2002年5月18日 21:18:05と2002年5月22日 0:00:15
子育て考。いつも思うのは、子供に対する親、あるいは、周りの人間の影響です。で、今日は、親がどういうかかわりをすると、子供がどういう子になるか、このあたりに焦点を当てて、お話しましょう。といっても、私がかかわってきたご家族は、150くらいで、多いと思われる方もいらっしゃると思いますが、統計学的に見たら、母数が必ずしも多いといえないかもしれません。一方で、私は、きわめて身近に親子関係を見てきているわけで、かなり具体的な事実関係を把握できているとも思っています。私が申し上げていることが、当てはまるかどうかは、皆さんの実体験と付き合わせてお考えいただければと思います。
そのまえに、皆さんに、簡単な質問をいたします。あなたが、学生でしたら、あなたのご両親のどちらかを、思い描いて、お答えください。
1、あなたは、突然、子供が、クラブの用事で、その日の、あるいは、次の日の家庭教師を休むといってきたら、なんといいますか。4択くらいを用意いたしましょうか。
ア、すぐに休むと、家庭教師に連絡する。
イ、子供をしかりつけて、クラブを休ませる。
ウ、今回は仕方ないけど、次回からは許されないと注意して、家庭教師に連絡する。
エ、その他。
2、子供に、できるだけ家族のスケジュールを早めに、詳しく伝えようとしてますか。yes かnoでお答えください。
3、子供を空腹にすることはよくないことだと思いますか。yes かnoでお答えください。
4、子供が風邪を引いたら、すぐ医者に見てもらいますか。yes かnoでお答えください。
5、子供が風邪を引いたら、すぐに薬を飲ませますか。yes かnoでお答えください。
6、子供が受験のとき、テレビを一切見ないと決め、子供とともにそれを実行したご両親がいます。共感しますか?yes かnoでお答えください。
7、子供が受験のとき、その子供(当時高校3年生)を残して、恒例の旅行に出かけるご家庭がありました。共感しますか?yes かnoでお答えください。
8、子供が小さいころだとして、おもちゃ売り場の近くにきたら、そこから子供を事前に遠ざけようとしますか?yes かnoでお答えください。
以上は私が実際に出会ったケースから、今思いついたものを、書き出してみたものです。お答えはどれがいいということはありません。それはその家庭それぞれですから。ただ、こういう子供に対する、普段の、時には何気ない行動が、子供の性格、ひいては、学力に大きな影響を与える、ということは、知っておいて損はないと思います。次回から、うえの質問事項についての、私なりのコメント(実体験に基づいた)をしていくつもりです。
2002年5月26日 0:47:57
上の、「1、あなたは、突然、子供が、クラブの用事で、その日の、あるいは、次の日の家庭教師を休むといってきたら、なんといいますか」について、私のコメントを記します。
私は、何度か、突然、教えにおじゃまする直前に(ひどいときは、2,3時間前)「今日休みたいんですけど」というような連絡をいただいたことがあります。病気で、というのでしたらわかりますが(これはこれで、私は別の指導を彼ら教え子にしなくてはなりませんが、、、)、むしろそうでない場合のほうが多いです。クラブとか、家庭の用事とか、が理由の大半になります。なかでも強烈なのは、おじゃましたときに突然「今日早めに終わらせてください」といわれたときです。ご両親がはっきり理由をおっしゃらないので、あとで子供に聞いたら、外食にいくから、だとか。私にはそういう感覚がよくわからない(あとでお分かりいただけるように、決してそのお宅を蔑視しているわけではありません。私は基本的にそういう発想からお書きすることはありません)のですが、そういう話は、そんなに突然切り出すものなのでしょうか。私の常識にはないことで、逆にそのご家庭では、当たり前のことなのでしょうが、そういうお宅の子供は、まず、宿題その他に関してだらしないことがほとんどといえるので、私は、あくまで教育上の観点から、あまり(本音では、ものすごく)よくない、と言うお話をして、そういうあり方を考え直してもらうよう促させていただいています。私の仕事は、本人の学習能力を高めることにあります。私の常識とそのご家庭の常識とが違う、ということは私の関心事ではありません。いろんなご家庭があっていいと思いますし、むしろそれが自然だと思います。しかし、それが本人の成績上昇の阻害要因になるようでしたら、やはり、立場上、注意を促さなくてはなりません。成績が下がってもいいから、我が家の好きにさせて、といわれたら(そういわれたことはありませんが)、私は何もいうことはないと考えています。
私は、上の選択肢の、「イ、子供をしかりつけて、クラブを休ませる」が、教育、あるいは、しつけを考えたとき、最もよい対応の仕方だと思います。まあ、ほとんどのご家庭がそうするので、皆さんの多くもそれを選択されたかと思いますが、子供の申し出た、突然のスケジュール変更には、可能な限り厳しい態度で臨むべきだと思います。「ウ、今回は仕方ないけど、次回からは許されないと注意して、家庭教師に連絡する」も問題ないと思いますが、次回同じようなことをいってきたら、必ず、厳しい対応をする必要があると思います。きちんと勉強する子達は、決してこんなことを言い出しません。スケジュール感覚が希薄だから、このようなことを言い出すのです。同じような、あるいは、まったく同じクラブなどに入っていても、子供により正反対の行動をしたりします。間際にいってくる子もいれば、スケジュールがわかり次第、あるいは、スケジュールが確定する前から、もしかしたらという形で伝えてくる子もいます。そのあたりがきちんとしない子も、私が、「遅くても、1週間前にスケジュールの変更はすること。その前だったら受け付けない」みたいなことを言って、なぜ、私がそういうことを言うのか、上のような話をして理解してもらうと、子供のほうがきちんとしてくれる場合が多いです。親のほうがむしろこの点頑固だったりします。子供のほうは、大体において私を多かれ少なかれ、尊敬してくれるところがあり、そのせいもあるかもしれません。でも、そうして、子供のスケジュール感覚が、変わってくると、勉強姿勢や成績そのものも、タイムラグはありますが、一皮向けたように、ぐっとよくなったりします。
スケジュール感覚というのは、このように、人によっても違いますが、国によっても大きく違うようです。発展途上国で、経済発展に課題を抱えている国がありますが、スケジュールにルーズな(よく言えば、のんびりした)国民性が災いしている、といえるかもしれません。いろいろなところで、同様な論理を展開できるかもしれません。日本がこれほどまでに発展してこれたのも、ひとつは、スケジュールや約束をきちんと守る、という国民性のせいではないでしょうか。
