家庭教師田口の視点(13ページ目)

2004年9月26日 23:26:10
 先日、娘がいすとともにゆっくり倒れ落ちました。背中から、、。落ちた直後目を丸くしていた娘は、しばらくすると、ゆっくり、でも激しく顔をゆがめて泣き出しました。滞空時間のながい落下でした。その、後頭部から落ちていく恐怖が娘を泣かせたのでしょう。
 子供は、痛さで泣くよりも、はるかに、恐怖心から泣くことが多いというのは、この仕事をしていて、よく観察されることです。ためしに、お子さんを思い切り強く、でも、陽気に、バシッとたたいてみてください。きっとお子さんは、泣きません。手加減はしてくださいね。でも、たとえば、たたかなくても、言葉で、思い切りしかりつければ、すぐ泣く子は、結構います。そんな子に、問題を解けたとき、「よくやった」とばかり、思い切りたたいても、きっと泣きません。「いたいなあ」といわれるくらいで、、。子によっては、ニコニコする子さえいます。子供にとって、物理的な痛みよりも、心の痛みのほうが、大きいのではないか、そんな感想を最近持っています。
 
2004年10月4日 11:20:48
 掲示板で、まじめな話ばかり書き込んでいるので、私が、くそまじめな人間に見える人もいらっしゃるかもしれませんね。実は、私は、ユーモア大好きです。私は、子供によって、接し方がずいぶん違うと思います。子供によっては、私を冗談の塊(かたまり)に思うような子もいるんじゃないか、と思います。今日は、私の冗談の言い方をご紹介いたしましょう。冗談に言い方があるんですかって?私が知らず知らず心がけていることがあるんです。
 私のユーモアの鉄則1は、
ユーモアをいうときは、いつもとすこし表情を変えること、です。一番使うのが、おもいっきりポーカーフェイスです。目の見る先を変えず、どこか一点を見つめるようにして、というのが基本です。
 ユーモアの鉄則2は、
上沼恵美子なみの、大げさな表現、絶対うそだとわかる表現を使います。
 繰り返すようですが、どんな子にでも冗談を言うわけでは、ありません。
 たとえば、ものすごく、まじめな顔で、「実はね。僕はね、、、、フランス人だったんだよ」とか、「僕のパパがフランス人でね」とか、、。今、このシリーズこっています。きっかけは、私の頭の先に白髪が、1本だけあって(自慢ではないけど、私はほとんど、白髪がありません)、それが、金色に見えた(実際金色だったかはわかりません)、それに気づいた子が、「先生、その金色の抜いていい?」と聞いてきたので、それには、答えず、「実はね。君に今まで話していないことがあったんだけどね」と言ったら、本人が、あまりにも興味ありげだったので、「僕は、実はね、フランス人とのハーフだったんだよ」って言ってみたのがきっかけです。この子、女の子ですが、女の子には、また男の子でも、小学高学年から中学生2年くらいまでは、こういう冗談結構通じたりするようです。もちろん子供によって違いますが、、。
 相手は、「絶対うそ!!」とか「どう見ても日本人」とか言ってきます。それに対して、
「僕は先生だよ。うそつくわけはないじゃないか」とか、「僕は、うそをついたことのない人間だ」とか、これも、いつもと違う表情で言います。言っておきますが、私は、勉強そのものでは、うそついたことないですよ。
 これ、娘にも使いますが、あの年(小1)は、冗談が通じないところがあるので、すこし冗談に慣らしておかないと、危険です。
 それとか、「この前ね、君に、ぐさってくること言われてね、家に帰って、僕は泣いてしまったよ。で、気がついてみたら、部屋中涙なみだで、とうとう部屋が水槽みたいになってしまったよ。そういえば、魚が泳いでいたな」とか、、。思いっきり、表情を変えずに言うと、いいと思いますよ。
 結構受けますよ。いつもいつも、緊張を強いるだけが家庭教師ではありませんからね。親しみを持ってもらうために、子供によっては冗談も有効だと、思います。ただし、冗談は、教え始めに(本人との距離感がわからないうちに)いきなりやると、とても危険ですが、、。
 また、これ(冗談)はあくまで、「刺身のつま」で、教え方のうまさとそれに対する信頼が家庭教師の絶対条件です。言わずもがなのこととは思いますが、、。

