家庭教師田口の視点(29ページ目)

2007年12月12日 1:02:11
 誤解のないように申しあげておきますが、私は、子供たちには塾に劣らず、がんがん勉強してもらっているのですよ。多くの場合、、。時間のかかる子もいますけどね。私の影響をすぐに受ける子もいれば、ゆっくり受ける子もいます。また、そういうレベルになかなか達しない子もいますけど、でも、すこしずつでもいい方向へ、いい方向へと、進んでいるわけです。
 ただ、そのがんばってもらい方が、多くの塾とは、おそらく180度違うということだけで、、。多くの塾ががんばれーって、ハッパをかけるのに比べ、私は、ほとんどそういうことをしないと思います。前のページのCMさんの息子さんにもそうですし、ご両親にも、「淡々とこれをこのような形でお願いします」という感じほうが多いかと思います。で、本人たちが「勝手に」がんばっているという形をとってしまっているということのほうが、圧倒的に多いです。ですから、人によっては「魔法」と呼んだりされるのでしょう。
 もともとできる子ばかりを選んで教えているなんてことないですよ。
 私がこれ解いてくれる?と聞いたら、「自分で解けよ」と言った子もいます。今、やっと普通の子なみの言葉遣い、態度になりました。2年間でここまできたのですが、最初のころの、聞こえない声、頻発する大きなため息、暴言の数々、字の乱暴さなどから見たら、今は別人でしょう。学力のほうは、まだまだというところですけどね。今高校生ですけど、最初のころ3の2乗の計算ができなかった、分数の足し算がわからなかったと申しあげたら、大変さをご理解いただけることでしょう。「牙をむく野良犬のよう」とお母さんが表現されていましたが、今は、そういうこともなさそうです。
 私は、塾以上に結果を出していると思います。おそらくは、多くの塾以上に健全な形で、、。それは、前のページのはじめに記したとおりです。
 CMさんの息子さんも、おそらくは、塾のとき以上にがんばっていると思いますし、私は、今の彼がとても好きです。何かに対する不満を言うでもないですし、とても健全な姿を感じたりもします。お母さん(CMさん)は、彼が自分で家でこつこつできるか不安だったみたいですが、ポイントさえおさえて、かかわってあげれば、がんばってくれます。今彼の妹さんが小6で、中学受験をしないということで教えているんですけどね。理想的に教えられそうな気がしています。
 私がしているのは、職人芸と言っていただけるのではないかと思えるほどの授業で、「すげー」とか、「よくわかる〜」と思ってもらうことと、ポイントをついたかかわりを心がけているというだけです。
 きわめつけは、なでしこさんの娘さんでしょう。高校になって、私が教えていないのに、私の影響を「喜んで」受けてくれているかのようです。メールも時々くれますし、先日なんかは、息子さんが腹痛で私(パソコン)の目の前から去ったのを知って、それとばかりに、私に「報告です」と、最近の近況、外部受験をしたいということなどを伝えてきました。外部受験は、結構、冒険なのですが、私は、本人の「がんばるぞー」をしっかりと感じ取りました。で、私が彼女に伝えたことは、簡単なアドバイスと彼女が知っていたほうがいいと思われる情報くらいなものです。それをとっさに伝えただけです。
 きっと、彼女は、よーしと燃えていることでしょう。それは、なでしこさんからのメールでも時々うかがえます。きびしそうだから、ほどほどに、などと思うような子に育ててはいけないでしょう。たとえ無理とわかっていても、がんばって何とかしてやるぞーくらいに思うのが、子供の子供らしいところだと思います。たとえ余裕を持って受かるかもしれないけど、受かったわけじゃないんだから、いけるところまでがんばるというのが子供の若々しさだと思います。うまいこと、楽をして受かろうなんて子が、その後の受験で、人生で、幸せになれるとは思えません。どこか悟っているような感じで、子供として魅力を感じませんでしょ。それを親が、先生が先頭に立って、ガンバレーみたいな感じで必死で、でも、子供のほうがしらけてしまっているとしたら、何かがおかしいというべきでしょう。
