家庭教師田口の視点(79ページ目)
(ぜひ、楽しむようにお読みくださいね。いい知恵をもらった、という具合に、、。目が疲れるというような方は、プリントアウトされてから、お読みください。無理をされませんよう)
2013年10月16日 9:09:23
視点余話です。
たまには、家庭内で、「うけた」話をしましょう。
先日、妻が、私に「ケッカン見せて」と言ってきたのですね。
突然だったので、最初、何を言い出したのか、よくわからなかったので、「え?」と聞いたら、どうも、私の腕の血管をみせろ、ということらしいんです。よく血を採るときに使うところですね。
で、見せたところ、妻が、驚いていました。自分の腕の血管と比べながら、、。
私も、その妻の腕の血管と私のとを比べて、驚きました。
妻のほうが、心持ち太い感じがしたものですから、。
男の私より、太い血管を持っているなんて、、。
で、私が「太いね」というと、妻は、べつにいやそうでもなく(私には、これが少し不思議)、
「そうなのよ。この前、献血に行ったら、ずいぶん太い血管ですねって看護師さんが驚くように言ってはって」
と言い、そのあと、
「それまでは、血がとりやすい血管ですね、とか、献血しやすい血管ですね、とか、言われたことあるけど、こういう言い方されたのはじめて」
と言ってきたので、私が
「それ、みんな、あなたに遠慮していたんだよ。いいにくかったんだろうね。でも、この看護師さんは、正直だね」
みたいなことを言ったところ、妻、ほんのわずかに、笑いながら、
「私の血管が太いなんて、いままでぜんぜん知らんかった」
と淡々と言ってきたので、意地悪な私は、
「でも、たくましい、と言うことだから、いいんじゃないの」
と言ってあげました。
妻、「え〜」
私、「ふふ」
私は、こういう妻とのじゃれあいが大好きです。前にも、書いたかと思うのですが、けんかしたというようなことは、ずうっと、ほとんどないんです。親子の間も、姉弟の間も、けんかないですね。
お互い、相手を余裕をもって眺めることができるせいなのかな、とも思ったりしています。人は、何事においても、余裕、大事ですよね!
この少し意地悪な性格は、娘に、しっかり受け継がれていて、妻は「パパの影響よ」とよく言います。娘は、それを聞いて、ニコニコ。
あれほど、親の悪いところは、似てはいけないと言っておいたのに、、。
妻の名誉のために申しておきますが、妻は、女性としては、ごく普通の身長、体型で、たくましい、と言う感じでは、まったくないです。
だから、血管、不思議なんですよね。
看護師さんの、「勇気ある」お言葉のおかげで、なかなか楽しい会話(私にとっては、ですが)ができました。
その方の耳には、届かないかと思いますが、ありがとうございます!
2013年10月21日 13:15:34
今回は、ある女の子の作文をご紹介しますね。
その子、日本語とフランス語、どちらもぺらぺらという子です。うらやましいと思われる方もおられるかもしれませんね。でも、そのぶん、国語が苦手なところがあるようで、そのひとつがこの作文なのです。
だけど、いっしょに書いていて、とても素敵な作文を書いたので、ここで、ご紹介しますね。
彼女、書きあがったとき、両手を上にあげて、「やったー」と、とてもうれしそうに、叫んでいました。
いつも、ものすごく集中してくれる、とてもいい子ですよ。
とても頭もいいです(このあたり、お母さんは、そうは思ってられないようなことをおっしゃったこともあり、多少意見が異なるかもしれませんが,、、。どういわけか、親御さんたちと私とで、こういう意見の相違、よくあるんです。私が、賢い子ですね、と申しても、信じていただけないような、、。実際点数がとても悪かったりするのですけどね。これ、本人のせいではない、と私は思うんです)。
だから、こつをつかめば、こんなに上手な作文を書けるのですね。
本人は、私のサポートがあったから、書けたと言っていますが、私が手伝ったのは、ほんの少しで、ほとんど自分で考えて書いたといっていいほどのものです。
では、、。
私は、A(病気の名)という病気です。そのため学校でよく倒れることがあります。その時、いつもとなりで助けてくれている友達たちがいます。私が倒れそうになった時、先生をよんでくれたり、職員室につれていってくれたりします。