私が、今でも、敬意を表している、ある女の子の話をいたしましょう。ある日、そのお宅におじゃましたら、お母さんが、「うちの娘、さっき見たら、カゼで寝込んでいたのに、大丈夫かしら」と、玄関先でおっしゃいました。彼女の部屋は2階にあるのですが、上がっていったら、本当に寝込んでいた子なのか、とこちらが思うほど、いつもと変わらずに、ごく普通に机に向かって、勉強していました。私が、「大丈夫?」と聞いたら、「うん」といっていつものように、わからないところを質問してきました。こんなエピソードのとても多い子です。この子は、周りから天才、といわれるほど、勘のいい、賢い、しかも性格のいい子でした。でも、根性もありますでしょ。単に「彼女は天才」といって、私もこの仕事をしていなかったら、納得してしまいそうなんですけど、つぶさに観察したら、決してそんなことはなさそうです。風邪なんかで休むのは、彼女にとって考えられないことなのです。決して、体の強い子ではなかったですよ。私のスケジュールを(おそらくは、友達の多い子なので誰とのスケジュールも)とても大事にする子でした。一方で、ちょっとしんどいと「風邪を引いたから、今日休ませてください」といってくる子もいました。どちらが勉強できたか、それだけで、ご想像つきますでしょ。もちろん、これは極端な例ですが、、、。カゼをちょっとひいては休む子に対して、私がどう対応したかは、あとでお話しする機会を設けましょう。
2002年5月29日 23:15:50
閑話休題。最近インターネット上で、家庭教師登録のできるサイトを発見して、とりあえず登録はタダらしいので、登録してみたのですが、同じ業者でも、対応がぜんぜん違うのに驚きました。こちらの思う存分書かせてくれるようなフォーマットを提供してくれるところもあれば、字数その他で、とても制約の多いところもありました。中でもぜんぜん違うなと思ったのは、登録後の対応です。即座にEメールで連絡してくださるところもあれば、まったくなしのつぶて、というところもあります。大体において、フォーマットの書きやすさと登録後の対応のよさは、比例関係にあるようです。私が、その中で最も好感を持ったのは、この私のサイトのトップページでもURL(ホームページのアドレス)を載せてご紹介させていただいているABEL(アベル)さんです。Eメールでわざわざ登録内容一切を送ってきてくださって、これでいいですかという念の入れようで、しかも、こちらが、なぜか文字化けしている部分を指摘して、返信したところ、確か、一日もしないうちに、その返答が来て、しかも、私のホームページがあることをお知りになってか、相互リンクを申し入れてくださいました。私のほうから、早速リンクをして差し上げたところ、すぐにあちらからもリンクをしてくださった旨、ご連絡いただきました。で、そのあと、私の本自体もホームページを持っていることをお知りになって、そちらへのリンクもはってくださいました。一日に700もアクセスがあるとのことで、きっとお忙しいのにと、敬意を表するばかりです。こんなに褒め上げているからって、あちらから、一銭ももらっていませんよ。やっぱり人間誠意が一番と思った次第です。インターネット上でも、このことは変わりませんね。誠意とは、うそをつかぬこと、そして、できる限りすばやい対応をすること。結局この二つに尽きるような気がします。このことをABEL(アベル)さんから、改めて知らされました。ご興味のある方は、どうぞ。(後注:アベルさんからは、知らないうちに、一方的にリンクがはずされていました。経営者の方がかわられたみたいで、、。なにかさびしいです。下のリンクは残しておきますが、リンク集からは削除させていただきました。よろしくご理解ください)
http://www.justice.ne.jp/
2002年6月2日 23:23:18
このページ一番上の「2、子供に、できるだけ家族のスケジュールを早めに、詳しく伝えようとしてますか。yes かnoでお答えください」について、私のコメントをいたします。
上のどこかでも述べたように、スケジュールに対する感覚は、とても大事です。したがって、親御さんは、早めにスケジュールを本人に伝えて、しかもそれをころころ変えない、ということを心がけたほうがよいように思います。私がだらしないから、子もだらしないの、と平然と(?)おっしゃるお母さんもいらっしゃいますが、あるいは、子供に言うと、いろいろ聞いてくるのでうるさいからスケジュールは事前に教えたくない、とおっしゃるお母さんもいらっしゃいますが、こういうことにあまり手を抜かないほうがいいのではないかと思います。親の背を見て育つといいますが、子供の行動は、親が何を言ったかよりも、親が何をどうしたかに大きな影響を受けるようです。
私たち家庭教師の仕事のひとつは、勉強がわからないとか楽しくないとかいう子に、勉強の楽しさ、面白さを伝えることで、これはとても大事なことだと思うのですが、そしてこれも通常そう難しいことでもないのですが、ただ、勉強というものは、通常期限があり、いつまでにどこそこをマスターしなくてはならない、少なくとも、学校では、定期的にそれを確認するテストがあって、そこそこの点数で、それをクリアーすることを求められ、それでもって能力を評価される、という側面があります。どうしても、人から、あるいは、システムから、強制されるという側面をもつわけで、これに難なく適応する子と、うまく適応できない子とでは、最終的に大きな学力差が出てしまいます。ある高校生で、大学受験間際で、突然私が教えることになったので、これは大変と、一回に4時間教えてもいいかと聞いたところ、がんばってみるといったので、教え始めたら、せいぜい3時間がいいところとわかった子がいました。もちろん3時間ぶっ続けですが、私の教え方をもってしてもと、ちょっと悔しい気分でした。小学校のときは、とても頭のよい子だったそうです。おそらく、彼を、小学生のときに教えたら、まったく抵抗なく、4時間教えられたと思います。なぜなら、私が教えてきた小学生は、彼の弟も含め、ほとんど誰もそれを苦にしていないし、していなかったからです。幸い、彼は志望校にすれすれ合格をしましたが、私としては、ひやひやものでしたし、今も彼は、大学で、勉強の点では苦労しているみたいです。中学から高校にかけて、ほとんど机に向かったことがなかったという習慣が災いしたのでしょう。小学生よりも高校生のほうが辛抱がきかないというのは不思議な感じですが、どうもこういうことはよく経験するところです。同じ兄弟でも、弟のほうが、長時間集中できたりとか、、、。一方で、きわめて集中力の高い、スケジュール感覚のしっかりした高校生もいて、こういう、学習習慣みたいなものは、時間がたつにつれて大きな差になって現れるもののようです。
これからいえることは、勉強する癖を、あるいはスケジュールを守る癖を知らないうちに身につけている子は強いですし、その逆のことも言えるということです。ただし、注意していただきたいのは、勉強しているように見えて勉強していない子もたくさんいるということです。これに関しては、2002年4月29日(2ページ目)で触れていますので、そちらを参照していただければと思います(私の本(トップページ参照)では、「勉強のうわすべり現象」としてさらに詳述していますが)。
