2002年4月10日 21:48:03
閑話休題。今年がどうなるかはわかりませんが、例年年末になると、私は、非常に忙しくなります。今は少しのんびりできるので、こうやって皆さんにメッセージを書いているのです。私の目標は、日本一の家庭教師といわれるくらいになること。そのためにも、日本全国に向けた、メッセージを送り続ける必要があるわけです。本を書いて、運よく出版できたのもその一環ですし、今しばらくは、ここから、私を発信していくつもりです。まだ書きたいことは、いっぱいあります。でも年末になったら、また忙しくなって、しばらくこれを書き続けることは、休止しなくてはいけないかもしれません。その際は、お許しください。もっとも、そんなときでも、Eーメールか何かでご催促いただければ、ちょっとがんばって書く気になるかもしれません。
今は、こうやって、マイペースで書いていますが、いずれ(といっても、ずいぶん先のことになるかもしれません)、書くこともなくなってくるかもしれません。そのときには、この知識を、体系化して、検索しやすい形で、皆さんにご覧いただけるようにするつもりです。それまで、できましたら、この、随筆風に、日々感じたことを記す、という形に合わせていただけたら、幸いです。これはこれで、なかなか、味わいのあるものかと思います。
私の本では、伸びる子と伸びない子だけに焦点を当てて、記述してきました。ここでは、もっと広い視点から、記していくつもりです。このため、取り上げた一つ一つのテーマが、更なる発展性を示唆しながら、そのすべてを一気に追及していないという嫌いもあります。でも、そういうことをしていると、読むほうも書くほうも肩がこってくるのではないかと思い、あえてこのスタイルにしているのですが、今は、田口の世界への肩ならしくらいに思っていただけたら、幸いです。いわば入門編ということでしょうか。1週間に1遍、いや、1ヶ月に1遍でよいですから、気軽な読み物と思って、お読みください。その知識は、これからのさまざまな場面で生きていくものと思います。ぜひ末永いお付き合いをお願いいたします。
2002年4月12日 12:04:28
子育て考。私は、一般に、しり上がりに本気になってくるタイプです。しり上がりという言葉は、私の人生そのものについてもいえますし、私の家庭教師という仕事についてもいえます。まだよくわからない世界に関しては、あまり急激に動こうとしません。でもわかりだしたら、だんだん本気になります。いま少しインターネットの世界がわかった気がしてきました。まだ象の鼻かしっぽをとらえて、これを象と思い込んでいる程度かもしれませんが、、、。まあ、初めから何もかもわかったら、面白くもないので、この奥深そうな世界をゆっくり楽しんでいこうと思います。
さて、私は、通称赤本というやつ(大学の過去問集)を暇なときに読んだりしているのですが、けっこう内容豊かですよ。今日は、そこから題材をとってみましょう(ちょっと話が飛ぶのですが、あなたは、「を」を、うぉ、と発音しますか?それとも、お、と発音しますか?どうも京都の人は、うぉ、と発音するらしいのです。私は、埼玉出身だから、お、と発音しますけどね。これ最近発見したんですけど、もしかしたら、気のせいかもしれませんが、もし本当だったら、不思議ですね。ご興味のある方は、周りの知り合いの方で、確認してみてください。面白いことがわかるかもしれません)。
九州大学、文系、前期日程の赤本をお持ちの方は、97年の英語の、大きな3番をご覧になってください。本文をそのまま載せると、もしかしたら、著作権の問題があるかもしれないので、内容を、大雑把に紹介いたします。その英文によると、ある研究者(アメリカ人らしいのですが)が、子供たちを、ある部屋に、一人ずつ呼んだらしいのです。そして、おそらくは、目の前にマシュマロ1個を置いて、こういいました。
「このマシュマロを今すぐ食べてもいいけど、もし、私が、用事に行っている(「用事(使い)に行く」をgo on an errandと、英語でいえたら、あなたの英語力はかなりなものでしょう。でも、受験には、大事なフレーズです)間、待っていてくれたら、2つマシュマロをあげるよ」
そうして、子供たちの様子を、観察しました。そうしたら、子供たちの行動は、次の3つに分かれました。
1、研究者が出て行くやいなや、そのおやつ(つまりマシュマロ。アメリカでは、マシュマロが人気あるんでしょうかね)にむしゃぶりついた子。
2、しばらく我慢してたけど、結局食べてしまった子。
3、何とかして、最後まで我慢した子。
ご自分のお子さん、あるいは、ご自分の小さいころをご想像ください。どのタイプに当てはまりますか?
