家庭教師田口の視点(27ページ目


2007年9月17日 8:38:59
(前のページの最後のつづきです。ご両親のお気持ちを考え、繰り返し繰り返し読み直して、実は、およそ1ヵ月後の10月30日に再度載せたものです)
 昨日(16日)、彼女のお宅に、京都から北関東まで出かけていきました。彼女のためだったら、この距離は遠くありません。で、駅から降り立って、彼女のお母さんのお顔を拝見した瞬間に、涙が、また止まらなくなりました。彼女のものをいろいろ見せていただきました。ご自宅で、ゆっくりお話したとき、私にとっておとなしい彼女は、実は友達も多く、活発で、正義感のつよい、みんなからとても慕われている子であることがわかりました。私が思っていた以上に、すごい子になっていることに気づかされました。のべ500人ほどの人が葬儀に来てくださったそうです。
 今、私は涙の中で、顔をゆがめて、これを書いています。人様に泣きすぎといわれようと、仕方ありません。
 私は、人様に比べて、涙もろいということはない、と思っています。また、身近な人の死でも、私はこれほど涙をながしたことはありません。私がなぜ涙をこれほど流しているのか、不思議に思われている方もおられるかと思います。それを理解していただくためには、昔(19ページ目で)私が書き込んだものを再度ここに掲載してお読みいただくと、一番わかりやすいかと思います。中学の、教えはじめたころ、「ポテトチップを片手にテレビを見ている」などとお母さんから、「やる気がない」と厳しくいわれた子です。で、高校生になって、どの先生からも「勉強のできる子」と言われるようになった子です。私の授業をとても大事にしてくれた子です。そして、私にとって、
彼女は宝物私の一番の理解者。私の同志。お互いにどんなことがあっても絶対裏切らないと信じあえる人。

 ここからしばらくはレビュー(昔の書き込み)です。
 以下2006年5月27日 23:52:54に書き込んだものです。

 閑話休題
今回は、私が、パソコンの前で、涙を流した、というお話をしましょう。厳密に言うと、涙を流しかけたのですが、、。
 あるお宅のお母さんが、スケジュールを間際に変えることが多かったので、何度か、子供さんのために、よくないということを申し上げました。たとえば、夜遅くのスケジュールだったので、クラブで疲れているときなど、お母さんが、
先回りして、今日は休ませてくださいといってこられたり、、。で、本人は、仮眠をとった後、私の授業を受けようと、がんばって、おきてきたけど、私は、もうキャンセルされていて、それをあとで知らされたんですね。彼女のそのときの反応は、私はきいていないですが、「がんばっておきてきたのに、、」という思いは、すこしはあったのではないでしょうか?あるいは、彼女のことですから、「田口先生に悪いことをした」くらいに思ったかもしれません。おとなしい子なので、心が、表に出ないのですが、、。で、そういうこと(お母さんの一方的なスケジュール変更の申し出)が、何回かあったあと、私も、これは彼女のためによくない、と思って、どのお母さんにも、私はめったに、きつく申し上げることは、ないのですが、さすがに、きつく申し上げました。それでも、反省されてか、されてないのか、ある日、前の日に、変えてほしいといってこられたスケジュールを当日、また元に戻してほしい、といわれ、さすがに、私も、失礼だとは承知で、「いったい何を考えてられるのか?」くらいのことは、申したかと思います。そうしたら、お母さん、謝ってこられたのですが、1日か2日して、「塾にいかせることにしたので、やめさせてほしい」といってこられ、これまた突然で、でも、私は、了解しました。何か、彼女がかわいそうに思えたのですが、私には、それ以上どうすることもできませんでした。おやめになりたいというお宅をおしとどめるのは、私の主義ではないですから、、。
 えっ?やめられて、涙を流したって?それは、早とちりです。私は、そんな人間ではありません。私をやめられるお宅では、本人よりも、お母さんの「そのときの気持ち」が作用している場合が多いですから、私は、そのうちわかっていただけると思って、ほうっておきます。