だから、いつかその友達たちが困ったときには、今度は私が助けてあげたいと思っています。このように、どちらが一方的に助けるのではなく、お互いに助け、助けられるというのこそが、協力だと思います。
いい作文でしょ(後半は、私がメモし忘れていて、彼女の了解を得て、記憶を頼りに書いたので、ほぼ同じ内容かと思いますが、多少文面に違うところがあるかもしれません。よろしくご理解ください)。
最初、書き方がわからず困っているような印象でしたが、あるときから、いい感じで書いてくれて、本当にいい文章が書けましたね。「協力」という題でです。
彼女、私のことを「最強!」と言っていた、とお母さんがおっしゃってくれました。どうも、私の彼女への接し方をとても評価してくれているようで、とてもとてもうれしいです。
(お母さんは、すべての大人に、田口先生のような対応を求めてくるので、困る、みたいなことをおっしゃっていましたが、それについて、彼女に聞くと、「田口先生みたいに、ほめないけど、好きな先生は、いるよ」みたいなことを言ってくれ、必ずしも、私と同じ対応を誰にも求めていないらしいことは、よくわかりますよね。あまりにひどい先生がおられたりするので、それに対する不満として、「田口先生のように接してくれたら」というようなことを言ってくれたのかな、と思います)
ありがとうございます!
これ(私のことを「最強!」と言ってくれたこと)だけでもいい子でしょ!
冗談はともかく、ほんととてもいい子で、私が大好きな子のひとりなのです。
お母さんが、一貫して、「この子は、勉強しない」と訴えておられるのが、信じられないくらい、がんばってくれています。
私は、お母さんに、授業後などに、
「今日も、とても集中していましたよ。漢字も、ここまで、ほぼ完璧に覚えてしまいましたし、、」
みたいなことを申し上げることよくあるのですが、まだ、お母さん、彼女をほめることに慣れておられないみたいで、あまりほめてもらっていないようです。
とてもがんばっているだけに、気の毒に、、と思ったりするんです。
言っておきますが、お母さん、とてもいい方なのですよ。私のホームページや本を熱心に読んでくださり、生かそうとされているのですが、なかなかすぐには、難しそうなのですね。
なかなか、ほめてあげたり、ありがとうを言ったりができずにいるそうです。
そういう方が結構おられるということは、十分承知しているんですけどね。
毎回、お会いするたびに、がんばりをお伝えして、「ほめてください」「ありがとうと言っていただけますか?」みたいなことを、頭を下げつつ、お願いしているのですが、難しいようです。
私は、ニコニコしながらお願いしているんです。プレッシャーを極力感じていただかないように、、。
それでも、プレッシャーを感じてしまいますよね。お母さん、すいません。
あるときは、私が「ありがとうって言っていたいただけますか?よろしくお願いいたします」と申し上げたら、頭を抱えられたこともあります。
娘さん、「どんだけ私のことほめたくないの?」と笑っていた、みたいな場面、よくあります。私も、彼女の目を見て、にこって笑ってしまいます。このあたりに、お母さんのお人柄が表れていますよね。
でも、とてもいい方だということは、いろんなところでわかっていますから、きっと、いつか、変わってくださると信じています。
お母さん、よろしくお願いします!慣れなくて、大変かもしれませんが、、。娘さんといっしょに、じっくり待ってますね。
それから、お父さんに、「いつも、娘さんをほめてくださりありがとうございます」とお伝えください。
このお父さんからも、いつも、あれこれとても気遣いいただいているんです。お母さん同様いい方ですよ。
このお宅は、事情があって、パソコンとおじゃまするのと半々で教えています。
どういうわけか、スカイプがつながらなくて、ホワイトボードで筆談というときもあるのですが、彼女、いやそうなそぶりもなく、これまた、とても集中してくれているんです。これからも、いい子だということわかりますよね。
いつもありがとうね!これからも、よろしくね!
