知識のしずく「その8」


大学入試改革の答申案の問題点について


 中央教育審議会が示した大学入試改革の答申案についての記事が、2014年10月25日付けの朝日新聞に掲載されました。それを読ませていただいた上で、いくつかの危惧を覚えたところがありますので、それを提示したいと思います。
 (私は、いわゆるプロ家庭教師として、国立大学医学部や京大に受かった子にも、全教科を教えてきている人間で、全教科の入試問題、それに対する受験生の反応などに関して、詳細に熟知しているつもりでおり、その立場から、皆様に、お伝えすべきことがある気がしています。表現には、気をつけているつもりですが、失礼があれば、お許しください)

1、美名のもと、わかりにくくなる試験制度
  「覚える」から「考える」へと大きな転換をする、という、言葉としてはとても響きのいい表現に、まず危惧を覚えます。かつて、「ゆとり教育」が、この美名のもと、推し進められて、結果、子どもの学力を低下させてしまったという諸データが公表されるにいたって、文部科学省は、急遽(?)この路線から、かつての路線にもどったという経緯がありますが、似たような怖さを感じるのは、私だけでしょうか?
 私は、教育に携わるものとして、共通一次試験、センター試験に関して、この「覚える」の行き過ぎを感じていました。これは、中央教育審議会のご指摘と似たようなものと思っています。
 特に、日本史
B、世界史B の問題は、解かれた方はおわかりと思いますが、かなりこまかいところまで覚えなければ解けない、きわめて高いレベルの暗記を求めるものになっています。
 かつて、共通一次の前には、大学を一期校、二期校という区別をした上で、試験を実施する試験制度 がありましたが、これは、「一発勝負」でした。また、一期校、二期校という区別が大学間格差を助長するという指摘もありました。おそらく、これに対する反省からでしょう、共通一次試験と二次試験という複数回受験生がテストを受けるという形に試験制度が変わりました。
 で、その結果はどうだったかというと、一発勝負であった、試験制度に比べ、共通一次試験という「覚える」のをきわめて高度に要求してくるものが割り込んできたという形になってしまいました。センター試験にしても、その流れは変わりません。(で、目指したはずの大学間格差の是正は、それほど変わっていないという印象を持ちます。現在、東大や京大は二次試験を前期しかしていません。これは、かつての「一期校、二期校」に戻ったような感さえあります)
 センターの数学なんか、問題自体はいいものが多いのですが、その問題の出し方がパズルみたいに見えることもときどきあります。で、私は、手っ取り早く「パズル的なとき方」を教えてあげることもあります。時間内にかなりの量の問題を解くという制約が、私たちに、そういう行動を強いる部分があることをご理解いただきたいです。
 センターは、マークなので、こうなってしまうのも、ある程度仕方ない面もあるかもしれません。
 でも、それを補う形で、二次試験が行われ、多くの大学が「思考力」「文章力」を問うような問題を出すことによって、学生の「考える」学力を求めるものになっています。
 こう考えてくると、まず、文部省(文部科学省)の肝いりで導入された共通一次試験、センター試験の社会科を中心とした科目こそ、極端に「覚える」を求める内容になってしまったのでは?という気がしています。
  今回は、その反省から、「考える」という方向に転換を図ろうということだったのでしょうが、それは、各大学の問題製作者たちは、おそらくは、とうの昔に気 づいていて、難易度の高い大学ほど、そういう考える能力を求める二次試験を実施し、そのウェートがセンター試験を含めた配点の70%程度というのも、珍しくありません。
 実質上、レベルの高い大学では、センター試験は足きりに使う程度という感じで、二次試験で、合否を決める、という形になっているわけです。
 つまり、各大学とも、試験実施の場面では、つまり、「現場」では、センター試験導入の欠点を補って、受験生の「考える」学力を把握するということをしているわけです。
 それでないと、いい学生がとれないですから、、。
 センター試験こそが「覚える」を強く求めている感じになっているということがおわかりいただけることでしょう。
 もし、「考える」ということへの転換を、というのでしたら、センター試験をなくしてしまったほうがまだわかりやすいのでは?という気がします。

 もっとも、先ほど申したように、現状で、センターの欠点を補う努力は、すでに多くの大学でなされているので、センターの「覚える」を軽減するというのでしたら、センター試験の配点ウェートを下げるように各大学にお願いすれば、十分ではないかという気がします。
  センタ−試験は(改革後の同等の試験も)、短期に多くの受験生を採点しなくてはならないという性質上、仮に記述の部分を入れても、「考える」(それを採点 するには、じっくりと考え書いていく長い記述を必要とし、採点側も人間が一つ一つ丁寧に読んで採点するということがどうしても必要と思われるので)という能力をきちんと把握するのは、難しいでしょう。
 ですが、いったん導入してしまったセンター試験、それなりに、「現場の努力」に支えられて、存在して いるものを、おいそれと、その流れを、少なくとも表面的には、戻してしまうということに抵抗があるのでしょうか(これは、文部科学省の担当者の方への私の偏見かもしれませんね)。それで、「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を導入しようと考えたという印象を持ちます。
 各大学の二次試験で、十分「考える」という部分があって、現場(各大学の段階)で、うまく対応していると思われるのに、その領域に文部科学省がまた割り込んできた、という印象をぬぐえません。
 そうすると、どうなるか。次の「2、入試制度の複雑化」「3、AO入試の問題と共通した今回の問題」で示したとおりになってしまいそうな気がします。

2、入試制度の複雑化
 試験の回数を増やし、部活まで、評価の対象にする、というのは、それ自体は、決して、否定すべきものではないですが、それを実施に移すとなると、受験生に対する負荷がさらにかかる、という懸念があります。
 たとえば、センター試験の生物(どの科目でもいいのですが)と二次試験の生物は、まったく別の科目、と言ってもいいほど、中身が違います。それは、受験を経験された方でしたら、よくわかるでしょう。
 したがって、試験の回数が増えることは、受験生の負担を増やす、ということを意味します。

 ある意味、受験生の能力を正確に把握しようとするあまり、受験生の負担をさらに増やす結果になってきていて、今回の改革がそれを助長してしまう可能性があります。

 それにしても、どうして、こう、大学受験ばかりが試験の回数を増やすという形になるのでしょうか?一部の受験生の意欲をそぎ、能力格差を助長する原因とはならないでしょうか?
 


