家庭教師田口の視点(51ページ目)

目が疲れるというような方は、ぜひ、プリントアウトされてから、お読みください。無理をされませんよう)


2011年5月25日 12:35:40
 菅さん、気の毒ですね。

 ということで、少し広い世界も見てみましょう。
 田口的視点で、今の政治状況を分析してみましょう。
 こんな小さいホームページですが、伝えるべき、メッセージがあると、最近とみに、感じはじめました。少し読みすすめていただけますでしょうか?

 これほど、勤勉で、しっかりした国民(民度が高い国民)のもとで、これほど政治がしっかりして見えないのは、なぜか?

 私は、これもずっと考えてきました。ある程度、見えてきたところがあるので、また、田口的、教育的視点を織り交ぜて、書き出して見ますね。つまり、子育てにも、教育にもつながる話です。

 皆さん、菅首相になったつもりで、お読みくださいね。あなたが、他人の心を理解する、ひいては、子どもさんの心を理解する、ヒントになるかと思います。

 私自身は、政治については、このホームページでは、意図的に書き込まずにいたのですが、今後の政治のあり方について、多少なりと皆さんのご参考になるかもしれず、少し書いたほうがいいような気もしてきたので、少しお付き合いください。読んで損したというような内容には、なっていないかと思います。

 日本のあり方について、私なりに、色々感じ、考えることがあるのですが、私は政治家ではないので、少なくとも、ここで、論じるのはどうかな、と思ったりもしたのですが、これまた、日本という国のあり方についても、書きたいことがいっぱいたまってきてしまって、、。多少なりと、ご参考になりましたら、、。
 政治には、ど素人の私ですが、人が関係する限り、田口的視点は、政治にも応用ができるかも、と考えてきました。では、、。

 菅首相の行動、発言が矢面に立っていますね。
 こういう報道を見るたびに、私は、あることを思うようになりました。
 政治をだめにしているのは、実は、私たち自身ではないのかと、、。これほどまでに、コロコロと首相がかわり、また、今回の菅首相も危機に立っているような印象を持ちますが、で、マスコミやそれに登場する評論家たちも、こぞって、時の首相に、あきれはてた、というような発言が目立ちますが。あきれ果てなければならないのは、もしかしたら、自分たち自身に対してではないかと、、。


 菅首相が、あるいは、大臣がふと漏らしたひとこと、あるいは、ちょっとした失態にマスコミが過剰に反応するというのは、この国では珍しくなく、最近では、前原さんも、大臣を辞職されましたね。私の住む京都出身の有能な政治家のひとりだと思っていましたので、民主党の支持者でもないですが、突然の失脚に、とても残念な思いをしました。国にとって、大きな損失でしょう。
 こうして、国は、政府は弱体化していくのです。そして、弱体化した政府をみて、「やはりだめだ」と言い捨てる。これが、私たちが普段接している政治状況の一側面ではないでしょうか?

 閣僚が、すぐに辞任に追い込まれすぎです。
 ほかの国で、たとえば、フランスのサルコジ大統領やイタリアのベルルスコーニ首相が、あれだけの、個人的スキャンダルがあるのに、いまだに辞職していないというのと対照的ですね。フランスやイタリアは、スキャンダルに寛容すぎると思われます(ウィキペディアによるとベルルスコーニさんの合計在位は8年以上とか)が、一方で、日本の首相の閣僚の辞める(やめさせられる)有様も、「やりすぎ」、という感じは持ちませんでしょうか?
 あの、いまだに人気の高い小泉純一郎さんでさえ、首相当時、批判ばかりがマスコミからされていた、ということをご記憶の方は多いでしょう。私たち、とくに、マスコミの「潔癖症」は、主要ポストについている政治家に極度に厳しく、とても有害なものを感じます。
 私たちは、日々冷静な判断をしているつもりかもしれませんが、その多くの情報源を、このマスコミに依存しているのです。先ほどのフランスやイタリアの国民が政治家に寛容であることを知って驚かれる方もおられるかと思いますが、それはマスコミの姿勢自体にもそれがにじんでいるともいえるわけで、日本のマスコミのあり方とずいぶん違うことを考えると、とくに、マスコミのあり方は、とても重要だといえるでしょう。
 菅さんが、仮にイタリアの首相になったら、イタリア国民のあたたかい視線に驚くかもしれません。
 私たちの大半は、極度にしぼられた情報源のもとで生活をし、日々の判断をしているという自覚は持つべきでしょう。
 少しでも、スキャンダルがあれば、政治家としての全部を否定されるかのような言葉が、敵対する野党から、マスコミから、マスコミが好んで登場させる評論家から、あびせられるとき、そのたびに、私は、この国は、一体どこにいくのだろうと、不安になります。
 評論家の方々がおっしゃるのは、正しいことかもしれません。でも、それをそのまま激しくぶつけるだけであるのが、いいことかどうかは別問題でしょう。なぜなら、批判の対象が、今生きている人間だからです。

