ページ目)の一番下のほうで、松田聖子さんの、「メモ魔」ぶりを読んでいただけるかと思います。もし、お読みいただけるようでしたら、事前にそこをお読みになり、聖子さんの「隠れたえらさ」をお知りになっていただければ、、。
 それを踏まえて、今我が家で実践していることをご紹介します。使い方によっては、きわめて有効な方法です。

 では、少し、お待ちください。

2011年6月1日 11:01:04
 さて、家庭教師田口の視点(13ページ目)ですか。ずいぶん前に書いたのですね。もうお読みになりました?
 松田聖子さんが、いい意味での「メモ魔」だったことを触れた、このくだりを、ずいぶん前に、お読みになった方もおられるかもしれません。それを簡単におさらいをしながら、我が家のメモによる連絡の仕方、その効果について、お話して行きますね。
 たかがメモですが、なかなか奥深いです。

 松田聖子さんが、はじめのころ「ぶりっ子」といわれ、世間から、特に女性から、さまざまな批判を受けていたことをご存知の方もおられるかもしれませんね。最も注目される人は、最も批判にさらされやすいともいえますからね。
 でも、彼女の周りのスタッフたちはだれも彼女の悪口を言うものがいなかったらしいのです。こういうのって、心強いですよね。つぶされそうになったときに、物を言うのは、なによりも「身内」の理解ですね。
 私だって、このホームページを立ち上げたばかりのころ、掲示板で、ある方から散々なことを書かれたことがあり、そのとき、このホームページを読まれているいろんな方々に応援していただいたという経験があります。とくに、突然現れた「俺」さんには、とても感謝しています。私の味方になってくださったというよりも、その方を、その方の言葉と同じきつさで、攻撃し返してくださった、という感じでしたけど、、。ほかの方々にも、その節は(といっても、ず〜っと前のことですが)お世話になりました。ありがとうございます。

 私の悪口を書かれた方にもそれなりの理屈があったのでしょう。だから、今は、その方になんとも思っていませんが、書き込まれたときは、しばらく掲示板に行くのが怖かったです。
 なかなか、こういう感覚は、味わった人でないとわからないところがあるかもしれませんね。
 ネットの怖さを、十分に知らされました。
 でも、その後は、私を批判するような書き込みは、次第になくなっていき、今は、全く見られなくなりました。
 「どんなレベルも全教科教えるだって?うそつくな」というような、疑いの目で、最初見られていたのかもしれません。立ち上がったばかりのホームページをみて、「このほらふきが」みたいなことを思われる方がおられても仕方ありませんよね。こういう「ほらふき」は、早いうちに、たたいておかなければ、とでも、思われたのでしょうか?そのあたり、詳しいことはよくわかりませんが、きっと、これに近い感情が、この方には、あったのかもしれません。
 うそをつくな、という言葉に、「うそをついていません」と応じることほど、むなしいこともない(この方の指摘は、実際は、私のホームページ上での文面ひとつひとつに対する批判でしたが、まともにお答えすれば、同じようなやりとりになっていたことでしょう)ので、私は、このホームページに見合う自分自身を作り続けるだけ、と覚悟をきめて、今までやってきました。で、あれから、私のところの掲示板の数は、ニーズにお答えしているうちに、減るどころか、増えてしまいました。
 勝海舟は、こういうときに「行蔵(こうぞう)は我に存す。、、」と言っておられたらしいですが、「私なりに信念があってやっていること。批判したければ、どうぞ、ご勝手に、、」というような意味です。私もこれに習って、淡然(これも勝海舟のこのんだ言葉です)とするしかないと覚悟を決めました。

 このホームページも、かれこれ9年間も継続できたのは、皆さんのおかげと、感謝しています。ありがとうございます。どこを開いても、読む価値があるように、また、いつか読み直しても価値が感じられるように、ということを、いつも考えて、書き続けています。
 私のホームページは、いきなり、ご興味のあるところから、入っていかれることかと、、。ぜひ、はまってください。はまる価値のあることが書かれていると信じています。はまって悪いものは、世の中にいっぱいありますが、このサイトは、はまればはまるほど、子育てを、人生を豊かにするサイトであると思っています。

 さて、聖子さんの場合は、私のような小さなサイトでのできごとと違いますから、その誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)の度合いも、おそらくは、想像を絶するものだったでしょう。ですから、身内が、しっかり聖子さんを、守ってくれた、週刊誌の口車に乗って、適当なことをいいふらさなかったというのは、聖子さんにとって、とてもありがたいことだったと思います。