2004年10月11日 11:21:21
 今日は、ガラっと変わって、哲学の話をしますね。哲学って難しそうに聞こえますけど、例によって、こういう話を難しい「象牙の塔」の中の話にしないのが、私の主義、、。
 哲学ってなんだと思いますか?家庭教師と哲学とどんな関係があるかですって?子どもを育てるときに、哲学が必要かですって?あたしには、関係ないわ、ですって?
 私は、哲学好きなんです。実は、、、。で、大学のとき、専門外だったんですけど、哲学の講義結構受講したほうだと思います。面白そうな講義だと思ったら、、、。でも、みんな私が生きるうえで、本当に参考になりそうなもの提供してくれませんでしたね。あえて言えば、哲学に関する知識が高まった、ということぐらいでしょうか?
 で、思うんですけど、哲学を、どっか、小難しい人が、小難しく語っている、理念か何か、のように、皆さん思ってらっしゃるでしょ。実際そうだと、いってらっしゃる方もいらっしゃるのですが、で、そうなのでしょうが、単なる、そういう理屈のこねくり回しで人は幸せになれないんじゃないか、というのが、私の今の感想です。
 じゃあいらないかって?
 私は、哲学は、大事だと思います。
 それは、次のような話をお読みになれば、お分かりになるかと思います。

 むかし、ある有名なお坊さんがいたそうです。そのお寺の門前の娘さんが、妊娠したそうです。で、娘さんが言うには、妊娠した子はお寺の上人(しょうにん)さん、つまり、かの有名なお坊さんの子だということのようだったんです。で、その娘さんのご両親は、どういうわけか大喜びだったそうです。私でしたら、かんかんに怒りますけどね。「この、生臭(なまぐさ)坊主!!うちのかわいい娘をどうしてくれたんだ!!」てな具合に、、。でも、その家族は、大事に育て上げたそうです。よっぽど尊敬されていたお坊さんだったのでしょうね。ところが、ところが、2,3年たったとき、実は、といって、娘さんが、生まれた子は、違う人の子であると言い出しました。困り果てたのは、ご両親。早速、事の次第をそのお坊さんのところへ、話しにいって、丁寧に謝りました。偉いお坊さんでしたから、本当にすまないと思ったんでしょうね。
 そのとき、そのお坊さん、なんといったと思いますか?「はあ、そうか」といったきりだそうです。
 「はあ、そうか」と一言だけ言ったところにこのお坊さんの偉さを感じませんか?人間に対する考察の鋭さを感じませんか?人間というものを深く考えていますよね。で、私のように、しゃべりまくるかと思ったら、「はあ、そうか」の一言。深く深く考えた上で、まったく考えていないかのような、この一言。
 私もしゃべるの仕事だから、こうしゃべってますけど、子供の言い分をただぼんやりボーっと聞いていることあるんですよ。わざと、ボーっと聞いていたりね。表情を変えずに、ボーっとね、、。そうしたら、かっこいい、といった子いましたね。思わぬところで、思わぬ反応。
 娘が問題といているときも、ただ、ジーっと、ながめている、というのをすることあります。娘の解いている問題を、、。娘をではなくて、、。私にとって、簡単な問題ですけどね。そうしているだけで、娘は、「殺気」を感じるのでしょうか?そう感じるほど私は、真剣に、問題に向かいます。娘は、妙に集中したりします。で、今まで、ケアレスミスしていたのが、全問正解となったりします。そこから、娘は、勉強するとは、どういうことか、喜びとともに、知るのでしょう。もちろん私は、思いっきりほめてあげます。
 せっかくだから、ついでに言っておきますけど、かっこいいと思わせること大事なんですよ。子供は、無意識のうちに、あるいは、意識的に、こちらを真似ようとしてきますから、、。親のこと格好いいと思うから、親の言うこと聞く、あるいは、まねるという子いそうでしょ。オリンピック選手なんかにも、見かけましたね。レスリングの「アニマル」親子とか、重量挙げの三宅親子とか、、。そうでなかったら、誰が、そんな厳しい練習に耐えていきますかって。私は忙しかったから、試合の内容あまり見ていなかったですけど、あの親子たちのかかわりには、興味持ちましたね。いい影響を与えるとは、そういうことなんだと思います。
 私は、本人が解けないと苦しんでいる問題の答えを一瞬のうちに言い当てる、何てこと、たまにしたりします。彼らからみたら、神がかりでしょう。このホームページ同様、おしゃれに気を使わない、もっさいかっこうした、私を、格好いい、と思わせたら、私と同様、人間中身だ、という価値観に近づくと思うのですが、、。