 この国では、政権に「潔癖なまでに」厳しい国民、マスコミ、野党の目線のため、首相が頻繁に変わります。そうして、内閣を弱体させて、この国は、何をえたのでしょう?

 これ見よがしに、ちょっとした失態をもとに、有能な政治家を、辞職に追い込む最近の、マスコミ、野党のあり方は、そして、私たちのあり方は、今再考のときに来ているのでは、と思われるのです。
 政治家のちょっとした失言、失態を取り上げ、マスコミ、野党ばかりか、一般の方までも、明らかに言いすぎではないか、と思われるような、発言がマスコミでもとりあげられる機会が多いように思います。政治家が繰り返し同じようなことをしたり、いったりしたら、ともかく、一度のミスで、何でそこまで、と思われるような発言をしているのをみて、これは、民主主義を勘違いされているのでは?、と思ったりもしていました。
 菅さんも人間ですから、間違いもします。精一杯、最善をつくしたつもりでも、この未曾有の災害のもとでは、指揮系統の混乱はどうしても、生じてしまうことでしょう。で、失敗をするたびに、それをたたくということがどういうことを意味するかを、私たちは考えなくてはならないでしょう。
 菅さんは、正直に、「失敗してしまった。すいません」と言えないのです。それは、温かく見守る国民がそこにいないからかもしれません。
 「失敗学」という学問があるというのをご存知でしょうか?過去の失敗から学ぼうという学問です。
 失敗を素直に認めない社会、会社は、失敗から学ぶことがないですから、弱いです。立派な企業、立派な人間とは、失敗から学べる人間だとすれば、これは、今の政治状況を悪化させている要因のひとつといえるでしょう。
 いつから、私たちは、政治に対して、これほどに不寛容になったのでしょう?

 政治家の方でも、勢いあまって、発言が不適当である、というようなことも、ついあったりするかと思います。そのときに、不適切な発言を指摘して、それを改めさせることは必要かと思います。でも、発言が不適切であったことを認め、本人が訂正し、反省したなら、それで、許してあげるという姿勢も必要なのではないか、という気がしています。少なくとも一度くらいのミスでしたら、、。ご本人が必死になってがんばっているのでしたら、、。
 被災地に赴いて、話を聞いて歩く首相に、激しい不満をいうかたがたがクローズアップされましたが、たとえば、「原発をなんとかしてください」と勇ましく首相に言いつのる方は、そのわかりきったことを首相に言うために、首相に足止めを食らわしてしまうことに、どういう意味があるのかを考えなければならないでしょう。また、マスコミも、そういうかたがたを多く取り上げすぎかと思います。とくに民放テレビ局にそれを感じます。

 教育において、子育てにおいて、私がいつも心がけているのは、子供を余裕もって眺めるということです。子どもでも、失敗があるごとに、これみよがしに、叱られると、思い切って行動しなくなります。
 同様に、主権者である私たちは、余裕を持って、時の政治家を見つめなければ、ならないと思います。政治家を育てるくらいの余裕を持って、、。菅首相が失敗したとき、失敗を認め、すばやく新たな行動をとろうとしたとき、私たちは、その菅さんに、拍手を送り、その失敗をなじるかのような、野党の人間を冷遇すべきでしょう。一緒になって、ちょっとした失言、失敗に過剰反応をすべきではないかと、。