 ちなみに、なでしこさんの息子さんのほうは、一歩一歩こつこつのぼっていっているという感じです。最初のときの、聞き取れないほどの声も今はずいぶん大きくなりましたし、何よりも数学のセンスがよくなった感じがします。はじめのころの、私の授業を強いられているという雰囲気は、今はまったく感じません。それだけでも大きな進歩でしょう。なでしこさんのご努力のおかげです。こういう子が、いずれみんなから、「かしこい」と思ってもらえるようにしなければ、と思っています。

 勉強とは、私が中学、高校のとき、そうであったように、めらめら燃え立つようなものを本人が発しながらがんばったほうが身につきますし、そのほうが健全なわけです。子供のすばらしいところは、打算で勉強などしないことです。
 サッカーのオシム前監督、この間のNHKの「プロフェッショナル」という番組に出ておられた、堀川高校の校長先生などは、そのことがよくわかってられるように思います。あの校長先生の「ぼんやりと空気を読む」という言葉やここぞというときの行動力に、私は、ただものではないものを感じました。きわめて、ポイントをおさえるのが上手です。子供を動かす(動いてもらうと表現したほうが適切でしょうか)つぼをよく心得られている方でしょう。
 さて、荒川静香さんでしたね。この方も周りから、がんがんとプレッシャーをかけられ、つぶれた経験を持っている方です。もったいぶっているわけではないんです。むしろ、皆さんと私自身の気分転換にいいかなと思っているのですが、、。次から次へと、書いてくれーと訴えかけてくるものがあるものですから、、。次回にはきっと、、。

2007年12月17日 14:43:05
 いろいろ、お問い合わせ、ご質問いただきありがとうございます!うれしいです。今後ともよろしくお願いいたします。1週間以内には必ずお答えいたしますので、、。個人的には、昼間(浪人生あたりでしょうか?)か早朝(6時から7時とか)、深夜(10時40分、50分あたりから)でもよいというお宅がありがたい(まだまだあいています。今すぐ教えられます!)ですが、贅沢(ぜいたく)はいえませんね。とりあえず、私をご希望という方がいらっしゃったら、ご連絡ください。お待ちしております。どんなお問い合わせにもできるだけ誠意をもってと思っています。
 で、ご質問にお答えする中で、気になったのが「中学受験で、中学に入ってから、そのあと、だらけるという話を聞いたことがあるのですが、心配です」という疑問です。これについて、以前書いたことと重複するところもあるかと思いますが、簡単に記させていただきますね。
 荒川静香さんはちょっと待ってくださいね。ほんと、すいません。私はタイムリーな話題を優先してしまう癖がありまして、。
 私自身は、中学受験するかしないかより、問題なのは、子育てに対する基本的な考え方であると思います。まず、中学受験するとしたら、受験後も勉強し続ける状態が続くということを伝えること。冗談にも、中学受験後は、のんびりできるみたいなことを言ってはいけないと思います。