ところで、調査は、これだけで終わりませんでした。その子たちのその後を、追跡調査したのです。
そうしたら、彼らが、中学生になるまでの間に、かなり顕著な違いが現れたというのです。最後の、3番目の子達は、概して、環境適応力があり、周りからの信頼も厚かったのに、その上の2つのタイプの子たちは、すぐ不満をもらしたり、頑固だったりしたそうです。ストレスに比較的弱かったのも、このタイプだと記されていました。それだけではありません。アメリカには、今のセンター試験をイメージされたらよろしいのでしょうか、SATという大学にいこうとする、ほとんどの子が受ける試験があるらしいのですが、このテストで、3番目の子達は、平均して、他の子達より、210点高かったらしいです(800点満点で)。この文章の結論は、理性で感情をコントロールできるかが、その後の子供の性格や学力などに大きな影響を与える、ということのようです。日本にも、三つ子の魂百まで、ということわざがありますが、そういうこともあるのかもしれません。だからといって、中高生になったら、手遅れだ、と即断するのは、早計です。
私が、このことから学ぶことといったら、ある子の学力を、伸ばそうとするとき、それを永続的なものにするには、同時に、性格を変えていかなくてはいけない場合もあるのではないかということです。
皆さんは、どんなことをお感じになりましたか?大学の入試問題に出るくらいですから、出所は、信用おけると思うのですが、、、。また、私が、教えてきた子供たちのことを考えてみても、この文章、結構説得力があるようにおもうのですが、、、。
このことを思い出して、娘が(どういうわけか、ちょうど4歳なのですが、、、)あるおもちゃをほしいといったとき、この話をしたら、最初一生懸命聞いていて、わかってくれたかと思ったのですが、いつもはわかってくれてたのに、このときに限って、でもほしいと言い出して、説得しても説得してもわかってくれず、しまいには、泣き出す始末。で、しょうがないから、「この子嫌い」といって、逃げ出して、私の部屋にこもったら、さらに大きな声で泣き出していました。娘にわかりにくい説明を、翻訳調でしたためかもしれませんが、一種の甘えかと思ったのでほっといたら、翌日、けろっとした顔で、「パパ、いつかおもちゃをかってな」といってきました。私は、「いいよ。でもいくらかわからないと買えないから、値段みといてな。あまり高かったら、すぐに買えないかもしれないから」といったら、納得してくれました。
上記の失敗(後注:今は、私は、こういう失敗をすることはありません。「視点」の後ろの方のページをご参考に、、)から、私が、ちゃんとできているという自信もありませんが、自分の心をコントロールできる子に育てる、という意識で子供とかかわることは、子供の年齢が、いくつになっても重要だと思います。
2002年4月18日 11:03:48
閑話休題。(「閑話休題」というのは、「むだ話」から本論に入るときに使う言葉のようですね。私の誤用でした。すいません。途中2009年9月2日のあとから、視点余話として、同じような内容を取り上げていっています。この点よろしく、ご理解ください)
先日、自転車で家に帰る途中、耳慣れた声で、「先生、先生」と呼ぶ声が聞こえてきました。そちらを見ると、昔教えていた、A くんのお母さんでした。ずいぶんと久しぶりだったので、その後の様子をお聞きしたら、どうやら、K 大学を卒業して、某有名企業で、バリバリ働いている、とのことでした。あの牛みたいに、のんきだった子が、、、と感慨ひとしおでした。その場には、ご主人もいらっしゃって、ご両親とも、誇らしげでした。ご両親がおっしゃるには、私が教えて、数学が、急速に伸びたとのこと。社交辞令かもしれませんが、とても喜んでくださいました。私は、全部伸ばしたつもりだったのですが、、、。