 実は、そのあとのことです。これは、パソコンだから、こういうことが起きたのですが、私の涙を誘う、場面が現れたのです。この仕事をやっていてよかった、と私が思った瞬間です。
 私が、それまで、彼女をいつも教えていた時間帯をまだよそのお宅で埋めていないまま、前の時間帯のお宅をパソコンで教え終わって、パソコンをよくみたところ、彼女がパソコンにでてきているのです。でも、もうお母さんは、断ってこられたので、彼女がアクセスしてくる理由がよくわかりませんでした。きっとさよなら、をいうためかな、と私は思いました。私は、彼女とつないで見ました。で、話をしました。
 「お母さんがやめる、といってこられたの知っている?」「はい」「教えてほしいの?」「はい」こんな簡単な会話だったと思います。無口な彼女らしい、素朴な返答ですね。彼女は、おそらくは、とても強い意思を持っているのですが、それを、饒舌(じょうぜつ)に表すことはありません。
 ということで、私は、教え始めました。いつもとまったく変わりのない、無口だけど、一生懸命勉強にくらいつく彼女がそこにいました。この子の、どこがやる気ないんだろう?私は、胸にじ〜んとくるものがありました。親がやめるといってこられても、なお、つなごうとしてくる、教えてほしいといってくる子がいる。この子の気持ちは大事にしてあげようと思いました。
 で、お母さんに再度メールで、このことをお話したところ、お母さんは、やはり「やめさせてください」を繰り返してこられました。私に取って代わった塾は、ほとんど毎日ある塾らしく、当然といえば、当然のご判断でしょう。仕方ないので、私は、「もう一度、本人を説得してみます」と申し上げて、次につないだとき、本人に「スケジュールかなりきついけど大丈夫?。がんばれるの?」みたいなことを、彼女に、念をおすようにきいてみました。彼女は、「大丈夫」と言葉すくなに答えました。そこまで、私の教え方を評価してくれるのか?正直、心が揺さぶられっぱなしでした。

 人間は、厳しい状況でも、意思があれば、がんばれる
というのが、私の信念ですが、そのときの彼女の「大丈夫」には、それが、強く感じられました。で、私は、決心しました。「仮にお母さんがお金を払わないといっても、僕は、君を教えてあげるよ。僕は、、、、君を裏切らないよ」と、、。目の中は、うるうるしたままでした。でも、私は、いつもどおり、淡々と教えていたので、彼女が私のうるうるに気づくことはなかったでしょう。
 ここまできても、なぜ、私がうるうるしたかわからない方もいらっしゃるるかも知れませんね。「誰よりも、何よりも田口先生だよ」と彼女が私に訴えかけているように思えたのです。私をここまで慕っている子がいる。私は、こういうものに弱いんです。
 幸いお母さんは、きちんと支払ってくださいましたが、こうなったら、お金の問題ではないですね。一個の大人が、どう子供とかかわっていくか、信頼できる大人がいるということを、少なくとも、田口という男は裏切らなかったということを示すべきときだと思いました。でなかったら、彼女の思いは、失意に変わり、いずれは、彼女の性格に深い影を落とすことになりかねないと思いました。いわば、一人の子の人生がかかっているというべきでしょう。大げさですか?大げさでないことは、読み進んでいただければわかります。
 親の反対を振り切って、この、「やる気のない」といわれた子が、パソコンの前にいる。そのことが、私に彼女がくれた最高のごほうびであるように思われました。今も、すこし、書きながら、うるうるしてきました。繰り返すようですが、パソコンでなかったら、断られたら、私は、そのお宅へおじゃますることはできないですから(そんな押し売りみたいなことできませんでしょ)、彼女との接点は、取りにくく、このようなことはなかったでしょう。実際、別の、断ってこられたお宅で、そこの娘さんなのですが、私が、別のお宅を教えるために、おじゃまようとしたとき、バイクのうえから、彼女を確認して目を合わせた(いや、彼女は下を向いていたかも)ときの顔も覚えています。彼女のお宅の近くの、そのお宅にはいっていくとき、彼女のほうをチラッと、もう一度、見たとき、もう、彼女の姿は見えませんでした。はずかしかったのでしょうか?手帳の尊敬する人に「田口先生」とかいてくれたらしい子です。でも、こちらから、押しかけていくわけにも行かず、パソコンと比べ、敷居が高い分、教えることはできませんでした。別にパソコンでどうしても教えたいというわけではないですよ。半分くらいは、私はおじゃまして教えているのですから、、。
 パソコンでつないだ、その子。その子は私からみたら、とてもやる気のある子で、私の大好きな子の一人でした。そして、最も印象深い子の一人でした。そんな彼女に引っ張られる感じで、そこのお母さんも、そのあと、私を理解してくださるようになりました。彼女は、とてもとてもとても忙しいスケジュールを、何の文句も言わず、よくがんばってくれたと思います。うるうる、、。うるうるしすぎですね。
 実は、そのお母さんから、先日、メールが来ました。彼女の成長ぶりを感じてうれしいです。家から学校が遠いので、早朝は無理だね、と言って、高校からは、とりあえず、休ませていただいているのですが、私のほうは、彼女が困ったら、いつでも救いの手を差し伸べるつもりです。
 お母さんも、今は、塾より私と思ってくれていることでしょう。メールの内容をお読みいただけたら、私がそういう意味がわかっていただけるでしょう。無口な彼女から、最近は連絡はありませんが、彼女と、いまだに心で、つながっているのを感じます。
 私の「魔法」もすごいでしょ。でも、私は、マジシャンでも何でもありません。彼女という人間が大好きで、彼女と心がつながっているだけです。下の彼女のがんばりは、私に対する彼女の無言のメッセージなのですね。うるうる、、。では、メールをどうぞ、、。