 それも、このいい意味での「メモ魔」のおかげだった、つまり、すべてのスタッフからの好感をもたれたのは、このメモの活用が大きく物をいった、というのを、本で読んだことがあり、私は、なるほどと思って、今、家庭内でまねて、活用しているわけです。

 最初は、発信者が、私ばかりだった、私のところのメモ活用は、そのうち、私からの一方通行でなくなったりして、色々な副次的効果が現れてきたりします。

 どんな副次効果かと言いますと、、。
 我が家では、子どもたちは、文章が好きになり、本を読むことにも、さらには、文を書くことにも、苦労をしなくなっています。私自身が、「文雄」という名前にもかかわらず、学生のころ文が苦手だったのとは、大違いですね。
 息子の方は、いつも学校の先生から、「作文が上手だね」とほめられるそうです。
 確かに、小学生としては、かわいらしくも、きれいな文を書きます。思考の伴った文を書きます。しかも、書くのがはやいです。これは、親の欲目でもないかと、、。
 娘の方は、どうやら、作家になりたい、と思っている節が、、。

 知らないうちに、上達するというのが、一番いいですね。家庭内の、あるいは、日常生活の環境の中で、、。で、息子は自分で、「僕って、どうして、文章すらすらかけるんだろう?」と言っています。
 親が、命じて、子どもががんばるというよりも、知らないうちに、自然に、そうなるという方が、教育的効果は高いといえるでしょう。親のおかげなんて、思わない、親のおかげではなくて、親の指図ではなくて、自分で身につけた、というのが、少なくともそう思うのが、理想といえるでしょう。主人公は、子どもなのです。私たちは、「補助輪」なのです。

 ほかの子よりも、少しくらい上手というところまで、もっていってあげれば、子供は、あとは、折に触れて、ほめてあげれば、その後は、のりのりで文章を書いたりします。こういうことは、どの種の子育てでも、成り立つようなことですね。

 ところで、家庭教師田口の視点(13ページ目)のときからすると、私自身のメモ活用も、ものすごく進化しているわけです。少しずつ、少しずつ工夫を加えながら、、。
 実は、上の娘は、私のメモにそれほど抵抗を示さなかったのですが、息子は、小学低学年のときのあるとき、「文章が長い。読みたくない」と強い抵抗を示してきました。
 ここで、「じゃあ、メモは、この子には向かないんだ」ということを考えないのが、私の主義
 少し、工夫をしてみました。いわば、料理の味付けを変える、という程度のものです。同じことをやっても、工夫するかしないかで、180度くらい違う結果になるんですよね。
 私は、
 「○○(息子の名)くん、すごいね」というところから、はじめることにしたんです。
 このほんのちょっとの「味付け」が、息子をがぜん、メモに興味を抱かせるようになりました。
 「すごいね」と書いたその下には、「階段の掃除が、これこれでこういう感じで、とてもきれいだね」という類のことを書き出しました。ほめてあげたのですね。そういう感じで、長い文章をかいて渡していると、あるときから、ほかの用件で、長い文章を書いても、本人は嫌がらないようになりました。
 これまた、知らない間に、長い文章を読めるようになったわけですね。
 (「メモの話」つづく)

2011年6月9日 20:57:14
 (つづき)
 私の口癖のひとつは、「小さな違いが大違い」です。そして、ちょっとだけ進化した皆さんの日々の実践のなかで、子どもたちは、皆さんの想像していた以上の変化をあらわすことが多いというのも、皆さんのなかには、すでに経験し、気づかれた方も多いでしょう。
 そもそも、大げさなものは、親御さんも本人も疲れますよね。だから、継続性がなかったりします。ですから、普段のちょっとした工夫というのが、おそらくは、少なくとも、長期的には、一番効果が期待できるように思われます。私自身の経験からも、日々それを実感しています。
 
 この「メモ」というやつも、私が皆さんに、お伝えする「ちょっとしたコツ」のひとつです。
 大げさで、大々的なものは、短期的には、いい結果をもたらすかもしれませんが、長い目で見て、大きくものをいってくるのは、むしろ、日々のちょっとした工夫でしょう。

 私が尊敬する勝海舟という天才政治家(「天才」という言葉さえ、この人には、物足りない表現といえると思います)は、丸腰で日々生活していて、いろんな人に命をつけ狙われていながら、殺されることがなかった人なんですね。
 弟子の坂本竜馬という人が、始終拳銃を持ち歩いていて、逃げ回っていて、それでも、ときにきりつけられて大怪我を負い、最後は若くして、命をたたれてしまったというのとは、大違いです。
 これは、偶然ではありません。