先日も中間テストで、ほとんど全科目5点から10点くらいしか取れなかった高校生が、平均して50点前後をとったというのを経験しました。もちろん私に家庭教師を変えてからです。彼いわく「何よりもテストを埋められたのがうれしい」と。特に物理ではトップクラスにまで達しました。前にもどこかで申し上げたように、中間、期末で成績を上げることは私にとって難しいことではありません。ただ、それで満足するのも、私の主義ではありません。いい点を取って、結果を出したと判断されて喜ばれるご両親もいますが、私にとっては道半ばで、むしろ「登山の入り口に立った」気分です。なぜ、彼あるいは彼女がよい点を取れずにいたか、にもメスを入れ、その行動に変化をもたらす必要がある場合、これにも取り組んでいかなくてはいけないとも思っています。なぜその子が「左手」であって、「右手」になれないのか(2002年3月14日(1ページ目)参照)、このあたりもしっかり、ともに考えていく必要があると思います。もとより、個々人によりそのアプローチはまったく異なるわけですが、最終的な目線をそのあたりにすえておくことはとても大事なことだとも思います。
2002年6月8日 22:59:56
閑話休題。最近見たテキストで、驚いたのをひとつ。これは出版社にとって名誉なことではないので、いずれ出版社から反論があれば、その内容も掲載するつもりですが、とりあえず、私の意見を言わせていただきます。出版社名は受験研究社。私もこの会社にはとてもお世話になっており、だからこそ、何でこんなテキストを、と思うので掲載いたします。テキストの名は、小学生の使う中学受験用の、「年代すいすい暗記」というやつです。教えさせていただいているお宅においてあったので使ってみようと思って使い出したのですが、年代の選定に明らかに問題があると思われるので、記しておきます。日本史をちょっと勉強した人ならお分かりと思いますが、1333年鎌倉幕府滅亡は、ほとんど必修事項でしょう。それがこのテキストにはないのです。
ちなみに、私は、これを「イチミサンザン北条氏」とゴロでおぼえた覚えがあります。もっとも私がゴロで覚えたのはこれくらいで、ほかはまともに覚えたのですが、どうも、すべてゴロで、とか、すべてゴロでなく、とかにこだわる必要はなく、年代年代で、臨機応変におぼえ方を工夫していったほうがよいようです。たとえば、明治維新のあたりは、1869年、1871年、1873年と、2年おきに重要な出来事が発生しているので、これは素直にこれに従って、年代を覚えたほうが楽ですし定着もいいように思います。
話が横道にそれましたが、1333年鎌倉幕府滅亡を年代の中に入れていないのは、手落ちだと思います。そうかと思えば、卑弥呼が死んだ年とか、それこそどうみても覚える必要のないものもたくさん載っています。こんなテキストが堂々と売られているって、なんか変ではありませんか?しかも受験研究社という立派な、どちらかといえば、メジャーな会社で、、、。さらにいいましょう。723年三世一身法(さんぜいっしんのほう)、743年墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)も載っていませんでした。この時点で、私は、このテキストは、だめ、と判断しましたが、もっと見ていったら、もっとあら捜しができたかもしれません。もっとも、あら捜しは私の興味のあることではないので、やめましたが、、、。で、私はかわりになるテキストを探しにいきました。が、小学生、中学生用のテキストでは、いいのが見つからなかったので、高校生用の「日本史年代すいすい暗記」というのを買ってきました。こちらはとてもまともです。卑弥呼が魏に使いを送ったという239年はのっていますが、冗談にも、卑弥呼が死んだ日などは載っていません。実は同じ出版社、つまり受験研究社のテキストです。どうしてこうも違うのでしょうね。ご興味のおありの方は、本屋さんでご確認ください。同じ出版社で、同じような体裁で、中身はぜんぜん違う、というのは私も何度か経験してますが、わかるとその実態に驚きますよ。
なんでもそうですけど、体裁にだまされちゃだめ。私のホームページもそうですよ。何だ、この文字だらけのホームページは、なんて思わずに、ご興味のあるところを拾ってください。教育に関して、ものの考え方に関して、新たな刺激が得られると確信しています。
ところで、、高校生用のテキストを小学生に使って大丈夫?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、このテキストに関しては、大丈夫です。高校生用のテキストのほうが、分厚いんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、どういうわけか、ほとんど大きさも厚さも変わりません(小学生用のほうが大きいくらい)。むしろ、この小学生用のテキスト、つまり、中学受験用のテキストのほうが変に細かいところがある感じです。不思議ですね。これほど極端ではないものの、テキストによる当たり外れは大きいので、ご慎重になることをお勧めします。テキストの選定方法については、2002年4月22日(2ページ目)をごらんください。辞書選びという観点から、説明がされていますが、基本の考えは、どんなテキストも同じであると思います。
2002年6月16日 0:10:48
このページ一番上の「3、子供を空腹にすることはよくないことだと思いますか」について、コメントいたします。
一言で言うと、私は、子供がおなかもすいていないのに、食べさせようとしているかのようなお母さんに出会いますが、こういう感じは好ましくないと思います。また、子供が食べられないほどの食事を出すお母さんもいらっしゃるようですが、これも教育的効果を考えると、よくないように思います。「ハングリー精神」といわないまでも、子供に精神的強さを求めるなら、子供がおなかをすかせたころに、食べられる量を、あるいは、それよりちょっと少ないくらいを出してあげるのがよいと思います。毎日毎日満腹状態で、いつもご飯を残すことになれている子が、どういう精神構造を持つことになるかは、おおよそご想像がつくと思います。
ちなみに、私自身は、意図的に空腹になることがあります。私の知っている限りでは、空腹になると、体の免疫力が高まるらしいのです。一見おかしなことのように思われますが、どうも、空腹になると、体が、やばいって思うらしいというのが事実のようです。ですから、断食というのも、健康のためにするらしいです。「腹八分目」ということわざも、この辺りに関連したものといえると思います。
がりがりの子が不思議なほど健康で、ぶくぶくに太っている子がよく体を壊すというのも、これとどこかしらでつながっているかもしれません。