 それから、日ごろから、子供に対して先回りをして、配慮をしないこと。スケジュールとか、金銭とかにルーズな子に育てないこと。これが、大事かと思います。私は、スケジュールを私のほうの都合でめったに変更しないのですが、お母さんが子供に配慮して、先回りしてあれこれスケジュールを変えるお宅があり、その多くがだらしない子供さんというお宅のような感じです。子供のスケジュールを変えなくてはならないというとき、もし工夫によって、スケジュールを変えなくてすむようでしたら、変えずにすますことを、ぜひお考えください。こういう困ったときこそ、チャンスだと思ってください。子育ての、絶好のチャンスです。スケジュールかえないとだめかもという、そういうときこそ、子供に忍耐力や工夫を伝えるチャンスかと思うのです。もちろん、私は、変えてくださいといわれれば、スケジュールを変えますよ。できるだけ快く、、。でも、そのあと、子供がいい方向に進まないというのが、とても多いのです。せっかくのチャンスをつぶしてしまって、子供をだめにしてしまうという感じなのです。
 多少スケジュールなどの条件が厳しくても、がんばりぬいたという子のほうが、あとあと頑張りがききますし、やる気がでるという子が多いです。なでしこさんの娘さんがそうですし、亡くなった彼女がそうです。二人とも、朝弱いのに、早朝がんばって起きてきました。今私がこう書いているのをご覧になって、まさにうちのことだわ、と思われているお宅もあるかと思います。本当に、私自身の経験から、絶対に言えることです。これも、私の「魔法」の一部だと思って、信じて一度、上の鉄則を守って、子供さんとかかわってみてください。で、何かありましたら、またご相談ください。取り急ぎ、文章乱れているかもしれませんが、その点は、よろしくお願いします。

2008年1月16日 12:23:03
 遅ればせながら、寒中お見舞い申しあげます。
 お正月早々、にゃっきさんとパソコンでお話をしようとしたのはいいのですが、夜なのに、思わず、おはようございます、と言ってしまいました。早朝も教えたりするので、そのせいで時間感覚がおかしくなってしまったのか、あるいは、「こんばんは」と「あけまして」のどっちを言おうか迷って、つい「おはようございます」とでてしまったのか、よくわかりません。両方かもしれません。正月早々なんというどじを、、。
 にゃっきさんは、なんともないという感じで応じてくださいましたが、少し赤面してしまいました。妻に「こういうことってあるよね」と、あとで必死になって言ったら、いつもは反応のいい人が無表情でした。
 だれだってありますよね。私だけではないですよね。
 にゃっきさん、さらっと流してくださり、ありがとうございました。
 ほっ。

 ところで、正月早々なんというどじを、と書きましたが、私は、縁起が悪いとかは思っていません。いちいちこういうのに縁起を担(かつ)がないのが、しいて言えば、私の「縁起担ぎ」といえるでしょう。
 縁起担ぎに、神経を配るくらいなら、野口みずきさんの「走った距離は裏切らない」という言葉を復唱するほうが、よほど、私たちにプラスになるのではないでしょうか?受験でものをいうのは、「合理的努力」です。単なる根性主義も、縁起担ぎ同様、私はお勧めできません。
 とくに、親御さんが熱心な分、子供さんが、おとなしい、だらしないというのを見たりすると、親御さんご自身にも、「合理的努力」が求められると思ってしまいます。「忙しい。忙しい」と言ってられるお母さんがいらっしゃったら、その忙しいもののうちどのくらいが、子育てにつながっており、どのくらいが「子供の介護」になってしまっているかを、整理して考え直すというのもいいかもしれません。
 その子供とのかかわりの難しさ、大事さを、荒川静香さんで、考えて見ますね。

 やっと、荒川静香さんですね。この方は、本当に天才肌の人だったんですね。ほかの子がマスターするのに苦労するようなワザを、簡単にほぼ一発でマスターしてしまった子だったらしいんです。学生のころから、突出した存在だったらしいんです。ですが、そんな彼女が、前にも、申したように、年齢的にはぎりぎりで金メダルをとったような形になったのですね。