高校生になり、娘がぐんと大人になったのを感じております。
自分から行動をおこすようになり、勉強も熱心に頑張っています。
4月中は、ただ学校へ行くだけで疲れてしまうようなようすでした。
私の方は、田口先生からの「信じて待っていてあげてください」をずっと心において
ただただ、見ているだけでした。
ところが突然、娘が言い出したのが、「学校から帰ると疲れて勉強できないから、
学校でやってきていいか?」と言うのです。
「帰りの時間(8時すぎ)に駅で待っていて欲しい。」と言うので協力してあげることにしました。
昨日までで20日間、朝4時か5時に起きて勉強し、学校では8時間授業の後2時間、
学校の自主勉室で夜7時半まで勉強をしてきています。
先週は土日も学校に行き、午後は図書館でやっていました。
自分で方法をみつけたみたいです。
今日中間テストが終わり、本人まずまずの顔ですが、反省も1つあったようです。
「数学はたぶん満点に近いが、英語を舐めていた・・・。」と。
心配するのは本人がすることの意味がわかりました。先に親が考えてしまうと
子供が何もできなくなったしまうんですね。
 
それから田口先生の本、私が読んだ後(何人か友達に貸しました)
娘が大事に持っています。春休みに本棚を整理した後覗くと、
田口先生の本だけが1冊、本棚に置いてありました。
みなさんが手に入らないといっているのに、いただいてしまってすみません。
 
今、このような充実した生活ができるようになったのも、娘の考え方が成長できたのも
田口先生のおかげだと、しみじみ感じております。
 
ありがとうございます。


 長い閑話休題になってしまいました。うるうるしながら、つい、、。
 私は、彼女から、エネルギーをもらった感じです。私の本を大事にしてくれてありがとうっていう思いです。きっと彼女にとって、私の本は、私の分身なのかもしれませんね。

 まだまだ、私は、私と私のホームページのファン、こんなそっけないレイアウトだけどパワーは人一倍ある(つもり)、そんな私のホームページのファンをい〜っぱい作っていきたいと思います。ぜひ、私のホームページを拾い読みでいいですから、読み進んでいってください。何かを感じ取っていただけるものと思っています。繰り返し読むのにもたえるだけの内容も持っていると信じています。ぜひ、実際の場面で、私の「視点」を生かしてみてください。