 これこそが、哲学なのでしょう。哲学からくる、一言の重み。でも、このお坊さんのこの一言が重みを持つには、この方の普段の生き様が、尊敬されるものでなくてはならなかった、ということも知らなくてはいけないと思います。
 ほとんどばたばたしたところがない、でも、どの人間のどんなばたばたよりも、大きなインパクトを人に与えることができる、こういうのは、人間について、人生についての深い考察がないとできませんね。とても、ちょっと考えてできるものではありませんね。哲学の意義は、こういうところにあると思うんです。
 私が、哲学が大事という意味お分かりいただけますでしょうか?

2004年10月18日 13:17:03
 ところで、上のお坊さん、知る人ぞ知る白隠和尚(はくいんおしょう)です。ご興味のある方は、白隠さんを検索してみてはいかがでしょう。私もすこし検索してみました。結構でてきますね。そのなかに、私の上でしたお話と同じようなものがありました。でも、すこし内容が違いますね。私が、読みかじった知識と違いますが、そこから受け取れるエッセンスは変わらないと思います。

 ところでところで、許可を得て、久しぶりにさくらさんからのメールです。娘さんの励みになればいいのですが、、。中間テスト間際の様子です。

昨日も、頑張っていました。

朝、10時〜深夜2時まで、休憩は食事の時間だけで、すごいです。
国語が夜9時まで掛かってしまい、そのあと社会だったようで、その時間になってしまったようです。
今日は社会の問題集を学校に持っていっていったようです。あと8ページくらいで終わると言っていました。
それ以外、範囲すべて終えることはできているようです。
 
日曜日、朝6時から3時間だけ、クラブに出かけてきた後、青い顔をして帰宅しました。帰ってきてから、4時間ほど睡眠を取ったあと、たくさん食べてから、机に向かい、ラストスパートをかけた勢いです。
 
疲れたとか、言いません。感心します。(甘い食べ物が欲しいと要求するくらい)
少し風邪気味ですが、鼻をかみながら頑張っています。
 
「先生、体の調子悪かったみたいだけど、一生懸命教えてくれた。」
みたいなことを言っていました。
「先生が偉いねって、褒めてたよ!」と伝えると、とっても嬉しそうな顔をしていました。
 
本当に、ありがとうございました。

 ちなみに、私が調子悪かったのは、そのしばらく前に食べたものがどうもわるかったせいみたいです。まことに恥ずかしい次第で、いいように解釈してくれる、「さくらっこ」(さくらさんの娘さんなので、「魔法のお母さん」が命名されました)さんに感謝です。私は、本人がもっとも苦手としているところをもっとも得意にする、というのを信条にしているのですが、今回は、それが行き過ぎたのか、本来苦手な数学が早く仕上がり、本来とくいな英語がむちゃくちゃわかってなくて、冷や汗ものでした。
 さすがに、間際にチェックしたら、英語わかっているようで、ほっとしました。さすが、さくらっこさん、えらいね、君は!!!私は、無口な君の中にある意志の強さをいつも感じていました。
 君に出会えて、私は幸せです。でも、無理して体こわさないでね。睡眠は十分とるんだよ。うがいはヒマがあったらしてね。何回でも、、。うがいはしすぎて悪いことはないよ。
 今回は、だんな様も協力してくださって、いいムード作りができたみたいです。かえすがえすも、だんな様によろしくお伝えください。さくらさん!!
 皆さん、さくらっこさんが勉強した、時間数数え上げてみてください。さくらさんが驚くのも、無理はないでしょう。何かに取り付かれたようですね。私が、えらいね、といわざるをえないのも、お分かりいただけたことでしょう。今これを書きながら、ジーンとするものを感じています。