それはいいのですが、話の途中で、私が教えていた、別のある子をよくご存知だったとのこと。どういうつながりかは、お聞きしませんでしたが、私は、びっくりしてしまいました(もっとも、似たような経験は、何回かあるのですが、、、)。先日も私を紹介してくださる方がいらして、どうも教えることになりそうなのですが、そして、私は、口コミで教えることになるのがとても多いのですが、こういう私の知らないところで、情報網がつながっているのかと思うと、教える1時間もないがしろにできないな、と身の引き締まる思いでした。こういうインターネットなどによる情報発信なども、結局、口コミには、かなわないのかとも思い出しました。こちらのホームページは、半分道楽気分(?)で、マイペースでやっていくつもりです。仕事だとか、義務感だとか、そういうものだけでやっていこうとすると、結局、長続きしないのでは、とも思っています。どういう方が、どういう思いでご覧になっているのか、不安が、常に付きまといますが、、、。一方で、私が、今教えているお宅などからもアクセスがあるわけで、いいかげんなことは書けないな、とも思っています。
2002年4月22日 23:45:38
今日、辞書と図鑑を買ってきました。図鑑は、ともかく、辞書は皆さん購入する機会が多いと思われますので、私の辞書の買い方をお教えいたしましょう。どこかで、私は、本を買うときは、1日がかりで買うこともある、というようなことを書いた覚えがあるのですが、今日はこの2冊に、2時間かけました。いずれもはじめて買うからでは、ありません。むしろ、1年に1、2回は、このようなものを買うことがあると思います。では、なぜすぐに買わないかというと、一つは、使う子供を考えて買わなくてはいけないからということが挙げられますが、もうひとつは、新しい本が出ているかもしれないからということもあると思います。私自身、古語辞典で、見た目やにおい(?)で選んで、使いにくさに困ってしまった、高校生時代の苦い経験があるので(つい最近まで、その辞書は店頭で見かけていましたが、やはり、不評だったのでしょうか、最近は見かけなくなりました)、特に辞書選びには、慎重になります。
まず、ぱらぱらっとみて、というのは、皆さんよくやられるでしょう。問題は、そのあとです。どんな単語でもいいですから、何個か思い浮かべてみてください。そして、それの表記の仕方を、徹底的に調べるのです。ざーっと眺めるというのを、何回してみても、あまりよい結論は得られません。辞書と辞書、辞書と辞書をいくつかの単語について、使う子を思い浮かべながら、比較していくわけです。そうすると、よい辞書と悪い辞書の区別が、おのずとわかってきます。まあ、一度お試しください。
今日の私の場合で例をとると、小学6年生の、まだ、英語のセンスがみがかれていない子に買ってくる辞書なので、調べやすさに重点を置きました。単語は、まず、every で付き比べていきました。どういうわけか、彼は、英和辞典を持っていた(もらったらしい)のですが、それで調べて、every day の訳が出てこなかったらしいのです。「毎日」という訳は、中学生だったら、すぐもう常識になってしまうようなものですが、彼は、小学6年生の、英語習いたてなので、例文の中に訳がさりげなく載っていても、それをしっかりとらえることができません。熟語として、every day を表記している辞書を別に買わなければいけないと思ったわけです。ところが、店頭で、この語句を調べてみると、意外にも、完全な熟語として表記している辞書はありませんでした。ただ、それに準じた表記をしている辞書が、2,3あったので、それにしぼって、みやすさ、他の単語の説明のしかたなどを、付き比べていきました。何を買ったかですって?ジュニアクラウンという名前でしたっけね。三省堂のクラウンの中学生版です。あらかじめ申し上げておきますが、そのときその子にとってそれが最適と思われたわけで、100%いつもその辞書を買ってくるという保証はありません。もちろんすべての人に、これを勧めようという気は、毛頭ありません。