2002年6月22日 22:10:37
閑話休題。Eメールの世界って、結構ドライなんだなあって、思ったことはありませんか。対人関係に心配りをすることに人一倍神経を使う京都の人と長年お付き合いしてきたせいか、時々個人のEメールの、あまりにぶっきらぼうなのに、目を白黒することがあります。Eメールを送っていただいたので、できるだけ誠意を持ってお答えしているつもりなのですが、さんざん答えさせておいて、あるときから、ふっとまったく返答がなかったりします。一言軽く礼を言ってメールの交換を終了してくれてもよさそうなものなのに、と分別臭いことを思ってしまいます。もっともこれが、この世界と割り切るべきなのでしょう。こんなことをいうと、手前味噌に思われるかもしれませんが、京都の人は、メールを送るにも、そこら辺をわきまえている方が多いように思います。(後注:これは、ホームページを作ったばかりのときの感想で、今は、どこの地域の方も、誠実な方が圧倒的に多い、という印象を持っています)
京都は、誰にでも敬語を使いまくる土地柄で、そういう雰囲気も影響しているのかもしれません。例の「はる」というやつがその敬語の代表的なものです。「うちの子が、こんなものを食べはって」とか、「そしたら、大変やさかい、こんなものにしはったらいかがですかぁ」みたいな表現を日常的に聞くことができます。私は京都出身でないので、また男であるせいか、「はる」をいまだにすんなり使いこなせませんが、妻などは、娘に対してもへっちゃらでこの「はる」敬語を使っています。「これにしはったら」みたいに。「れる、られる」みたいに堅苦しくないところがこの言葉のいいところで、ほとんど誰に使っても自然に受け入れられるようです。繰り返すようですが、わたしはこの「はる」がうまく使えません。ちょっと照れてしまう、というほうが正確かもしれません。「そしたら」は好んで使いますが、、、。「そしたら、こうさしてもらいますぅ」みたいに、、、。まだ4歳の私の娘は、かわりに「ほんなら」を好んで使うみたいです。
これはきっと、京都の方たちが最も誇るべき文化なのでしょうね。京都にこられた方は、ぜひ土地の人とお話ください。そんなとき最もよく文化に接することができるのではと思います。私が京都に住み着いたのも、通常の旅行者のように、寺や名所旧跡を見て歩くだけでは、何か納得のいかないものを感じたからです。
2002年6月29日 23:07:30
このページ一番上の「 4、子供が風邪を引いたら、すぐ医者に見てもらいますか。yes かnoでお答えください。5、子供が風邪を引いたら、すぐに薬を飲ませますか。yes かnoでお答えください」についてコメントいたします。
結論から言うと、あまりこういうことに神経質にならないほうがよいと思います。私が以前教えた子で、とても体の弱い(精神的にも)子がいました。その当時高校生だったのですが、お母さんは、その子がかわいくて仕方なかったのか、小さいころから、カゼだというと病院に連れて行き、注射を打たせていたみたいです。そのときはすぐなおったかもしれませんが、長い目で見ると、体が自力で直る力を奪っているみたいなもので、あまりすすめられる行為ではない様に思います。よく、そのお宅から、こんな電話を朝早くから、いただきました。
「今日休ませてください。カゼなんです。お医者さんで注射を打ってもらったので、すぐ治ると思います」
同様のことが、風邪薬にも言えると思います。できるだけ、予防を心がけるべきで、ちょっと風邪を引いたといっては、薬というのもどうかと思います。私は、ここ10年で、風邪薬を飲んだのは、1,2回ほどで、我が家に風邪薬は置いていません。腹八分目を心がけること、うがいを、暇があったらすること、のどがちょっと痛くなったら、あるいは、ちょっとせきが出るようになったら、のど飴(私の経験では、かりん入りがよいように思います)をなめること、チーズを食べること(私にはチーズは風邪薬より効きます)などのちょっとした予防処置を講じることをするだけでずいぶん違います。勉強でも何でもそうですが、ちょっとの差が大きな差になるように思います。
後注:先日(2003年2月前後だと思います)39度はかぜを直すのに最適な温度、というのを「ためしてガッテン」というNHKの番組でみましたが、こうやって、体が最適温度にもっていこうとしているのを、40、41、42度と上がっていくことは、通常ありえないのに、薬をあわてて飲んで、人工的に熱を下げてしまったら、体の免疫能力を下げてしまうだけではないかと思うのですが、、、。これまた先日、娘がかぜを引いて最高で39,40度あたりまで上がったときは、私は、娘に、
「今、からだが、熱を出して、その熱で、ばい菌をやっつけているところだから、かなちゃんもじっとがんばってね」
と、白血球がばい菌を食べている様子を手振りで、説明してあげました。風邪薬は、今回は極力控えたので、心なしか、回復も早かったように思います。じきに治るというような、うそもつかず、長ければ1週間戦わなくてはいけないことも説明しました。子供を安心させようとうそをつく必要はありません。よかれと思ってのうそでも、繰り返すと、「狼少年」になりかねません。「狼少年」たる親に対しては、いずれ、激しいしっぺ返しが来るかもしれません。激しいしっぺ返しをする子供は、私からすると、いい子供で、娘には、私に対しても、必要があれば、そうするよう勧めています。
もとより私は医者ではないので、あまり断定的なことはいえませんが、子供の免疫力を信頼して、冷静に観察する、ということも必要ではないかと思ったりしています。
2002年7月6日 23:12:14
このページ一番上のコラムで書かれている「6、子供が受験のとき、テレビを一切見ないと決め、子供とともにそれを実行したご両親がいます。共感しますか?yes かnoでお答えください。7、子供が受験のとき、その子供(当時高校3年生)を残して、恒例の旅行に出かけるご家庭がありました。共感しますか?yes かnoでお答えください」について、まとめてコメントいたします。
これもよしあしの問題ではありませんが、ただ、受験という観点だけで考えてみると、圧倒的に、6のタイプのご両親のお宅がよい結果を出し、7のタイプのご両親のお宅が、比較的思わしくない結果を出しているようです。私は、受験は、個々人の孤独な戦いであると同時に(この部分が一義的に大事な部分であり、ご家庭の影響をまったく受けない子であれば、これをもってよしとしてかまわないでしょう。問題なのは、そういう子ばかりではないということです)、個々のご家庭のお祭り合戦、総力戦みたいな部分が多分にあるように思っています。受験は、多かれ少なかれ、個人にいままでと比べると、異常ともいえる生活を強います。非日常性が、目の前にあるという点で、お祭りと変わらない要素があります。私は、お祭りにかかわった経験に乏しいのですが、お祭りの前なんか、よくテレビでみると、おじさんや子供たちが、異常に盛り上がっているのを観察できますが、何であんなに盛り上がれるかといえば、非日常的な別世界に、体から浸れるということが大きいと思います。受験にも同様なことがいえて、家族全体で盛り上がるお宅は、本来多少なりとも、辛抱しなくてはいけない、つらい受験勉強も、ムードの中で解消され、むしろ、非日常的なムードを楽しむくらいな気分が生まれたりします。サッカーに熱中する子、野球に熱中する子、あるいはテレビゲームに熱中する子がどうして熱中するか考えてみてください。本来ならつらいこともあるはずなのに、なぜあれだけのハードワークをこなすのでしょうか。みんなで盛り上がれるから、という要素が大きいと思いませんか。