それから、病気、きっと治るよ!私は、医者ではないけど、なんとなく、そんな感じがします。
私の勘は当たるんですよ。もちろん、ネットなどで、私が情報収集した上での、結論です。
2013年10月25日 23:38:46
上の子のお母さん、この前の授業でおじゃましたとき少し変化がありました。
漢字で、悲惨な点数をとっていたこともある彼女が、満点に近い点をとったので、また、例によって、頭をさげて、
「ほめてあげてもらえませんか?」
と申し上げたら、
「はい」
と言ってくださいました。
「何か、先生とこの子にはめられそう」
とかいいながら、、、。
はめるなんて、そんな、、みたいな話を、彼女といっしょになって言いましたが、お母さん、少しだけ、歩み寄りがあった感じです。
人の子の親ですものね。子供がいい方向にいくとわかったら、変わろうとしますよね。
そのために、いくらでも、頭を下げるつもりですよ。
すでに、お父さんには、十分ほめていただいていますし、彼女も、心なしか笑顔が増えてきている感じがします。
お母さんも、とてもいい方であることは、わかっているので、紆余曲折はあっても、長期的には、いい方向に変わってくださると思います。
ところで、上の子、作文、上手でしょ。
私が、どう教えたかですって?
私は、あとから、「補助輪のように」サポートしただけです。
たとえば、上の彼女の作文に「だから」というところ、ありますでしょ。
上を見るの面倒くさいという方のために、下にも貼り付けますね。
私は、A(病気の名)という病気です。そのため学校でよく倒れることがあります。その時、いつもとなりで助けてくれている友達たちがいます。私が倒れそうになった時、先生をよんでくれたり、職員室につれていってくれたりします。
だから、いつかその友達たちが困ったときには、今度は私が助けてあげたいと思っています。このように、どちらが一方的に助けるのではなく、お互いに助け、助けられるというのこそが、協力だと思います。
このだからです。
そこ、実は、学校から、必ず、接続詞からはじめること、という条件をつけられているのですね。
ですから、彼女は、最初、だからを選んだのですが、で、それで、だからで、書き出していったのですが、彼女が
「ここは、だからしかないですよね」
みたいなことを言うものですから、
「ううん、何でもかけるよ」
と答えました。
「へ〜?}
「たとえば、『しかし』で書いてみようか?」
「はい」
「『しかし、一方的に、友達から助けられるのは、私は、協力というものではないと思います。』というような表現はどう?なんでも書けるんだよ」
「ほんとだあ!」
みたいな会話をします。
とくに、何でも書けるんだよというのをわかってもらうということは、私が心がけていることです。
「私は」で、この作文は、始まっていますが、彼女、途中で、
「書き出しは、これでいいのかなあ?」
というようなことを言ってきたので、
「何でも大丈夫だよ」
と言って、「Aという病気」からでも、「学校」からでも、どんな言葉からでも、書き出せるということを示します。
もちろん、具体的に、書けるということを示しながら、、。
私は、だから、本人が、仮に、思いもよらないような書き方をしても、そのまま、本人が書き続けるのを制止しません。
「そこは、そうしちゃだめ。こうするのだよ」
みたいなことは、ほとんど言うことはありません。
その子が書いたそのままの言葉を生かす形で、いい文章を書けるようにもっていきます。
だから、添削されまくって、書いたような文章からすると、「自分で書いた」感がとても感じられ、彼女がしたように、「やったー!」と叫ぶ、ということになるのかなと思います。
(つづく)
2013年11月1日 3:09:35
これは、たとえば、自由英作でも、基本的に同じことが言えるのではと思います。
また、作文に限らず、本人の能力に合わせて、ポイントだけをおさえて、あとは、ほうっておく、というようなことは、私は、よくするところです。
わが子でも、だいたいいい方向に行っていたら、平気で、手出しせずに、見守りますし、ここというところ(ポイント)で、必要なだけ、アドバイスをしてあげる、という程度、という感じです。
もちろん、きちんとできていたら、ほめてあげますけどね。
このポイントが難しい、とおっしゃる方がおられますし、妻も言いますが、それは、このホームページ全体から、いろいろ学んでいただけたら、、。
すでに、視点、考え方、その具体例には、事欠かないほど書いてきていると思います。
(メールを下さる方から、想像するに、どうも私のホームページを、のめりこむように読まれる方が、結構おられるようですね。とてもうれしいです。ありがとうございます!