2006年6月3日 2:32:48の記述です。
 さて、上の文の反響3通だけですけど、メールいただきました。まずは、当のお母さんご自身からのメールです。

ホームページ、何度も何度も読み返し、自分のしてきたことを何度も何度も思い出しました。

申し訳なく、はずかしく、ありがたく、、、。じっくり一日考えてからお返事書きました。
 
ここまで娘を分かってくださっているんだと、感謝の気持ちでいっぱいです。
娘は、「田口先生に教えてもらいたい」と、まだ言い出しません。
私が1回だけ聞いた時の返事が、「まだ、まだ」だけでした。
心の内を見せない、本当にそのとおりです。
 
なにか自分が成長できるまで、自分で頑張ってからだ、とか思っているみたいに見えます。
 
本をいつも目のつく場所においているのも、自分を励ましているように見えます。
そうですね、分身、田口先生がここにいる、みたいな感じにみえます。
 
テストが終わっても、7時半まで学校で勉強してくるそうです。家に帰っても満足そうに、やさしい顔しています。
昨日は、ごきげんに「化学が○○点(田口注:具体的な数字省きました。けっして悪い点ではありませんが、、)だー、英語が、、、まずい。」とか。
笑顔で頑張っているのがなによりです。
 
いつ娘がお願いの連絡するのか、したいのか分からないのですが、その時はよろしくお願いします。
 
(田口注:あの後しばらくして、私は、また彼女を教え始めました。もちろん彼女が希望してきたからです)


 さらに、「なでしこ」さんから。
 (前半略。プライバシーにさわる部分もあるかと思い、、)
今回の視点にでておられた、お子さん、すばらしい意思ですね。うるうる、、のお話。先生のなが〜い視点、うるうるしちゃいましたよ、、。長い目でみることの大切さを教えていただきましたし、またまた力をいただきました。先生は、いろいろな親子に接しておられるんだなぁってしみじみ思いました。うちの親子は、ぺらぺらしゃベりすぎ〜ですね。えへへ。子供の意思はとても尊重していますが、、親子ともに厳しさがありません。物静かな人の方が、意思が強く、一言が重いのでしょうか、、。意思が強い、何をするにも大切ですね。うちの子にもそんな時がくるのでしょうか?
(高校になって、ずいぶん変わってきたのはお読みになった方はお分かりでしょう)その前に、私が自分に厳しくならなければ、、と彼女のことを思い出してこれからやっていこうかなと思います。では、よろしくお願いいたします。

さらに、別のあるお宅から、、。
(最初略)

初回、数学の証明問題について教わった後、息子は目を輝かせて「すっげーうれしー!」とヘッドセットを外すなり申しておりました。夫も私もその様子に驚きました。先週、社会の勉強の仕方について教わった後は、さっそくオレンジ色のペンで書き込みを始めました。彼にとっては、普段なら眠気と戦う時間なのに、そんな様子は微塵もありません。

A
(本人の名前。プライバシーに配慮して省略いたしました)は癖がなく楽天的な性格で、特に悩みもなく毎日楽しく生活しているように見えます。本当に喜ばしいことなのですが、勉強面では、もう少し悩んでもいいのでは、とこちらは思ってしまいます。口では「今度のテストでは20番以内に入る!」などと宣言はするものの、だめでもあまりこたえることがなく、2日もすればもとどおり元気になっている、その繰り返しで1年が過ぎました。勉強時間はかなりとっていますが、やり方が雑なように感じています。以前にメールでいただいたアドバイスに従って、ときどき私がチェックするようにはしています。その点、ホワイトボードですと、問題を解く過程もすべて先生の目に入るわけで、非常に有効だなと感じています。

HPの視点のコーナー、初めから読み返しています。一番新しいページも読みました。私と1時間お相手してくれたとき、話にのぼったお子さんのことですよね。朝から泣いてしまいました。読めば読むほど、自分の生き方/考え方、ひいては私の母の考え方にまで思いが及び、なかなか厳しいものがあります。

お忙しい中メールを読まれるのだろうからなるべく短く短く、と思う余り、いつも事務的な調子になってしまいます。今日は長くなってしまいました。バランスをとるのは難しいですね。
では、お体に気をつけて、今後もよろしくお願いいたします