6のご家庭の典型的なお宅では、お母さんが、今年一年間は、テレビを見るのはやめよう、と決心し(もしかしたら、決心などという大げさなものではないのかもしれませんが、、、)、テレビを封印してしまいました。お祭りとは正反対の、「静かな」ムード作りですが、受験生である子供によい兆候が現れたようです。お母さんご自身も、「新聞がこんなに面白いものとは思わなかった」とおっしゃっていて、最初静かな我が家に落ち着きのなさを感じていたのですが、すぐに、非日常的な、新しい生活になれたようです。子供のほうも、新聞をとてもよく読み、平均以下の、センスのない国語力が、受験したころには、かなりハイレベルにまで達したのですが、そして、もちろんそのための本人の努力に、私も手をこまねいていたわけではないのです(どういう対策をしたかは、そのうちに触れる機会があると思います)が、この、新聞を丁寧に読むという作業が効果をもたらしたのも大きいかと思います。1年前には、問題が難しい、難しい、といっていた子が、受験のときには、「今年の問題って、どれも簡単すぎない?きっとほかの子もいい点取るだろうな」というまでに、能力が上昇しました。もちろん、問題が簡単になったのではまったくなく、本人の努力の賜物(たまもの)であることは、いうまでもありません。
一方で、私が、不安に駆られて、いろいろ提案しても、なかなか、行動に移していただけないお宅もあります。むしろこういうお宅のほうが、さきほどのようなお宅より多いかもしれません。子供は子供、親は親、とお考えのようです。生活面ではそうなのですが、つまりムードを盛り上げようという気がない様なのですが、そういうお宅に限って、子供の成績には、とても神経質だったりします。ちょっと成績が落ちると烈火のごとくおこる、というお宅もあります。普段は、のんびりと寛容な方が、点数を見たとたんに、人が変わるのはなぜなのでしょう。本人がやるきを出すような仕組みづくりをしないで、そして、そのために、本人が、情熱を持って勉強に取り組まないで、おのずと成績が悪いのは目に見えているのに、怒るのは、理にかなわないだけでなく、本人のやるきをそぐ効果をも持っていると思います。本来、親御さんは、この逆の行動を取るべきでしょう。つまり、普段の勉強に、適度なかかわり(ポイントを抑えないかかわりも、逆効果を持つということも記しておきます)や関心を持ち、テストは、結果そのものより、どうしたために点が取れなかったか、のような、具体的な事項に興味を払うべきでしょう。で、それがきちんとできないときに、しかるべきで、本人が、今後どうしたらいいのかも示されずに、ただ怒られるだけでしたら、ただ単に、本人がプレッシャーを感じるだけで終わってしまうと思います。
このようなことにかかわろうとするとき、いかに子供が素直で、いかに大人がわがままか、あるいは、かたくなか(ちょっと言いすぎでしょうか)をときどき実感することがあります。
繰り返すようですが、受験というものは、一種異常なものがあります。しかし異常なものは、つい先ごろのワールドカップ、マージャンに熱中するおじさんやお兄さんたち、ファミコンに熱中する子供たちなどにも見ることができます。受験に伴う異常性を逆手(さかて)にとって、それをいかに演出するかが、周りの人間の腕の見せ所だと思います。
幸か不幸か、私は、この非日常性にどっぷりつかる毎日です。私に日曜日以外の休みはありません。時に、日曜日さえも仕事に占領されることもあります。それは、この仕事を選んだ私の宿命といえると思います。こういう生活を十数年やっていますが、ストレスもたまらなければ、つらいと思ったことも余りありません。私自身が夢中になれなくて、人をどうして夢中にできるのか、というのを、無意識のうちに思ってきたからだと、最近感じ始めました。もっとも、情熱を、もろにぶつけて、よい効果が出るかといえば、その子その子によるようですが、、、。
2002年7月13日 23:52:07
閑話休題。先日、問い合わせがありました。でも、口コミだったのではないせいか、どうも私のことを100%信用されてはいないご様子でした。私が、「私が教えると、2時間が、30分くらいに感じると思います」と申し上げたら、冷たく笑われてしまいました。実際に私が教えているのを見てもいないのですから、あるいは、私が教えているお宅を知ってられるわけではないのですから、無理もないかなあと、ちょっとさびしい気がしました。何か、私が教えている場面を、臨場感を持って、知らせる方法はないものかと思っています。今、遠隔授業をしようと思っています。いずれ、その授業を実況して、皆さんに見てもらおう、という私の意図からです。家庭教師先募集の要項のページで、募集をかけているのですが、案の定、問い合わせは、まったくありません。それはそうですよね。皆さん、新しいことには慎重になりますもんね。いずれどなたか、奇特な方がいらっしゃって、興味を示してくれるかもしれません。その日をのんびり待つつもりです。暇でしょうがないというわけでもないので、あせる理由はないのですから。2,3年すると、私の教えているお宅が、引っ越す可能性があるので、それに期待しています。私は、プロとして当たり前の実績や経験をお話しているつもりなのですが、それを大げさととらえる方もいらっしゃるのでしょう。
で、老子という、中国の大昔の哲学者の言葉を思い出しました。「笑わざれば、道となすにたらず」という言葉だったと思います。うる覚えで、正確な表現ではないかもしれません。人に笑われるようでなければ、道とするほどの価値はない、という意味です。道とは、生き方、くらいの意味です。武士道、野球道とか言うときの「道」の意味です。そういう、半信半疑の問い合わせがくるたびに私は、実際に教えて、その人を驚かせてあげたい、という強い気持ちにおそわれます。私は、どこぞの業者と違うんだぞって。
そういえば、この業界と多少接点を持ってられるかたが、「家庭教師というものは、多少なりとも苦情の来るものです」みたいなことをおっしゃっているのにも出会いました。私はいいました。「そういう業者のおかげで、私の仕事が成り立つのです」と。