2004年11月1日 0:13:55
 私の教え子のMさん(掲示板にチラッと登場してくれたことのある子なのですが、覚えてられる方は、いらっしゃるでしょうか?)、晴れて合格しました。なんと、薬学部。AO入試で、、。おかげで、スケジュールにすこし余裕ができました。
 私の戦略はとりあえず、AOのための、提出書類を完璧に仕上げ(AO入試は、一般的に、提出書類からが勝負なんです。つまり、提出書類の段階で落とされたりすることがとても多いんです。私は、今のところですが、AOの書類審査では全勝なんです。今回は、おとなしい表現にしようとする高校側とせっかく個性的な文章を書いているのに、という私との綱引きがありましたが、、。もちろんMさんは私に賛成でした。私のアドバイスのもと、練りに練り上げた、すばらしい文章だったんですから、、。)、AO入試までは、その試験科目である、化学と小論文だけにしぼりました。で、化学だけは、どんな問題がでても、対応できるように、ということを目指しました。薬学部なので、センターよりは難しく、化学?の範囲も入ってくるので、すこし本人には、最初しんどかったみたいですが、ある程度のところまでいったら、問題が簡単に見えるといってくれました。同じような問題をやっていって、問題が簡単に見える、と言うのは、実は、私がときどき聞くところです。本当は、問題が簡単になったのではなく、本人ができるようになったんですが、「前の問題とレベルおなじなの?簡単すぎない?」ときいてくる子はたまにいます。君の能力が高まったからだよ、と言っても、はじめは信じてくれなかったりします。私が、だんだん簡単な問題をやらせるようになったと思っているのでしょうか?でも、そんなことするわけないですよね。逆はあっても、、。つまりその子が理解していくにつれて難しくしていくことはあっても、、。
 私は、これを自転車乗りにたとえたりします。自転車って、乗れるまでは、なんて難しいものだって思われた方もおられると思います。でも、一度乗れてしまうと、以前自分が、うまく乗れなかったのが、不思議に思うなんてことになるのではないかと思います。自転車に限らず、そういう経験ありませんか?勉強も同じで、今回、確か、さくらっこさんが本来は、最も苦手とする数学で最もよい点をとったように、ある水準まで行くと、もっとも簡単なものに見えたりするわけですよね。確か、理科もいい点数だったですね。本来得意のはずの、で、だから私は心配をしていなかった英語で、多少苦戦をしてしまいましたが、、。
 私の仕事のひとつは、彼、彼女たちの理解のためのいわば「補助輪」になることなのですね。
 得意不得意は、勉強が簡単と言うところまで持っていけるかどうかなんですよね。自転車を乗りこなせるようになった人が、自転車ってなんて簡単なのだろうと思ってしまうのと同じように、、。