 どうしてこうなったかというと、あるとき、スケートの大会で彼女がターンに失敗して転んだか何かして、マスコミにたたかれたことからきたらしいのです。実際、マスコミは彼女をたたいたのかわかりませんが、「たたかれた」と彼女は思ったのでしょう。マスコミに対して強い反発心を持ったらしいのです。で、マスコミに背を向けるということをしだしたのですね。マスコミの個々の担当者も人間ですから、「つんつんした」彼女の態度を今度こそ、「たたき」出したのですね。そうしたら、彼女は、絶不調におちいってしまったのです。彼女は心から崩れていったといえるでしょう。で、一時期スケートをやめてしまった時期があったらしいんです。ここで、あるいは、これ以前のどこかで彼女の考え違いを誰かが彼女にしっかり伝えていたら、彼女は、こんなに苦しまなかったと思うんですよね。マスコミが悪い、マスコミがだめにした、彼女の周りからは、そんなコメントが多かったように思います。
 でも、本当にそうなのでしょうか?私は、そのとき、誰かが、「マスコミが悪いと思っている限りは、君は大成することはないだろう」みたいなことを言ってあげるべきだったと思います。私が知る限りではだれもいなかったみたいです。彼女を守ることを考えて、本当に彼女に必要だった発想の転換を伝えてあげる人はいなかったのですね。もしかしたら、どなたかがおっしゃったかもしれませんが、彼女の心に響くような言い方をしなかったのですね。
 で、スケートから離れた彼女はどうしたかというと、賢明な彼女は大学にはいって、確か「スポーツ心理学」みたいなのを勉強して、やっとあることに気づいたらしいのです。マスコミを敵に回してはいけないということを、、。で、彼女は、マスコミを避けていた態度を改め、自分から、マスコミの人たちに声をかけていったらしいのです。自分のほうから質問をしていったらしいんです。それから、彼女は、またスケートに復帰して、確か、ドイツのベルリンで開かれた世界大会で優勝したらしいのです。で、この延長線上に、この前のオリンピック金メダルがあるわけですね。私が、彼女を知ったのは、そのベルリン大会のあとでした。本当は、そのころ彼女を取り上げようと思ったのですが、、。で、そうしたら、先見の明があるなんて思っていただけたかもしれませんね。そんなことに興味ありませんけど、、。
 それに比べたら、高橋尚子さんには、ちゃんとそのあたりを伝えてくれた小出監督という人がおられて、彼女が、サインをどんどん求めてくるファンに対して、少し不快そうな顔をしたら、監督さんから、注意されたらしいんです。「あなたがこうやって走っていられるのは、この大勢のファンのおかげなんだよ。みんなのおかげで、という気でいつもいなくてはいけないよ」みたいなことを、おっしゃったらしいんですね。偉い監督ですね。で、彼女は、いつも走るたびごとに、「みなさんのおかげで、皆さんの後押しがあって」と言葉にも出しますし、心の中でも思うようにされたらしいんですね。もちろん、マスコミにもいつも明るい表情を絶やさない方ですよね。こういう方が、大体において、競技ではうまく行くことが多いように思います。
 高橋尚子さんは、もともとはそんなにすごい子ではなかったらしいんですよね。小出監督のところにお世話になるときも、彼女のほうから、必死にお願いした感じなんですよ。で、小出監督も、「自費で参加するなら、いいよ」くらいな感じで受け入れたらしいんです。監督もどこの馬の骨ともわからない子という感じで、あまり期待していなかったんじゃないでしょうか。走り方も独特でしょ。普通、そんな走り方じゃだめだなんていじくりまわして、選手をだめにしてしまう監督、コーチが多いんですけどね。小出監督はいじりまわさなかったんですね。ポイントだけをおさえていったのです。それが難しいのですが、でも、それこそが指導者の能力の大きな一部だと思うんですよね。
 大げさな言い方だと思いますか?そうでもないですよ。
 いくつか例をあげましょうか?