一般的な家庭教師のイメージでとらえると、私の能力は理解しにくくなります。ですから、それをわかっていただくために、このホームページを立ち上げているのです。「家庭教師ばか」の私としては、パソコンにのめりこむ気はさらさらありません。家庭教師という仕事を遂行するのに最低限必要なかかわりのみをこれからもしていくつもりです。私の本分はあくまで、質の高い家庭教師であることだと思っています。
2002年7月20日 22:39:46
このページ一番上の「8、子供が小さいころだとして、おもちゃ売り場の近くにきたら、そこから子供を事前に遠ざけようとしますか?yes かnoでお答えください」について私のコメントを記します。
子供がおもちゃ売り場に近づいたとき事前に、「これはまずい」とばかりに、子供を遠ざけようとしたことは、ありませんか?もしそうだとしたら、子供が「絶対これほしい」みたいなことを言って泣き叫ぶのが目に見えているからでしょう。でも、私は、これはよい対応の仕方だとは思いません。そのまま、売り場に近づいていったらいいと思います。そして、子供さんが、「これほしい」みたいなことを行ったら、よく相手の言い分に耳を傾けることだと思います。「これじゃなくて、こっちにしたら」みたいなこともいう必要はありません。そして、子供の意見に、真摯(しんし)に耳を傾けながら、子供に買ってほしいというものを選ばせたらよいと思います。このホームページのどこかでも何回か触れているように、私にも4歳の子供がいるのですが、私は、ほとんどその選択の相談に乗ってあげるだけです。私が言うことは、2つくらいです。つまり、それが高いか安いか、ということと、いつまでに買ってあげるかです。お金がないので今すぐには買えない、ということも本人に知ってもらい、たとえば次の誕生日までに買ってあげるとかの約束をします。私は、お金がないので、あまり高いものは買えない、とも伝えておきます。すると娘は、これだったらいい?などと一生懸命に探して回ります。そして、最終的に、これがいいと決定します。で、こちらは、娘が、ほしいというものは記憶しておきます。約束の日に、本人が気が変わっていないかを確認したうえで、必ず買ってあげます。本人が忘れていたのを幸いに、ゴマかそうなどということはしません。自分の親は、約束した日に必ず買ってあげると思うから、娘は、それを信頼して、どれにしよう、どれにしようと選ぶのでしょう。約束したのに、何やかや理由をつけて、買ってくれなかった、と子供から苦情を言われるご両親は、意外と多いです。そして、その子供たちの、一般的傾向は、宿題をごまかすことが多い、ということも言えそうです。ご自分が、ごまかしたりしていることを棚に上げて、自分の子のだらしなさを嘆かれるご両親も多いようですが、こんなことを言うと失礼ですが、身から出たさびといえるのではないでしょうか。
ちなみに私が娘に買ってあげたおもちゃは、1年に、1個か2個だと思います。少ないかもしれませんが、私が、買い渋っているためでなく、娘が、途中で、そのおもちゃに興味を持たなくなったというのが大きいと思います。娘は、私が買ってあげたものを、ほかのものに比べて、大事に使ってくれているような気もしてます。
ところで、この話、幼児にだけに当てはまることだと思ったら、大間違いだと思います。どんな年齢の子にも当てはまる真理を含んでいると思うのですが、いかがなものでしょう。
2002年7月27日 22:33:47
最近、子供の反抗期について、気になることがあるので記しておきます。実は、反抗期に出会うお宅と、まったく出会わない、それどころか、子供から、親が尊敬されているお宅と、ご家庭によって、大きく二種類の、しかも、正反対の傾向がはっきりと見られることです。その数は大体半々くらいでしょう。よく、子供の本性として、反抗期をとらえる考え方が、結構見られますが、私は、それに疑いの念を持っています。どんな子も反抗したくて反抗してるわけではないのではないか、ということです。というのも、子供側の論理を聞いていると、至極もっともと思われることが多いからです。親に子供が反発する理由は、「人(子供)の気持ちを理解せずに、頭ごなしに怒る」とか、「絶対に謝らない」とか、「だらしない」とか、別に親に対してでなく、私に対しても、あるいは、世間一般の人に対しても、彼、彼女が抱きかねない、感情であるようです。
大体、「反抗期」などという言葉に問題があります。あたかも親の立場から、自分のほうが上で、子供がその権威に逆らっているがごとき表現ではありませんか。いわば、大人の視点からの言葉であり、不適切といわざるを得ません。いい言葉が見つかりませんが、たとえば、「自己主張期」などという言葉はどうでしょうか。子供が自我に目覚めて、自分なりの価値観を持ち始めるころに、たとえば、親の言動に疑問を持って「反抗」のような状況が生まれるのでしょう。あるとき、親に抑えられていた子供が、力において、親に負けないと思ったり、論理で負けないと思ったりしたとき、それに迎え撃つ側の親に、心の準備なり余裕なりがなくなったりしていると、子供と親の対立関係が生まれるのではないかと思います。「俺の(あるいは私の)いうことが聞けないのか」とばかりに、いかったり、物を投げつけたり、相手を無視したり、という、子供の人間性を無視した行動が、いずれ、受け入れられなくなるということを、親は知るべきでしょう。自分の人間性を高め、一方で相手の人間性を認めてあげる、ということは、実は、どの世界でも大事なことなのですが、親子関係においては、しばしば無視されることがあるから、こじれるのでしょう。子供の言葉に、静かに耳を傾ける、自分の非は、すぐ認め謝る、という心がけをしただけでも(これも、考えてみれば、当たり前のことなんですけど)、ずいぶん親子関係が改善されると思うのですが、、、。「難しい時期で、、、、」などと悩まないで、子供の、ときには数少ない言葉に耳を傾けてあげたらいかがでしょうか。子供が難しく見えるのは、自己主張するようになった(成長するようになった)証(あかし)であり、もし親が彼、彼女に言えるとしたら、励ましの言葉と、もしこうしたらこうなる、みたいな、行動に伴うリスクの説明くらいでしょう。それ以上の押し付けがましい言動は、マイナスにこそなれ、プラスになることは少ないようです。
また、「○○しなさい」とよく言われるご両親によく出会いますが、その言葉の押し付けがましさ(親が気づいているかはともかく)に無意識に反発する子も多いようです。子供は自分で考え、自分で行動したいのです。その、実は子供だけでなく誰にでも当てはまることを、私たちは理解してあげるべきだと思います。「「○○するな」といったら、わざとそうする子がいますが、これは、本人が、自分の気持ちにきわめて素直に反応しているわけで、むしろ、普段のこちら側の行動に反省すべき点があるといえると思います。
2002年8月3日 22:10:01