 Mさんの話に戻りますが、小論文も、どんなテーマでも任せとき!というところまで高めるようにしました。小論文のほうは、もう少し時間がほしかったかな。でも、彼女には、これほど、小論文の対策が仕上がっている子、そうはいないよ、とも伝えておきました。もちろん個性のない、誰でも書くような、くそおもしろくもない、無難な文章の危険性も知らせつつ、、。
 小論文は、切り口の鋭さと表現力の豊かさが勝負なんですよ。それがわかってか、わからなくてか、つまらない文章書く子多いですね。はじめは、、。私は、それにそって、つまりその子の書いた文章にそって、もっと生き生きした、のびのびした文章を、具体的に示すこと、つまり書いてあげることから、はじめます。具体的に、はあ、いい文章だ、って思わせることから、はじめなくてはいけないでしょ。例によって、15分か20分くらいで、その場で例文を書いてあげます。実際に、書ける、解けるということを目の前で、その子のわかるような形で、示してあげることが大事ですよね。どんな勉強でもそうですが、本人が、考えている所から、出発して、問題をひもといてあげる事が必要だと思います。自分のところに引き寄せないで、、、。子育てでもそうですよね。自分がわかっている、というだけでは、不十分なのですよ。相手の視線でわからせることができないと、、。私が、家庭教師には、相応の熟練が必要だというゆえんです。それができるかできないかが、家庭教師の、というよりも、教師の能力の尺度のひとつだと思います。
 先日もある高校生が、数学のA問題には、手が出るけど、B問題はさっぱり、というので、1問3分程度で説明していきました。その問題は、私にとっては、すこし大げさに言うと1+1=2くらいな問題なのですが、だから、ポイントをついた説明ができる、と自分では思っています。もちろんその子のわからないところにそって、、。必要なときは、しつこいくらいレベルを下げたところから説明したりしますけどね。本人がわからないと言うところにまでさかのぼって、、。ただ、一般に言えることは、時間かけて説明するから、わかりやすい、というのは、むしろ、逆だと思うんです。わかりにくい説明だから、時間がかかるのだと思います。
 わかったと言って、本当はわかっていない子もいるので、時には、具体的にとかせてみたりします。で、だんだん教えていくにつれて、その子の「わかった」がどんなレベルか、わかってきますね。
 子育てだって、子供にとって、わかりにくい子育てだから、子育てに、手間ばかりがかかるのだと思います。ポイントをおさえていれば、ほうっておいても、むしろほうっておいたほうが、子どもは、しっかりと育つように思います。妻が、子育てに時間がかかると言ったとき、私は、それは、妻の子供に対する接し方に問題があると言うことを具体的に示していきました。妻に抽象的な話をするよりも、娘や息子に具体的にかかわる形で、、。(つづく)

2004年11月8日 0:01:57
 先日、問い合わせがあって、あきかけたスケジュールが、またうまる勢いです。今回は、すこし遠いお宅。といっても片道20分程度でしょうか。このくらいで、遠いなんて言ってたら、罰が当たりますね。高校生と中学生をいっぺんに教えてほしい、とのご要望。例によって、すぐに、私を、と即断されないよう、私が教えてみるなり、私の能力を知っていただいてから、私を希望されるかどうか、を判断していただくようお願いしました。もちろん、私自身は、このホームページに書いてあるとおりですよ、と念をおしておいて、、。ただ、うそかもしれませんしね。私が、うそをついているかもしれませんしね。ホームページと違うじゃないか、というのだと、こまりますし、、。
 でも、大体のお宅は、目の前で、私が教えているのを見て、また、教えられた本人たちの顔(お母さん方は、本人たちの顔を見て、私の教え方に、満足しているかとか、大体のことは、わかるようですね)を見て、私を信用してくださるようです。
 まずはじめに、高校生の子が、どこぞのテストから、自分のまったく解けなかった、問題を見せて、目の前で、説明してほしい、とのこと。私に対する、抜き打ちテストみたいなものですね。それをお母さんでも、中学生の子でも(一緒にいたので、せっかくだから、、)、ある程度わかるように、教えて、中学生の子のほうは、テストにケアレスミスが多いとのことで、その予防処置の方法を示してあげました。
 あとは、意識付けのための話を、ついでにしておきました。こういう具体的なかかわりで、大体私の能力は、知っていただけたでしょう。具体的って大事ですよね。抽象的なことを100言うよりも、具体的に、目の前で示すほうが、説得力ありますよね。ですから、私は、このホームページでも、抽象的な理念だけを書くというのを極力避けているわけです。変な話、抽象的な、何かわかったような話って誰でもいえますもんね。で、その言葉を見て、聞いて、相手の人はわかったような気分になるのかもしれませんが、相手は、偉い人だなあ、くらいには思ってくれるかもしれませんが(実は、そんな小難しいことばかり言う人間が偉いなどとは限らないんですけどね)、それって、具体的な言葉がない分、説得力に欠けますよね。
 ところで、具体的といえば、よく、この子は、ケアレスミスが多い、と騒ぐお母さんがいらっしゃいますが、それって、子供にただプレッシャーをかけているだけですよね。具体的にどうしたらいいかを示さずに、ただ騒ぐのは、無駄というのを通り越して、害があるようにさえ思います。お母さんは、これほど言ってもわからないんだから、みたいな感じですが、本人にとって、中身のある話は、何もされていないわけですよ。ただただ、圧力をかけている、そういう構図しか見えてきません。おじゃましたお宅のお母さんにも、すこしそんなこと感じて、、おとなしい子のようで、反抗しないだけに、お気の毒、と思ってしまいました。そんな話も、お母さんご自身のご参考になるかと思って、させていただきました。プレッシャーをかけるような言葉の一言よりも、具体的なアドバイスですよね。
 で、私の能力を理解していただいてか、その場で、次回から来てください、といわれました。これからが私の勝負なんですけどね。
 