 勝海舟は、政治的大局観もきわめて優れていましたが、ふだんの知恵も、ものすごいんです。
 たとえば、あるとき、すぐ近くから拳銃でねらわれて、今にも撃たれるという場面で、勝海舟は撃たれなかったのです。
 どうしてだと思いますか?
 勝海舟は、人の心の動きを、とらえて、実践でいかすのがとても上手な方だったのですね。
 このとき、勝海舟は、どうしたかというと、その拳銃の持ち主に向かって、じっと目を見て、「お前にワシが撃てるかえ」と言ったらしいのです。
 そうしたら、拳銃の持ち主は、ぶるぶる震えだして、最後は、逃げ出した、というのです。これは、漫画の世界でもなんでもなく、実際にあったことです。勝海舟という人がうそをついていなければ、、。自分に都合の悪いことでも、平気で正直に言う人ですから、こんなことでうそをつく人には思えませんが、、。

 これも、ちょっとした違いでしょ。もし、勝海舟が、拳銃が怖くなって逃げ出したら、おそらく殺されていたかもしれません。それ以降の偉業は、幻に終わっていたかもしれないんです。勝海舟はこういうエピソードをたくさん持っている人です。そのつど、判断を誤っていれば、人生が絶たれかねないという場面で、いつも、相手を「手取りにした」(海舟の言葉)らしいのです。
 頭がいい上に、肝(きも)がしっかりしています。剣の達人だったのに、丸腰だったというのが、この人らしいでしょ。

 そういえば、自分を殺しにきた、坂本竜馬をその場で、心服させ、弟子にしてしまったというエピソードも、この人らしいですね。坂本竜馬からしたら、最初に考えていた展開と180度違ったものになっってしまったわけですね。このことひとつだけでも、常人(普通の人)のなしうるわざではないですよね。
 
 もちろん、この知恵は、教育においても、大いに発揮されています。この人は、教育者としての側面ももっているのですね。政治も教育も同じ人を扱うものであるかぎり、それほど変わるものではないとでもいっているかのようです。
 私は、この勝海舟から、多くを学んで、日々の生活の中で、教育の場面で実行に移しているといえるでしょう。勝海舟の言ったことを自分なりに咀嚼(そしゃく)しつつ、、。
 
 松田聖子さんからヒントを得た、この「メモ」を、家庭でも使える形にしたというのも、勝海舟の精神からです。この海舟から、私は、物事は、工夫次第で、180度結果が違ってくるということも学びました。
 もっとも、勝海舟はこんなこと、一言も言ってませんけどね。
 彼の行動と結果が、それを、私に教えてくれたといえるでしょう。私は、勝海舟の「背中」をみて、自分のあり方を日々見つめなおしてきたといえるでしょう。その間に、たとえば、ドラッカーというような優れた思想家から得た知識などと混ぜ合わせながら、、。
 もちろん、皆さんには、ここで、小難しいことを書いて、「なんだか、難しいことをいってるな」と思われないように、極力平易な表現に努めていますが、、。
 だって、勝海舟やドラッカーらの言ったことの、そのままの翻訳調の内容をお示ししても、現代に生きる私たちには、ピンときませんもんね。ピンと来ないものを、知識のひけらかしのように、語るのは、およそ教育者のやることではないと思っています。

 さて、「メモの話」のつづきです。

 そのうち、息子は、私に簡単なコメントを書くようになりました。
 実は、メモの内容の半分以上は、仕事の依頼(「ホチキスはずして」とか「新聞切り抜いて」とか)です。おそらく、主婦である妻の方が、依頼しようと思えば、依頼できることは多いかと思いますが、実際依頼するのは、私のほうが多いかもしれません。皆さんからすると、私は、仕事柄、息子に依頼することなど、ないように思えるかもしれませんが、結構あるのですね。