いずれ、私のすすめる本、みたいなものを小学生から、高校生、浪人生にいたるまでを対象にして、全教科網羅するような一覧も作ってみるつもりです。できるだけ丁寧なコメントも載せて、、、。エネルギーを必要とするので、いつという確証はできませんが、、、。
一言申しておきますが、私は、これについて、テキスト代実費以外は、何もいただいていません。当たり前のことですが、念のため、、、。私は、教えてなんぼ、結果を出してなんぼ、と思っています。
2002年4月28日 8:45:57
私にとって、目先の中間テストや期末テストの点数を1教科あたり2,30点上げるのはそんなに難しいことではありません(どこかの業者の宣伝では、よく見ると全教科で、30点だったりしますが、私は、あくまで、1教科あたりです)。むしろ、プロを称しているのなら当たり前のことだと思います。子供によってさまざまに違いますけど、本人にとって伸び悩む原因になっているものを指摘して、とりあえず短期的に直してあげて、その後、対策を施してあげればいいのですから、、、。でもそれは、本人の能力以上の結果を私が、いわば、出させてしまった、というわけで、これをもって、私の仕事は終わりというわけには、いかないのではないかと思っています。だって、そういう子は、私の手を離れれば、また元に戻ってしまうわけでしょ。通常お母さん方は、点数が時として、飛躍的に(2,30点しか取れなかった子が、80点以上というのは何度も経験しています)上昇したりすると、信じられないといったふうであったりするのですが、そして、ものすごく喜んでくださります。しかし、不良債権ではありませんが、問題は先送りされているわけです。
2002年4月29日 23:21:23
小論文もそうですが、物理や数?などは、わからない子にとっては、まるで鉄の壁みたいに手ごわい相手のようです。これが難なく、スースーッとわかってしまう人は、よほどの天才でしょう、あるいは、それを教えられている先生がよほど説明の上手な人なのでしょう。中でも、物理は、理系の子の多くを悩ませ続けてきた最右翼といえると思います。よく、根性がない、といって子供を批判する親御さんがいらっしゃいますが、少なくとも、この科目に関しては、この根性論は、成り立たないような気がします。
このような科目は、何よりも、誰かがわからせてあげる、という作業を、並行して行わなければなりません。むしろ私に言わせれば、理系の科目は、覚える部分(つまり、私がかかわれることのしにくい部分。覚えやすくしてあげる、という手助けはできますが、やはり、覚えるという作業自身は、本人の努力によるところが大きいと思います)が少ない分だけ、成績を比較的上げやすいといえると思います。
しかし、それでも伸びない、あるいは、一般的に、どの科目も伸びないという子がいるとしたら、それは別の原因を探さなくてはいけません。端的にいえば、彼らは、勉強していないのです。よく、うちの子は、頭が悪いのかしら、と悩まれるお母さん方、あるいは、自分は頭が悪いのかと悩む子に出会ったりしていますが、彼らの勉強の仕方をつぶさに観察すれば、彼らが、いかに勉強したふりをして、自分や周囲を欺いてきたかがわかると思います。もっとも、欺こうとして欺いているのではないのでは、と思えるふしもあり、彼らを一方的に非難できないのでは、と思ったりもしているのですが、、、。むしろ、周りの人間が、その子の実態を、冷静、かつ細やかに、そして、できたら早い時期に、見てあげる必要があるのだと思います。そういうことをされないで、自分の子供の頭の悪さを指摘して妙に納得してしまっている親御さんも、結構多いです。私の前で、バリバリと問題を解くご自分の子を見て、自分の子かと疑ったお母さんもいらっしゃいました。
最初からやる気のない子は、正直、すぐにやる気にするのは難しいです。私も親御さんも相応の努力を必要とします。ですが、そうでない子の場合、勉強のスタイルとでも言うものを、変えれば、驚くほどの飛躍を期待できる場合があります。