閑話休題。先日新聞(朝日7月28日付29面)を読んでいたら、「うまく汗をかけない子が増えている」とのこと。さらに、「変温動物のように体温が上下する子が目立ってきた」とも。表題には、「体内エアコン(汗のことのよう)頭も活性」と書いてあり、文末には、「嫌われ者の汗には、人間の脳を快適に働かせる役割がある。人間は考える汗なんです」(これは、哲学者パスカルの、考える葦(あし)をもじったもののよう)。
こんなのを読んだりすると、わが意を得たりと思ったりします。私自身お金を無駄なことに使いたくない、という思いもあって、我が家では、エアコンは、あることはあるのですが、できる限り使わないようにしています。エアコンにしろ暖房にしろ、我慢できるぎりぎりのところまで、我慢するようにしているのです。
もちろん、ケチるのが最大の目的ではなく、子供の健康や将来のことを考えてのことです。新聞には、「400万〜500万ある汗腺のうち、実際に汗を流す能動汗腺は約250万。この数は、3歳ぐらいまでに、どれだけ汗をかいたかで決まる。その後の体温調節能力は自律神経の発達にかかっている」と書かれていて、汗腺も自律神経もうまく働かなくなっているのは、冷房のきいた部屋で過ごすことが多くなったことが一因だとも記されています。私は、もともと、今まで私が得てきた断片的知識から、そのようなことは想像していたので、この精神を実行にうつしてきているのですが、そのおかげか、娘は、きわめて、たくましく健康に育っているような気がします。
人間が衝動的にエアコンのスイッチに手をかける様になったら、これは注意信号でしょう。
ちなみに私は、エアコンをまだ一度も使っていません(妻はときどきぎりぎりの設定でエアコンを使っているようですが、それで補いきれない部分は、扇風機を回しているようです。扇風機で室内をかき混ぜるのはとても有効のようです)。ほとんどを妻のそばで生活している娘は、時々私の、生暖かいところにやってきて、遊んでいきます。娘は、私同様、暑さ寒さに頓着しないようです。厳密にいうと私は、冬の寒さには、むちゃくちゃ弱く、どちらにもへっちゃらな娘がうらやましいです。
私が夜寝苦しいときは、氷枕(アイスノン)をタオルでまいて、頭と足に当てるようにして寝ます。もちろん、おなかに当てるばかはいませんよね。足と頭を冷やすだけで、体全体が冷えるのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、血液がうまいこと冷たさを運んでくれて、しばらくすると、体全体が、涼しく感じられてきます。血液の循環を促進する働きもあるようです(これが私のねらいなんですけど)。このワザ(?)は妻から教えてもらったものですが、なかなか気に入っています。もしよろしかったらお試しください。体温調節能力や自律神経の発達は、頭に少なからぬ影響を及ぼすのでは、というのが私の認識で、こういう、ちょっとした工夫の差が大きな差になって現れるのではないかと思っています。私は、生活上、いろいろな工夫をしています。私は、人生で今が暗記力も理解力も最高の状態だと思っていますが、こういった工夫のおかげもあるかと思います。私の工夫を少しづつ、いずれご紹介していくつもりです。また、どなたか、もっといいアイデアがありますよという方がいらっしゃったら、お教えください。私はいいと思うものには、飛びつくほうです。
ところで、私は、年々暑さに強くなっていってる感じがします。もしかしたら、暑さを感じる神経が老化し、鈍化しているせいかもしれませんが、自分が、暑いという環境に適応して言っているせいかもしれません。私は、毎年毎年涼しくなっているように思うのですが、実際は、どうも暑くなっているようですね。
2002年8月4日 11:27:38
私のこのホームページは目先のノウハウを提供しているように見えるかもしれませんが、実は、一年後、二年後に、あるいは、十年後にでも皆さんがお読みになって、仮に昔とまったく同じところをお読みになってもまた新たな発見ができるようにとの願いを込めて作られています。それは、皆さんが、いつか久しぶりにすべてを読み返したときに気づくでしょう。でも、今は気楽に拾い読みしてください。知識は、歳月が過ぎていく中で、ほかの知識と交わりながら、次第に熟成されて、教養になるものだと思います。
ちなみに、私の本を読まれた方で、私が、金銭感覚を第一にとりあげているのに、このホームページで、まったくとりあげていないのを、不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。私が第一に金銭感覚が大事だと考えていることに変わりはありません。重複を避けるため、あえて取り上げてこなかっただけのことです。いずれ、本とは違った形でとりあげていくつもりです。この点、もし気になる方がいらっしゃったら、ご理解ください。
2002年8月10日 22:14:15
子育て考。私の住んでいるところは、賃貸マンションです。ここにいると、遠くから、うちの4歳の娘と同じくらいの子供のものすごい悲鳴が聞こえてくることがあります。本当に悲痛な、声とも言えぬほどの声です。お母さんのしかる声とともに、幼いお姉さんらしき子の、お母さんと一緒になってなじるような声が聞こえてきます。「何べんいったらわかるの」というお母さんの声(私の妻もかつてよく言っていました)。古きよき時代を慕う人たちが、好んで語る、「親にしかられた」原風景はもしかしたらこんなものなのかもしれません。でも、よそごとながら、お母さんは、子供がわかるように、十分説明を尽くしたのか、という疑問がわいてきます。私自身、親にしかられたとき、納得してしかられた、という記憶がありません。幼いとき私の脳が、わがことながら、未発達に見えたのはそのせいかな、と思ったりします。ただただ、前後不覚にわめいている子供の脳が、活性化されるとは、どうしても思えません。妻なんかを見ても、十分情報を、つまり娘のレベルから、わかるような情報を、与えているようには思われません(具体的には2002年3月16日 0:02:47(1ページ目)参照)。
で、それに疑問を持っていたので、娘が生まれてからは、娘の行動は拘束せずに、情報をふんだんに与えてあげることにしました。そうしたら、たとえば、あれほど注射を嫌がっていた娘が、逆に注射好きになったり、、、。自分から喜んで、病院へ出かけていき、注射を打ってもらった腕を、自慢げに高々と掲げているすがたなど、私が思っていた以上の、効果を感じさせたりすることもありました。注射嫌いな子がそうなおるもんか、と思われるかもしれませんが、事実です。私は注射を我慢しろ、というようなことは、一言も言いませんでした。ただ、注射をとても嫌がっていた子が、ある日、看護師さんの説明を受けて、注射に必死に立ち向かった話(ちょっと前にテレビで見たのですが)を話してあげただけです。娘の中で、どのような変化が生じたのかはわかりません。もしかしたら、注射が、怖い怖い針としてだけイメージされていた注射が、人間にとって必要な、怖いものでもなんでもないものだとわかったせいかもしれません。あるいは、私が話してあげた子の、勇気に感動して、自分もそうなりたいと思ったのかもしれません。詳しく聞き出そうとしても、十分論理的に、娘が私に説明することを期待するのは難しいかもしれません。ちなみに私自身は、注射が嫌いで、でも暇なときはよく献血に行ったものでしたが、いつも目をつぶって我慢します。「注射イヤー」と思いながら、、、。そういう自分の弱さも、娘には伝えました。自分が完璧であることを演じる必要もないと思います。しいて言えば、自分なりに筋の通った行動ができればいいのではないかと思います。それが子供に理解されていれば、、、。