 さて、前回の続き、、。
   Mさんの場合、私の戦略はAO入試が終わったら、次は、受験科目が、公募推薦のため、英語と化学に変わるので、さっと、切り替えて、英語だけ(化学は、AO入試対策のときに、十分やってあるので、、)にエネルギーを注ごうと、、。で、英語の対策をしている最中に、「合格通知」がきました。Mさんにとっては、思いのほか、早々とした合格通知だったみたいです。私は、どんなレベルでも、全教科教えることができるので、小回りがきくのです。小回りがきくということは、無駄がないんですよ。先日も、高3の子が、この子、受験科目だけ、教えてほしいといわれたお宅なのですけど、で、数学は、受験科目に入っていなかったんですけど、中間テストの対策に、と私に、数学を教えてくれと、言ってきました。そのあと、日本史、、。目先のテストのために、ちょっと聞きたいというのがありますでしょ。そのとき、その場で、ぱっと答えてあげるわけです。そういうのって、結構助かるみたいで、数学で、いい点取れた、とか、感謝されました。「家庭教師馬鹿」の面目躍如(めんもくやくじょ)というところですね。
 今のところ、第1志望2連勝ですが、これから、まだまだ先が長いです。でも、みんなが、すんなり受かってくれないと、新しく申し込まれてくるお宅のために、時間が空かなくなってしまう。がんばらねば、、。
 晴れて、Mさんは私の束縛から解放されて、ゲーム三昧(ざんまい)の昔に戻ると思いきや、
私に、大学にはいってからもついていけるよう、生物と英語を教えるように、依頼してきました。Mさん、えらい!!不思議なことに、中間テストの勉強も、「今までしたことがない」というほど、がんばっています。勉強は、しなくてはいけないからするわけではなく、したくてするというとき、もっともがんばれるというのを体現してくれたように思います。なぜなら、彼女は、もう一生懸命勉強しなくても、そこそこ学校についていけば、大学は、保障されているのですから、、。
 言っておきますが、私は、遊んでいいよ、と言っているのですよ。
 普通は、大学受かったら、それで終わりですけどね。私が教えるのは、、。で、教える回数を減らして、生物と英語教えていっています。以前(私が教え始めたころ)ため息をついていた英語で、かなりいい点をとりそうです。「記念にどれかの教科で満点でも取っておいたら」と励ますつもりで言ったら、「すでに、90点以上は2つ(2教科)取れそう」とのご返答。きっと気分よく、勉強していることでしょう。(後で聞いたら、数学2教科とも本当に満点だったとか、励ますつもりで「満点とって」と言ったなのですが、本当に実現してしまいましたね。ほんと、びっくり、、。確か満点取ったことのない子ではなかったかな。ほかも、テストに間違いがあって、つまり学校の側のミスによって、時間内に解けなかった科目がありましたが、それ以外は、すべて、70点以上という、今までで最高の得点をあげたらしいです)
 私はいつも思うのですが、人は、義務感だけでは、勉強しない存在なのでしょう。