3、AO入試の問題と共通した今回の問題
  確か、AO入試も、文部科学省の肝いりで始まったように思います。ただ、AO入試で大学に合格した学生は、企業から敬遠される、という話も聞いたことが あります。AO入試は、本人の学力をほとんど見ずに、合格させてしまう、ということが多々あり、学力のない受験生に、基礎学力を養成しないまま卒業させてしまう日 本の大学ですと(大学にはいれば、多くの学生があまり苦労せず卒業できるという欧米先進国では考えにくいことになっているのが、日本の大学の現状です。いわゆる「トコロテン式卒業」ですね)、学力のない学生が、学力のないまま、大学卒業証書をもらってしまいかねない事態になるわけです。AO入試は、日本の今の大学の現状からすると、かなり問題のある試験制度といえるでしょう。
 これでは、AO入試で入ってきた学生が企業から敬遠されるのも無理はないでしょう。
 
  試験とは、もともと、受験生が大学で学ぶのに、ふさわしい学力を持っているかを問えば、十分なのではないかと思います。漢字が正確に読める、書けるという ことはもとより、難解な文章の意味を正確に読み取れる、長い英語を正確に読める、書ける、数学の個々の問題を、きちんと考えて解けるみたいなことができれば、十分なのではないかと思います。部活で、どうがんばったか、というのは大学で学ぶ上で、どうしても必要な条件とは思えません。さらに、そういうたぐいのものは客観的には評価しにくい(したがって、高校などの教師の思いでどうにでもなる)ものを入れてくると、学力的に能力が高くても、高校の先生の「覚え」が悪い学生が受験でいい結果を得られないという矛盾が生じてしまうのではないか?と思います。
 聖人君子のような教師ばかりではない、ということは知っておく必要があるでしょう。

4、点数を範囲化することの問題点
 センター試験に変わる新しいテストでは、点数をそのまま使わず、点数を範囲化して、たとえば、101点〜200点、201点〜300点という形で、受験生の能力を評価するということのようです(きっと具体的には、まだ、はっきりしていないという感じなので、私の推測で書かせていただいています)が、仮にそれですと、200点の受験生と201点の受験生との間に、大きなギャップが生まれかねません。たった1点差なのに、、。このあたりの問題をどうされるのでしょうか?今のように、点数をそのまま、というほうが公平な感じがするのですが、いかがでしょう?


 上の「2、入試制度の複雑化」「3、AO入試の問題と共通した今回の問題」から、大学を目指す学生の間に、「楽をして大学に入ろう」という人間と、すべてをきちんとこなしてしまおうとする「優等生」との二極分化の一層の拡大が生まれかねないように感じます。なぜなら、まともに大学入試の対策をしていこうとすると、とても大きな負担がかかるように思われるからです。
 (今でも、一次試験(センター試験)と二次試験の勉強時間の配分に、いらぬ(本来の勉強のあるべき姿からすると)神経を使っている受験生が多いのですよ。こういうのを要領よくこなした人間がいい結果を得たりするわけですね。私の仕事のひとつもそこにあるのですが、そういうところからは、要領のいい子はいっぱい生まれるかもしれませんが、じっくりものを考えるという子は生まれにくいのでは?という気もしています。ためしにセンター試験と二次試験を経験した子に「試験対策の勉強時間の配分難しかったでしょ?」と聞いてみられるといいと思います。ほとんどが、yesと答えてくることでしょう。みんな本来の勉強以外のところで、神経をすり減らしているのです)

 こういうことから、さらに大学間、学生間格差を助長され、学生間の能力格差、ひいては、社会人後の収入格差も助長されることになるのでは、という気がしてなりません。
 この視点からの考察も再度していただいたほうがいいように思います。


 諫早湾の干拓、ゆとり教育と、世間的にあまり評価の高くない政策と同様の禍根を将来に残すのではと、この改革に関しては、心配されます。


                                       2014年11月6日記す。
                                       2015年1月16日加筆。

(とりあえず、早い時期に問題提起が必要と思い、書き出しました。後ほど、加筆訂正していくつもりです。文章の不備に関しては、すいませんが、お許しください)

なお、大学入試改革 あれもこれもでは禍根を残すは、私が朝日新聞に投稿したものです。これも参考にしていただけましたら。


いじめられないために。いじめをなくすために。知識のしずく「その1」

学校からいじめをなくすには。知識のしずく「その2」

変質者によって、子どもが殺されないために。知識のしずく「その3」

兄弟姉妹げんかをなくす方法。知識のしずく「その4」



「勉強しろと言わないように」ということに関して。知識のしずく「その5}

「選挙制度、政治制度の改革」に関して。知識のしずく「その6」


政治への向き合い方について。知識のしずく「その7}


大学入試改革の問題点について。知識のしずく「その8」




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