今までの話から、私は体罰否定派のように思われるかもしれませんが、体罰を否定するものではありません。私自身、多少痛い目にあわせたほうが有効と思われるときはそうしますし、そう望まれるご家庭もあるのも事実です。しかし、基本は、何事のかかわりをするにも、相手がきちんと納得した上で、ということが大事で、ただ単に厳しく、とか、ただ単に優しく、というのは、まったく違ったかかわりに見えて、まったく同じかかわりに見えたりします。よく、厳しくしすぎたために、非行に走ったとか、優しくしすぎたために、非行に走ったとかいう話を聞きますが、それは的を射た話とは思われません。厳しさ、優しさ、豊かさ、貧しさは非行の原因ではないと思います。一言で言えば、親があるいは周りの人間が子供の視点に立った情報を十分与えてあげていたか、ということに尽きると思います。ここにこそ、私たちの知性が発揮されるのだと思います。こうしろという必要はありません。こうしろといわれなくても、子供は十分自分で行動していく能力を持っているものだと思います。ただ、年が行けばいくほど、その能力は差が出てくるみたいで、いろいろな大人たちを、身近にいっぱい見ることができるのはそのためでしょう。
私は、幼い娘を題材にして語っていますが、子供の能力を伸ばそうと思うとき、かかわり方の基本は、同じだと、いつも思いながら、日々子供たちとかかわっています。年齢は関係ありません。
いずれ、もう少し年のいった子の、同様な話もして見ましょう。
よく、子供のこういう話を聞きませんか?「怒られて仕方ないと思ったら、いくら殴られても仕方ないと思うけど、ただ、ヒステリックにわけもわからずに殴られるのは、絶対いやだ」。この子供たちの感覚を大事にしたいですね。
2002年8月18日 0:10:43
天野祐吉というコラムニストが、朝日新聞に、「CM天気図」というコラムを書いています。無害無益というと失礼かもしれません(後注:この文章の後は、なかなか読み応えのあることも書いています)が、楽しいタッチの文章です。とても大衆受けのする文章で、ついつい私も引き込まれて読んでしまいます。私は、毎週楽しみにしています。でも、待てよ、ということも少なくありません。無害無益で、軽いタッチで読み流してくれることを期待しているような文章なので、目くじらを立てても(無粋(ぶすい)な感じもするので)、仕方ないと思うのですが、あえて目くじらをたてて、ついでに教育に関する、私の考えを述べてみましょう。
以下は、2002年8月11日付のコラムから。
「どうして子供は勉強しなくちゃいけないんですか」という公文(くもん)のCMがあるそうなんですが、私は見たことがありません。で、これに対する親の答えなんですが、確かに悩ましい問いかけです。著者は、何でもいい、といっています。
「そんなバカ言っているヒマに勉強しろ」
「しないと長い人生でソンするからだ」
「頭は若いうちに使うものだ」
「どうして勉強しなくちゃいけないかを知るために勉強するんだ」
「面白い世界へ入っていけるパスポートを手に入れるためだ」
本当にどれでもいいんでしょうか。いいって言えばいいですよね。大人の自己満足、という点では。でも、すべて、大人の、親の視点から書かれているようなのが気にかかります。著者は、大人の視点から、大人にとっての解答を用意している感じがします。大人の、大人による、大人のための解答って混ぜ返したくなります。
「そんなの自分で考えろ」というのが著者の、自分だったらという答えだそうです。
確かにこれが一番まともですね。でも、もう少し考えるためのヒントを与えてあげてもいいのではないかと思います。私ならどうするかですって?私は、決まった答えを持っていません。相手の興味に合わせて答えてあげます。でも、大体、すぐに本人を納得させることができません。そういうときは、私はあせらず、あせらず、本人が興味を持った事柄に対して、そのつど、勉強する理由を織り交ぜていきます。
たとえば、
「そんなバカ言っているヒマに勉強しろ」
といわれたとします。子供はどう思うでしょう。お父さんに、あるいは、お母さんに相談しても、無駄なんだなあと思うだけでしょう。親は、そういって納得がいくかもしれないですけど、それは独りよがりな納得で、子供にとっては、失望感しか残らないのではないかと思います。本人は、そんなばかなこととは思っていないから、質問してくるのでしょう。でしたら、誠実に答えるべきです。もし、
「そんなバカ言っているヒマに勉強しろ」
というのでしたら、冗談で言うべきでしょう。私は、教え子に、よく冗談を言いますが、明らかに冗談だとわかるような、言い方、言葉のトーンで言うことは、子供に親しみを感じさせることがあります。でも、マジで言うのはちょっと、言う側のセンスを疑わせるかもしれません。
たとえば、子供が、難民キャンプの近くで、今にも死に絶えようとしている幼児の映像を見てショックを受けたといっているとします(これは実際私の教え子があるとき言い出したことです)。そのとき、こんな切り出し方をすると、説得力があるかもしれません。
「君だったら、どうして助けてあげたい?今すぐ助けてあげることはできないのは確か見たいだけど、いずれそういう子を助けてあげるとしたら、医者や看護師になってあげるという手はあるでしょ。お金をいっぱいもうけて、そういう子を援助してあげることもできるね。どういう方法をとるにしても、頭が必要であることは、想像付くかな?医者はともかく、お金をもうけるのに、頭はいらないって?でも、朝から晩まで、力仕事をしてお金持ちになった人は、少ないと思うよ。君の周りの人でも、歴史上の人でも、誰でも、お金持ちになった人を思い描いてごらん、、、」
とこんな具合に、相手がとても興味を引いた事柄について、あくまで、相手の土俵で話していくことがまず大事なのではないかと思います。もっとも、一回で、すっきりしない子もたくさんいます。さまざまな機会をとらえて、考えさせる情報を与えてあげたらいいのでは、と思います。人は押し付けられた意見で、自ら行動するものでは、本来ないと思います。考えるヒントは、そこらじゅうにいっぱいあります。それを本人に気づかせる形で提供してあげるという作業くらいは、こちらがしてあげるべきでしょう。
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