 最後に、話は変わりますが、、、、。
 以前山本五十六の言葉をこんな感じという風に、引用したことがありましたが、正確には、
やって見せ、言ってきかせてさせてみせ、褒めてやらねば人は動かじ
ということを、再び物の本を読んで確認しました。私は、
やってみせ、やらせてみて、ほめてやらねば、人はうごかじ
でしたね。ずいぶん短くなっていますね。ご参考まで、、。もっとも、私は、こういう理念を伝える事柄に関して、正確に、言葉を覚えることを、それほど重要視していません。むしろ大事なのは、その言葉の意味を実生活の中で、いかに役立てることができるか、だと思っています。むしろ、覚え間違いは、その言葉が、自分の「血や肉」になったことを示すのではないかとさえ、思っています。開き直りのように見えますか?そうでないつもりなんですけど、、。
 つまり、あれは、山本五十六の言葉をはなれて、田口文雄の言葉になっていると、勝手に思っているわけです。
 私の名前書いたついでに、申しておきますが、私の字、とてもいい画数なんですよ。ご興味のある方は、お調べになってみられたら、いかがでしょう。これまた、偶然ですが、どういうわけか、私の妻も、私と結婚して、ぐんと画数がよくなりました。私は、占いは信じないほうですが、これだけは、念のため、と思って、二人の子供には、画数のいい、言葉の響きのいい名前を選びました。悪いより、いいほうがいいかな、という程度の気分で、、。
 私は、この極(きわ)めて、平凡な私の名前を、年を経(へ)るにつれて、好きになっています。

 次回は、やわらか〜い話をしましょ。ちょっと肩こってきましたしね。すこしかたい話ばかりで、、。松田聖子、なんていう人、歌手でいるんですけど、この人を取り上げて、皆さんのご参考になるような、分析をしてみましょうか?