 イチロー
というアメリカの大リーグで活躍している野球選手がいるんですけど、彼も一時期つぶされかけた人間ですよ。イチローは信じていただけるかわかりませんが、オリックスに、1位で指名された選手ではないんですよ。2位でもないんですよ。5位とか6位とかいうところで指名された人なんです。ぎりぎりプロ合格という感じです。信じられませんでしょ。
 中日という私が好きな球団の近くの高校出身なので、で、彼も中日ファンだったので、中日のそのときのスカウトがもっと見る目を持ってくださっていれば、と残念でなりません。中日のユニホーム似合った思いますよ。人を見る目の難しさで、ほとんどすべての球団のスカウトから、イチローはもれていたわけですね。
 で、それ(オリックスに入団して)からがかわいそうなんです。無名の彼は監督から大事にされなかったらしいんですね。彼も独特な打ち方をしますでしょ。右足をぶらーと上げて、、。「振り子打法」とか、今はかっこいい名前付けられていますが、その当時は「何かへんてこな打ち方しているな」くらいにしか思われなかったのでしょうね。彼は、人を見る目のない当時の監督から「そんなうち方じゃ打てないよ」とさんざん冷たくあしらわれていたらしいんです。彼はあるとき涙を流したというのも、どこかで読んだ記憶があります。あのまま、あのようにレベルの低い監督ばかりがイチローの上にいたら、きっとイチローはとうの昔につぶされていたかもしれません。また、イチローがその監督の言うとおり、自分の打法をいじくりまわしていたら、今日のイチローはなかったかもしれません。そう思うと、恐ろしいともいえますよね。
 最近そういえば、イチローがマリナーズという、彼が所属する球団との契約期限が切れるというときになって、マリナーズの監督がシーズン中に解任されたというのがあるんですけど、それは、監督とイチローが対立関係にあった(ホームランを打ったイチローに、監督が、ホームランの前の空振りを批判したりして、イチローは、彼なりに考えた結果のことだったので、大いに不満だったらしいんですね。こんなことがいっぱいあったらしいんです)ということと関係があるんですよ。でも、このときは、すでにイチローのほうが力関係で上だったということですね。それで、契約更改を前に解任されたのが監督のほうだったわけです。スーパースターになってしまった彼だからこそ、こんなことがおきるのですよね。
 さて、イチローの入団当時の話にもどりますね。みる目のない監督のもとで、ずっと使われることのなかったイチローでしたが、ありがたいことに、次に監督になった方が、仰木(おおぎ)監督という人でした。地味ですが、名監督ですね。この人は、もう故人(つい最近なくなりました)なのですが、無名のイチローをとても高く評価してくれたんですね。鈴木一朗をイチローと呼び方を変えたのも、確か、この仰木監督ですよ。なかなかのアイデアマンでしょ。早速一軍にいれて、打たせてみたら、あの活躍ぶりです。ポンポンポンポンヒットを打つのですよね。その後はご存知のスーパースターへの道を突き進むことになったんです。仰木監督は、ひょうひょうとした監督なんですけど、で、ガンガン引っ張っていくという感じでもないんですけど、みんな頑張るんですね。
 彼がアメリカの大リーグに行くことになったとき、で、世間のスポーツ評論家の多くが、打法を変えないと、と言っているときに、この、仰木(おおぎ)監督だけは、「変える必要はない。変えるとしたら打順くらいかな」といわれたというのが、テレビで最近取り上げられていましたが、このあたりにこの監督の偉さがあるわけですね。何を変えて、何を変えてはいけないかをきちんとおさえられているという印象を持ちました。
 中日の落合監督も、選手時代、前人未到の記録を打ち立てた人ですが、この人も同様の冷遇を受けたことのある人です。私は思うんですが、こういう花開いた人はまれで、むしろ、失意のうちに、去っていった選手も多いのではないでしょうか?指導者の見る目みたいなのは、とても大事なんだって思ったりします。「名伯楽(めいはくらく)」なんて言葉もありますしね。

 はじめの荒川静香さんの話にもどりますが、何千何万の声を声援と受けとめて走る、演じるというのと、それをプレッシャーとして受け取ってしまうというのとは大きな違いでしょう。そういうのをタイミングよく、彼女の現状に即して、彼女にわかるようにアドバイスするということが、意外に難しいのですね。彼女のお母さんは、彼女の衣装を一生懸命になって作られた、とても立派で、献身的な方だったのですが、やはり、マスコミが、、みたいなことを言われていたようで、このあたり、そういうことの知識がないと、意外に難しいのかもしれません。無知は怖いのですね。人は知っているつもりで、何も知らないのです。で、マスコミがわるい、という一見当然の判断をするのですね。彼女も大学に入ってまでして、やっとわかったという感じですから、周りの人たちの反応も無理のないところなのかもしれないですね。

 このような心のあり方の問題は、子供の勉強に関してもいえることかと思っています。先日、私が教えている子が聞いてきました。
「おじいさんがテストがんばれ、がんばれってうるさいのだけど、どうしたらいいのですか?」
というようなことを、、。
 彼女はそれが気に入らなかったみたいなんです。おじいさんが大嫌いみたいなのです。で、嫌うと、さらに、怒ってくるらしいんです。確かにしつこくいわれるといやですよね。かえってやる気がなくなったりします。で、皆さんでしたら、「ひどいおじいさんだな。そんなおじいさん無視したら」みたいなことをおっしゃりますか?