要領の悪そうな勉強をする子が伸びて、逆に、要領のよさそうな勉強をする子は伸びないといったら、信じていただけるでしょうか。別に、どこかの週刊誌のように、センセーショナルに書き立てようなんてつもりではありません。ただ、今の実感なのです。私が教えてきて、思うのですが、馬鹿みたいに、与えられた問題をすべてやる、という子は大体伸びます(逆に、これはもうわかるからいい、とか、これは難しいしあとまわしにしよう、とか何か小理屈をこねて問題数を減らそうとする子はあまり伸びません)。で、それでも伸びないとしたら、その子は、どこかで、手を抜いているのです。答えあわせを、きちんとしなかった子がいます。答えあわせをしたのですが、よく見ると、本人が解いたものは、それが、あっているか、間違っているかにかかわりなく、丸を付けまくっていた子がいます。答えを丸写しして、やったふりを、「してしまった」子がいます。もしお宅のお子さんが、この可能性があるとしたら、この点を、つぶさにチェックして見られたらと思います。まじめそうで伸びない子には、まず疑われる「症状」です。ちなみに、この欠点は、一度指摘したからといってすぐに直らないかもしれない、むしろその方が多いということも覚えておく必要があると思います。
よくご自分のお子さんに、要領よく勉強しなさい、とかいってみたり、うちの子は、要領が悪いのかしら、とつぶやいたりするお母さん方を見かけますが、とても危険な感じがします。要領よくというのを勘違いして、とにかく先へ先へ、と進む子が多いように思からです。こういうのを、勉強のうわすべり現象、と私は呼んでいます。私などは、自分が小さいころ、馬鹿だったし、今までずっと馬鹿だと思ってたから、本当にバカっていねいに学校の授業を復習してました。自分は馬鹿だから、こういう勉強しかできない、と思い、わからない英単語があれば、それが、テストに出るかでないかなど気にすることもなく、今に至るまで、忘れずに残っている、というほど、徹底して覚えた記憶がありました。自分は馬鹿だからこんなことをしているけど、きっと本当に賢い子って、どんな勉強をしてるんだろう、だいたいそういう子って、どういう子なんだろうって、よく思ったものでした。自分がそういう子を教えてみて、思うのは、彼らが、愚直なほど一つ一つを丁寧に仕上げていっているということでした。ただ、それが異様に速い、というだけで、私の勉強スタイルとそんなに変わらないということを発見して、変に安心したものでした。速いというのは、計算の速さもさることながら、理解の速さが速い(厳密にいうと、正しい勉強法によって速くなった)ということです。正直、計算の速さなんて、学年があがるうちに、比重が落ちてくるので、あまり神経質になる必要はないように思います。じゃあその理解力は、どういうところから醸成されたかというと、小さいころから、ものをよく考える癖があったらしいということです。
私は小学校のとき、怠けていたせいで、計算が遅いです。でも、中学生から、本気で勉強したので、単純計算以外では、彼らに教えることができるまでの能力が形成されました。自分でこのことにとても興味があるのです。やはり、小学生のときにきちんと勉強してこなかった付けは、そのまま私に降りかかってきているのだなって。でも自分が馬鹿だからというのではなく、あくまで、勉強不足が原因なんだろうって。自分の中には、どうも、できの悪い自分と、比較的できのいい自分が同居してるみたいです。
そこから類推できることは、どんな子も、もともとおろかに生まれてきた、ということはないのではないか、ということです。誰でも自転車が乗れるように、誰もが、日本語を話せるように、、、。ただし、あとから追いかける人間は、私がそうだったように多少のハンディーを背負うことになりますが、、、。前のどこか(3月14日をご参照ください)で書きましたが、右利きの子の、左手が、右手に追いつく苦労をイメージしていただければ、わかりやすいかと思います。大変ですが、決して不可能ではありません。