 私は、朝日新聞の愛読者で、いつも隅々まで、楽しんで読ませていただいているものですが、その「天声人語」というコラムに「民主党内の菅おろしには呆(あき)れるが、頼りなく国難を持て余す首相にもといたい。市場の侮りを覆す意気はありや。ここで転べば、濁点が足りない「コールド負け」である」と書かれていました。
 朝日新聞は、ちょっと前はいつもこんな調子で、首相をほめたたえるくだりをみたことがありませんでした。私は朝日新聞が好きで、で、この新聞に私が疑問を感じるのは、この点だけではあるのですが、、。これは、各テレビ局も同様で、まるで、菅さんをほめるのが禁句であるかのような印象を受けます。
 (最近の朝日新聞の論調には、菅さんに対して、皮肉めいた言葉が影をひそめ、かなり冷静なコメントが増えてきているように思われるということも付記しておきましょう。ぜひ、菅さんを育てるという視点も持っていただければ、、。一愛読者の願いです。テレビなどのマスコミにも、ずいぶん、変化があらわれてきたような印象も持ちます)

 でも、菅さんはがんばっている、精一杯がんばっていると私は思っています。枝野官房長官も、寝る間を惜しんでがんばっておられるように思います。
 少なくとも、それを冷徹に見つめて批判的なことをいわれるかたがたよりも、、。それくらいは認めてあげてもいいのでは、と思うのですが、いかがでしょう?
 せめて、「菅さん、がんばって!」のエールはマスコミの誰かが送ってあげてもいいのではないかと思うのですが、いかがでしょう?
 菅さんだって、人間ですから、批判ばかりされていたら、毎日の新聞を読む気も、テレビの報道を見る気もしなくなることでしょう。これほどの皮肉交じりの言葉、批判を日々言われ続けたら、普通の人間でしたら、いやになることでしょう。精神の変調をきたすかもしれません。
 そういう意味では、菅さんは立派だと思います。批判にじっと耐えて、がんばっておられますね。色々批判されていますが、私自身は、決して無能な政治家ではなく、結構しっかりやってくれていると感じています。
 政治家を批判していた評論家、あるいは、野党の方が、いざ、自身が政治をすることになったら、ぜんぜんだめだったという事例は、皆さんもよく見かけているところでしょう。それほど、現実に政治を行うということは難しいのだと思います。批判されている批評家の皆さんに、きっと菅さんは、「なら、お前やってみろ」と言いたいのではないでしょうか?もちろん、そんなことをいったら、また、反発は必至ですから、口が裂けてもそんなことはいえないでしょうが、、。

 今、この大変な時期に、菅さんに一言の「がんばれ」が聞こえないのは、なぜでしょう?もちろん、批判はしてもいいです。でも、挙国一致してがんばらなければならないときに、「がんばれ」の一言もなく、ただただ、批判的な言葉を政権に浴びせ続けるのは、いかがなものでしょう。
 失敗を恐れると、人は、スピーディーな行動ができなくなります。思い切った行動ができなくなります
 現在のパナソニックの生みの親である松下幸之助という方は、「60点なら合格、実行だ」といわれたといいます。少しでも欠点があると動けないようにされると、いい活動、いい政治は生まれないように思います。
 菅さんをずりおろそうとする人々、それで、菅さんの神経をすり減らさせて、この国のためになるのでしょうか?
 菅さんが、自民党に「こういうときだから、一緒に政治をやりましょう」と誘ったとき、主義主張の開きには、目をつぶって、とりあえず、何らかの協力をすべきではなかったかと思います。協力しつつ、批判はし続ければいいです。建設的な批判は、好感を持って受け取れれることでしょう。