2004年11月15日 0:22:47
 松田聖子という歌手の歌で、私が好きなのは、「青いサンゴ礁」と「赤いスイトピー」あたりでしょうか。でも、私が彼女の偉さを知ったのは、これらの数々のヒットソングによってではありません。おそらくは、もう絶版になっている「松田聖子のバランスシート」という本によってです。なぜか手元にないのですが、もう一度読みたい本のひとつですね。これは、当時の彼女の所属事務所の社長さんがお書きになったものですが、どこにもいそうな普通の女の子が、スターにのし上がっていく様子を、ソフトなタッチで、でも、かなり分析的に、記していました。その本は、残念ながら、どこかでなくしてしまったのか、今はないのですが、そして、その内容のほとんどを忘れてしまったのですが、その一つ一つに、彼女の賢さを感じたのを覚えています。その当時彼女は、今と違って、「ぶりっ子」、つまり「かわいこぶりっ子」の代名詞のようにされて、世間の人たちから、特に女性たちから、結構嫌われていました。何よ、かわい子ぶっちゃってさ、てな具合です。男性からも、彼女は、ただかわいいだけ、くらいの評価しか受けていなかったのではないかと思います。そのなかで、私は、「孤独に」彼女を賢い、といっていた覚えがあります。で、大体の反応は、「あんなぶりっ子のどこが賢いの?」みたいなものでした。でも、賢い人ですよ。娘さんもこの間、NHKがドキュメンタリーで取り上げているの見ましたけど、根性のありそうな子ですね。片親である聖子さんのもとで、立派に育っていることがうかがえますね。
 先ほど紹介した本で、あまり覚えている部分はないのですが、いくつか覚えているうちで、ひとつだけ鮮明に覚えていることがあります。
 それは、彼女が、ものすごい「メモ魔」であるということです。「メモ魔」といっても、自分のためのメモ魔ではなく、他人のためのメモ魔です。自分のスケジュールのため、企画書づくりのため、メモをよくするという人は聞きますよね。でも、彼女は、そういうタイプのメモ魔ではなかったんです。彼女は、人のためにメモをよくする人だったんです。
 どういうことかといいますと、スタッフの方に、つまり、自分の身の回りの世話をしてくれる人たちに、簡単なメモ書きをよくする子だったんだそうです。それには、この本の著者の社長さん、とても感心されていたそうです。で、どんなことをメモに書いているかというと、確かたわいもないことだったと思います。たとえば、「○○さん元気?○○買ったから、よかったら食べて」とか言う具合に、、。彼女、当時むちゃくちゃ忙しかったと思うんですよ。で、メールもない時代でしたから(おそらくは、仮にメールがあったとしても)、忙しい中で、直接コミュニケーションとれない中で、でも、どこかで心を通わせたい、という苦肉の策だったんだと思います。
 心を通わせることは、情報を共有することだと思います。ちっちゃな二人だけの世界を持つことだと思います。たとえば、あなたは、私のこの文を読んで、私に親近感を持ったとしますね。それは、私の思い、私の経験をあなたが、私と共有したと感じてくれているためではないかと、、。忙しいなかで、彼女は、それと同じようなことをを見事に演出して見せたのではないかと思います。
 むちゃくちゃ忙しいときって、自分のことで精一杯ですよね。みんな、アイドルの子達って、自分の忙しさを言って、周りに気遣う余裕なんてないですよね。で、彼女は、今もそうですが、当時は、おそらくもっと、売れている、超売れっ子でしたから、勘違いする子でしたら、すこし天狗になってもおかしくないですよね。それが、天狗でなかったんです。少なくともその本を読んだ限りでは、、。それどころか、周囲に対して、ほんのちょっとした、言葉がけを忘れなかったんです。それが、彼女のえらさではなかったかと思います。
 私自身、これを娘とのやり取りに応用しています。厳密に言うと、応用しているなんて気はなかったのですね。でも、あるときふと思ったら、松田聖子さんのあの発想を、いろんなところで応用していることに気がつきました。つまり、私の「メモ好き」はあの、聖子ちゃんの「メモ魔」についての記述に、根源を発しているような気がするんです。何気ない一言のメモが、繰り返されると、変な話、目の前の対話以上に、効果を発揮する、ということありますよね。
 たとえば、娘とのやり取りで、、、、。
 私は、夜、かなり遅く帰ってくるわけですよね。で、たまに、教えているお宅から、ちょっとしたもの、お菓子とか、この前なんかは、教え子のつくった、技術家庭の宿題の「おもちゃ」とか、そういうのをもらったりしたとき、テーブルの上において、全部ひらがなで、娘に、「あるいていけるほどちかくのうち、○○さんのうちからいただいたの。よかったら、つかってっていっているよ」くらいなコメントをそえておいておきます。次の朝、娘は習いたての、ゆっくりとしたスピードで、一生懸命読んでくれます。で、そうしているうちに、娘も、私に、メモをくれたりもします。ミミズが酔っ払ったような字ですけど、直接語り合うのと、ちがった心の通い方がそこにはあるような気がしています。
 まだ、小学低学年の子でしたら、習いたてのひらがなの文に強い興味を持つこと請け合いです。もちろん、これは、どんな年の子にも、使える、面と向かってとは、違った意味での、また、メールとも違った意味での、心通わせられる、コミュニケーション手段です。お試しあれ、、。
 忙しいから、子育てが十分にできないとか、忙しいから、コミュニケーションが取れないとか言うのは、知恵を持たない人の言い訳に過ぎないと、聖子さんの娘さんが素直に、まっすぐ育っているようなものを感じて、思いました。知恵を使いましょ。私たちの頭は、アイデアの宝庫です。
 

 

 

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