 で、私は、本人にどう伝えたかというと、「うん、がんばる!ありがとうね」とできるだけ、明るく答えるように、と伝えました。そうしたら、しつこくなくなるよって、、。しつこいのは、こちらの言うことを聞いているのか、とか思うからしつこくなるのですよね。その子のことを思ってなんですよ。で、嫌われると、「このやろう。俺(わし)の気持ちがわからないのか」くらいになるのですね。彼女の話では、ものすごく怖いおじいさん、「変な」おじいさんらしいので、彼女も私のアドバイスに半信半疑のようですが、今のところ、彼女からだめだったという話は聞いていません。
 よく「うちは特殊なんです」「あの人は頑固なんです」とか言うことをお聞きすることがありますが、そういう方ご自身の発想が特殊なのではないかと思ったりもしたりしています。少なくとも、そう思って行動してちょうどいいのだと思います。
 たとえば、「田口先生がこうしてください、と言ってた」みたいなことを、ご主人におっしゃって、ご主人が激怒したので、「主人に言っても聞いてくれないんです。あの人は頑固なのです。あの人に言っても怒らせるだけで、むだです」とおっしゃるお母さんがおられましたが、私は多くの大人が「田口先生がこうしてください、と言ってた」みたいなことをいわれたら怒るのではないかと思ったりします。たとえば、「田口先生がこんなことを言っていたけど、お父さんどう思う?我が家だと難しいかしらね」くらいに話していったほうが、ご主人にはスムーズに受け入れられるかと思うのです。で、すぐには変わらないと思って、様子を見ていると、たとえば田口の言っている通りに物事が行くということがわかって、初めて、ご主人は、というか、大半の大人は動き出すのではないかと思います。私だって、これこれこうしてください見たいなこと突然を言われたら、いやですよ。とりあえずは反発しますよ。皆さんだって、おいやですよね。
 それは、その人が言っていることが正しいか間違っているかという問題ではないのです。理屈が正しいから、その通り人は行動しなければ、というのは、ご自分で思うのはいいですが、人様に求めるのは危険というべきでしょう。
 この彼女に関しても同じ事が言えます。おじいさんに対して、いやそうな顔をして「がみがみ言わないで」というのは、その子の行動として、ある意味とても正しいことです。でも、正しいことがよい結果を生むわけでもないわけで、このあたりを、そのおじいさんの気持ちを考えて上手に対応してあげることでしょう。で、私たちはその知恵を授けてあげることでしょう。彼女は演技してでもいいから、明るく答えてあげることでしょう。で、そのおじいさんをせっかくだし、味方につければいいのだと思います。これは、荒川静香さんのときのマスコミと同じですね。避けると、かえって危険なのですね。むしろ、それを励ましと思って正面から受け止めて、それを自分自身のエネルギーに変えてしまうというくらいの気持ちで臨めばいいのだと思います。
 どこかでも記したかと思いますが、マイナスのエネルギーは、それと同じくらいプラスのエネルギーに変わりうると思っています。
 こういうちょっとしたところで、今までと違った行動をすることによって、物事はひとりでに解決していったり、するものではないかと思います。たとえば、その子が、おじいさんの一言一言を煙たがったりすると、それは、ほかのところでも飛び火して、さまざまなところでいやな思いをしたりするわけですよね。
 「人を嫌うことは、かゆいところをかくようなものだ」という言葉がありますが、人を嫌うと、多くの場合、さらに不愉快なことに遭遇することになると思います。それは、かゆいところをかけば、さらにかゆみがますのと同じわけですね。
 ちょっとの違いが大違い。そう思いませんか?
 ちなみに、私は、先日、そのおじいさんから、お歳暮をいただきました。そのご家庭からでなく、、。なにか、とてもうれしかったです。ありがとうございます。





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