 子育てにおいても、そうではないですか。周りから、100%を期待され、その目線から「お前はだめだ」みたいなことを連呼されれば、子どもはいずれすべてにおいて、やる気を失うことでしょう。「お前はだめだ」というのが、仮に、客観的に正しいとしても、その正しいことをそのまま子どもたちに伝えるのは、正しくありません。それは、子どもが生きている人間だからです。
 菅さんは、日本で最高の権力者であるといえると思います。ですから、マスコミや評論家の方々は、その「強い」権力者である、菅首相に対して、少しでも失点があれば、それ、とばかりに批判をされているのかもしれません(あたかも、権力者に立ち向かう「政治の番人」であるかのごとく)が、これは、菅さんの側が強く怒りをもって、言い出せない(言い出したら、またマスコミの餌食(えじき)にされることがわかっていますから)ということを見越してのことであり、そういう意味では、首相は、それほど強いとは言えないと思います。
 権力者だからたたいて当然、という、強いものに勇ましく戦いを挑んでいる、「正義の味方」としてのマスコミというよりも、国民主権のもと、強く出られない首相をサンドバッグのように、好き放題たたいているマスコミという印象を、私はぬぐえません。
 
 繰り返します。せめて、「がんばれ」というエールを時の首相に送るくらいはしていただければ、と思います。問題点を洗い出すのは、それはそれですべきことでしょう。ただ、一方で、もう少し、菅さんをあたたかく見守ってあげていただけないかと、、。きっと、菅さんは、精一杯の努力をして、今の国難に立ち向かってくれるでしょう。
 思い切ってやったことで、仮にミスがあっても、それを指摘するにとどめ、いい方向に向かってもらうための、道しるべを提供している、くらいな気持ちで、現政権とかかわるような人たちが、増えていけば、国民の批判を考えて、しり込みしているかもしれない官僚の方々も、自分たちの失敗を素直に認め、かたくなにならずに、状況状況に応じた、柔軟な行動ができるように思うのですが、いかがでしょう。相手に問題点を指摘することは、とても大事です。でも、それを解決するために、がんばれる気持ちを持続的に持たせることも、とても大事です。
 この点では、人間というものがかかわる以上、政治も子育ても、その本質的な部分は変わらないといえるでしょう。
 
 以前、あるオリンピック選手が、オリンピック本番で、ミスをして、成績が振るわなかったとき、日本に帰国後、街で、何回となく、「何をミスしてるんだ」「何をやっているんだ」と心ない言葉をかけられたと述懐しておられ(深く傷ついたそうです)、そのあと、ヨーロッパにいったら、「おしかったね。あともう少しだったね」みたいな励ましの声をもらい、これほどまでに、国柄が違うものか、と驚いた、というようなことをいわれていましたが、これと同じようなことが、最近の政治についてもいえると思います。
 がんばってのミスに不寛容な集団は、国でも、チームでも、いい成績を残すことはできないでしょう。

 日本人は、名もない人に優しいという側面を持つ一方で、「名のある」力のあると思われる人がひとたびちょっとした失敗をしたときに、冷たい感じがします。持ち上げて持ち上げて、すとんと落とすかのような、、。

 今の政治家がだらしなく見えるとしたら、私たち自身のあり方に問題があり、私たち自身も反省すべきことか多いように思うのですが、いかがでしょう。
 今の、これが私の感想です。最初のほうでも申したように、私が全面的に正しいなどと言うつもりもありません。皆さんの今後のお考えのご参考になれば、と思いまして、、。

 多少の失敗は、指摘しても、多めに見てあげて、「菅さん、一緒にがんばろう」というメッセージを伝えた方が、日本の復興はよりスムーズにいくと思うのですが、いかがでしょう?
 それは、子どもををいたずらに叱り飛ばさないということの大事さともつながるかと思います。
 私の子育て観、教育観に共鳴していただける方でしたら、多少なりとも、ご納得いただけることではないかと、、。
 今菅さんをやめさせて、ほかの誰かが政治をやったとして、物事がうまくいくように思えません。
 また、この首相でもだめか、と、失望と辞任要求が繰り返される可能性のほうが高いのではないでしょうか?だれか、この人は、という人はいますでしょうか?