ぜひ、お役立てください。)
上の補助輪のように、サポートする、という表現も、本質的には、同じ発想からきています。
私の好きな言葉の一つに、「天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず」(天の網は、あらいようだが、ぜんぜん漏らすことがない、という意味。老子の言葉)というのがあるのですが、私は、子育てや教育など、およそ人間に関する限り、この感覚(精神)は、大事なのでは?という気がしています。
一見、子供に、「こうしなさい」「ああしなさい」「これではだめ」と細かく指導するほうが、いい教育効果を生むように思われる方もおられるかもしれませんが、これ、しすぎると、かえって、子供たちを息苦しく、場合によったら、動くにくくさせてしまったりする気がするのですね。
で、動きにくくさせておいて、そのために、本人の成績、行動がおもわしくない、とわかると、さらにプレッシャーをかけるという悪循環におちいったりするのですね。
厳しく、きちんとしつけたつもりが、かえって、逆の結果を招いたというのは、実は、このあたりと関係があるのかもしれません。
先日、NHKで、「うつ」をとりあげて、そのメカニズムを分析している番組を見ましたが、ご覧になった方もおられるかと思います。
これ、簡単にいますと、「プレッシャーを与え続けると、人間だけでなく、魚類でさえ、体が動かなくなる」ということを、具体的に、紹介していた、という感じです。継続的に強いプレッシャーを与えられ続けると、動物は「うつ」あるいは、「うつ」に近い行動をするようになるようですね。
これ、私の日々の経験からしても、うなずけるんです。
たとえば、我が家。
私は、子供たちに「こうしなさい」「ああしなさい」というようなことを言ったことほとんどないんですね。
ですから、「ルールめいたもの」もないです。
こういうお話をすると、驚かれる方結構おられるんですけどね。
かかわりに熟達してきたら、そういう命令的な言葉やルールによる「縛り」は、いらなくなるのでは、と思います。
よく「門限がどうの」「ルールがどうの」なんておっしゃるお宅なんかがあったりしますが、また、「ルールを作って守らせる」というようなことをアドバイスされる方がおられたりしますが、私は、そういうの、まったくと言っていいほど、必要性を感じたことないんです。
じゃあ、うちの子がだらしない子になるかというと、そんなことないです。
学校の先生からは、面談時に問題を指摘されたこと、二人ともないんです。忘れ物とか、なにか、だらしないと思われるようなこと、まったくなく、友達が周りから寄ってくると、二人とも言ってきます。
私は、子どもをルールでしばらざるをえない、ということのほうが、むしろ問題ではないかとも思ったりします。
すでに、この時点で、子育てのどこかに問題があると感じられたほうがいいかもしれません。
子育てをきちんとすれば、いちいちルールを決めなくても、子供たちは、自分で判断して、我が家でよく感じるように、親以上に、子どものほうがしっかりしている、という感じになるのでは、という気がしています。
そうなると、とても楽です。親も本人も、、。
ですから、肩の力をぬいて、知恵を使って、子育て、楽しみましょ。
(次回はページを変えて)
※もし、この「視点」全体から、読みたいところを探したいという方は視点目次(サイトマップ)をお使いください。私がどうかかわって、子どもたちを変えてきたか、成績を上げていったか、などを、具体的に記していっていることがおわかりいただけるかと、、。ぜひご参考に、、、。
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視点目次(サイトマップ)
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