 ちなみに、ホチキスのはずし方は、息子は、もう私より上手です。私に、「こういうふうについているホチキスは、こうするといいよ」、と教えてくれたりします。「なるほどねぇ」と私は、心から、感心します。
 また、私の依頼におかしなところがあると、「この紙、ホチキスついてないよ!」とか、不満を、メモでぶつけてきます。私が、「あー、ごめん、ごめん」と書くと、「いいよ」と書いてきます。
 「いいよ」には、なんとも、味がありますでしょ。私は、思わず、にこってしちゃいます。息子なりに、考えた上での言葉なのでしょう。
 メモで、読むと、なんともかわいい感じですよ。こういうやりとりは、しゃべり言葉では、味わえないものかと、、。
 この前は、娘が定期テスト前だったものですから、息子へのメモに
「○○(娘の名)ちゃんに協力して、静かに勉強してくれて、ありがとうね」
とメモを置いておいたら、
「うん」
と書いて、その隣に、「ニコニコマーク」みたいな絵を描いてくれました。
 で、
「かわいい絵だね」
とこちらが、応じたら、
「ありがとう」
と、また返してきました。
 もともと、娘の勉強のじゃまばかりしていた息子ですが、今は、とても娘に気を使ってくれっています。これは、あの有名な(?)「バナナ事件」(家庭教師田口の視点(42ページ目)ご参考に)の「メモ仕様」という感じでしょうか?
 うちの姉弟は、とても仲がいいですが、偶然でもないと感じています。

 「文字でみる言葉」というのは、すぐに消えていく「話された言葉」に比べ、インパクトがあるのですね。
 だから、忙しい、という方にとっては、忙しい中での、コミュニケーションツールとして、とてもいい知恵ですが、忙しくないという方にも、この「視覚に訴える効果」をもった、メモは、きわめて有効だといえるでしょう。
、。
 私自身、子どもたちと触れ合う機会が比較的少ない方かな、と思いますので、重宝していますが、これらの副次的効果にも驚いています。私は、妻にも、メモでお願いとかすることがあり、それを息子から伝えてもらうことがあります。メモを通じて、、。
 たとえば、「ママに、この前の○○ありがとうね、って言っておいて」とか、、。直接言うのとは、違った味があります。
 もちろん、妻に直接メモを渡すことがあり、その返事を妻に代わって息子が書いてくることもありました。
 そうしているうちに、メモが、家庭内を縦横無尽(じゅうおうむじん)に飛び交うようになったりします。
 こうして、子どもたちはしゃべり言葉を学ぶように、日常生活の中で、自然と書き言葉を学んだ、という感じでしょうか?学んだ、というよりも、「(書き言葉に)慣れた」と表現した方が適切かもしれません。息子が「どうして、文をすらすら書けるようになったんだろう?」ということには、こういう「からくり」があったのですね。
 ちなみに、中学の娘には、英語で、メモを書いています。たとえば、Say this to Mother."Please buy me juice."とかです。娘が習っていない、たとえば、関係代名詞を使ったのとか、平気で、私はメモの中に入れますが、娘は、辞書を使って、何とか、理解しているようです。そして、Sure.とか、返事をしてきます。たまに、私があわててつづり間違いをして、「辞書調べても、載ってなかった!」と怒られたりもして、、。~(@_@)~
 私は、Verry sorry!と謝ることになります(これがまたつづりまちがいしていますね。あら、、)。

 松田聖子さんは、とても忙しい方でした。もちろん、今もとても忙しいかと思いますが、、。で、忙しい合間にメモで、「このお菓子、よかったら、どうぞ」とか、ちょっとした気遣いの言葉をメモに書き留めて、スタッフの方々のために、置いていったりしていたそうなんです。
 若かったのに、えらいですよね。忙しいから、連絡が取り合えなくて当たり前、みたいなことを思わなかったのですね。しかもちょっとした気配りを、チョー忙しいスケジュールの合間にしておられたのですね。
 このあたりにも、松田聖子という人の非凡さを感じますね。歌がうまいとか、かわいいとか、そういうところばかりみると、一流の人間をとらえ間違えるかもしれません。
 一流の人間は、多くの場合、その所作(しょさ)においても、一流である場合が多いように思うのですが、、。

 私の口癖、「ちょっとの違いが大違い」は、このメモ活用にもいえるかと思うのですが、いかがでしょう?
 
 私も、例年ですと、年末のあたりに最高潮の忙しさに見舞われるのですが、で、そういうときにメモはもっとも頻繁に利用されるのですが、最近のように、まだ、比較的忙しくないというときにも、多用しています。それは、上のような効果を確認しているからです。
 もともとは、忙しいときの「苦肉の策」だったような記憶がありますが、だんだんと、いつでも使うようになってきたという感じです。工夫しつつ、効果を確認しつつ、、。

 あ、子どもたち、字もきれいですよ!
 最近は、提出物を評価対象にしてくる学校も多いですから、無視できない効果かもしれませんね。これまた、私自身が、子どものころ、字がへたで、劣等感を感じていたのと、大違いです。
 (次は、ページをかえて)



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