 これほど、勤勉で、しっかりした国民(民度が高い国民)のもとで、これほど政治がしっかりして見えないのは、なぜか?
 という自問に対する、今のところの私なりの結論を私なりに書き出させていただきました。

 ご参考までに、朝日新聞の5月18日付けの新聞に、小さく、「急流で馬を乗り換えるな」というコラムが載っていたのを紹介しましょう。
 「1995年の阪神大震災で地震対策担当相を務めた自民党の小里貞利元衆院議員(80)が17日、党本部の講演に招かれ、「急流で馬を乗り換えるな」と菅直人首相を退陣に追い込むことばかり優先せず、震災復興で政権に協力するようクギを刺す一幕があった。
 小里氏は「阪神大震災の時、野党は気軽に助言してくれた。自然災害こそ国力、国民力を問われる。災害復旧についても超党派で、あらゆるものを犠牲にして取り組むことが大事」などと訴えた
。」
 私も同感です。

 最近の朝日新聞の論調も、ひところに比べると、菅政権に対する皮肉めいた論調が少なくなってきて、むしろ、建設的な意見を比較的載せるようになってきたというのは、前に触れたとおりです。

 ちなみに、東北地方を中国の首相が訪れるというニュースを聞いて、私は、尖閣諸島の一連の中国に対する対応がそれほど間違っていなかったということも感じています。細かいことをいえば、いくらでも問題点を指摘することはできるでしょう。でも、政治も所詮は、両国政府の要人と要人の信頼関係が基本ということからすると、私が菅政権はこうするのが一番よいと思っていた通りの対応をしたと感じています。
 仮に、一部評論家の方々のいうように、中国になめられるとばかりに、強硬な姿勢を示せば、むしろ、中国を、中国人を怒らせるだけで、かえって事態は悪化することになったでしょう。少なくとも、菅政権のように日本が低姿勢だと、中国がなめてかかる、という一部評論家たちの予想は、あたらなかったといえるかもしれません。
 中国という大国のトップであれば、経験、見識その他、優れたものがあるはずで、こちらが誠実に対応しているかぎり、そうそうむちゃな行動にでることはないと考えるのが、普通でしょう。
 実は、勝海舟という天才政治家は、日清戦争の直後に、中国に強硬姿勢一辺倒であった日本の政治家をたしなめたのですが、当時の見識者といわれる人たち、大物政治家の多くが耳を貸してくれなかったそうです。
 で、あの三国干渉があったというようなことを暗にほのめかしています。

 今、中国は、ベトナムとの間に、土地の領有権をめぐって、きわめてきな臭い状況にありますが、ベトナムのきわめて強硬な姿勢にも原因があるかと思います。それに比べれば、日中関係は、まだ良好という印象を感じさせます。菅さんの外交は、結果として悪くなかったといえるでしょう。

 中国の政治家は、伝統的に、高圧的に出る国には、高圧的な態度をとり、誠実な姿勢を貫き、十分な配慮を見せる国には、十分な配慮を示してくれています。
 ロッキード事件で、逮捕された田中元首相は、この事件があったのちも、中国では、いまだに評価され続けていますし、その娘さんである田中真紀子さんは、いまだに中国から、とても好感をもたれています。
 日中国交回復時の田中元首相の恩あるいは絆(きずな)を今もって忘れない国なのですね。仮に、尖閣諸島のトラブルが発生したとき、日本が高飛車に出たら、きっと今のような中国との関係はなかったでしょうし、事態はより深刻になり、中国の首相が東北を訪れるというようなことは、考えられもしなかったことでしょう。
 菅さんは、決して無能な政治家ではないと思います。よいところ、がんばっている姿勢にも、ぜひ光を当ててほしいです。これが、日本をよりよい方向に導く、最善のあり方だと信じています。

 そういえば、最近、アメリカで、災害が起きたとき、以前では見られないほど、人々が整然と行動したという、新聞記事を読みました。地元の人の話では、それは、東北大震災のときの、日本人の冷静な行動に習ったということのようです。確かに、被災地の日本人は、外国の人々が学ぶべき手本を示したといえると思います。
 一方で、、政治に対する姿勢に関しては、むしろ、諸外国から私たちが学ぶべきものが多くあるように思うのですが、、。政治家に、潔癖なくらい完璧を求めすぎないことを、、。

 最後に、、。
 
 以上、皆さんのご参考になれば、、。

 今までで、今回が一番字数をさいてしまいましたね。
 最後まで、お読みいただき、本当にありがとうございます。
 次回からは、いつもの感じにもどりますので、今回だけは、ご容赦を、、。

(次回から、ページを変えて)


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