 以上。皆さん素敵なメールありがとうございました。載せさせていただく事に関して、ご理解いただき、感謝しています。メールは、どんな長いものでも、短いものでも、ささいなことでも、必ず読みますので、気にせず、お送りください。私が教える上での参考にさせていただいています。ご遠慮なく、、。お悩みの点、ご質問も、ご遠慮なく、、。これにお答えすることも、私の仕事と思っています。

 ここまで、昔の書き込み(レビュー)です。こんなエピソードをいっぱい私に提供して、私の心を打ち続けた子です。(注:その後、彼女のお母さんが素敵なホームページを彼女のために、涙の中で、作られました。こちらももしよろしかったら、ご覧ください。http://www7b.biglobe.ne.jp/~miho-peace-loving

 私自身、風邪の予防策は伝え、ほとんどの子が風邪を引かなくなってきているのですが、交通事故の予防策を伝えるのを忘れていました。子供たちには、機会をみて伝えていこうかと思っています。皆さんも、お子さんをお持ちの方は、お子さんを指導されている方は、交通事故の予防策をお伝えください。
 これが、彼女のために、私が皆さんに訴えられる精一杯のことです。
 お子さんは、年齢を重ねるにつ入れて、あなたのもとを離れてすごす機会がどんどん多くなります
そのとき、子供を守ってくれるのは、その子の知恵であり、知識です。あなたは、そのとき、そばにいないのですから、当然のことながら、子供たちを守れません教えられた知識がとっさの判断に役立つのです。知恵を授けてあげてください。あなたがヒヤッとしたとき、そのときの状況を分析し、子供たちにお伝えください。気をつけるポイントをお伝えください。
 交通事故を起こして、向こうが悪かったら、入院費など、すべて向こうが負担してくれますが、それでも、たとえば、失った足は、もうもどってこないんだ、ということをお伝えください。死んでしまったら、いくら賠償金をつまれても、その子の命は返ってこないのだということを、お伝えください。
 交差点では、青信号でも、突っ込んでくる車があることをお伝えください。おろかな、悪質な運転手もいるのです。で、死んでしまったら、向こうが悪いといっても手遅れだということをお伝えください。人の命は、何者でも償(つぐな)えないということをお伝えください。横断歩道をわたるときは、必ず、車が止まりそうだということを確認してから、渡ることを、、。見通しの悪いところでは、慎重に首を伸ばすようにして、左右を見てからわたるようにと、、。道は渡りはじめよりも、わたり終える前、つまり、左から来た車にはねられることのほうが多いということを、、。これは、統計的に出ている事実らしいです。距離感がつかみにくいんですね。

 私は、自分の子には、変質者につかまらないための方法、つかまったあとの対処の仕方(つかまる前と後では対応が180度変わるべきだと思っています)から、風邪の知識、交通事故の予防策まで、さまざまな知恵を、わかる言葉で、ことあるごとに、伝えてきました。したがって、わが子は上が小学生ですが、へたな高校生よりも、危険に強いと思っています。が、教えている子に、交通事故の怖さ、予防策を伝えていませんでした。私が伝えていたら、彼女は死なずにいたかもしれません。こんなことが起きようとは、想像もしていませんでした。で、この間(かん)、知らぬ間に、自らを責めている自分に気づくこともありました。

 さらに、自転車の危険性も伝えておきますね。自転車は後ろに下がるのが難しい乗り物です。危険を感じたら、自転車を手放して、逃げましょう。一緒に逃げようとしてはいけません。自転車だけではありません。あなたが、あるいは、子供が持っている、触れているどんなものよりもいざとなったら、大事なのは、あなた自身の、子ども自身の命です。それを知らないと、子供はとっさに思い切れません。
 一瞬手を離し、のけぞるだけでも、大きな結果の差を生むかもしれません。なぜなら、車などには、衝突したときよりも、その後、地面に落ちた時のほうが衝撃が強いことが多いからです。ですから、衝突して、車に持ち上げられないことが大事だといえるでしょう。
 
 それから、夜は黒い服は車に見えにくいということも知っておきましょう。で、黒い服を着ているときは、自分が相手から見えないかもしれないと思って行動しましょう。白い服も時には、ライトの光線の具合で見えなくなることもあるということも知っておきましょう。このことを知っていれば、黒い服を着ているときは、人はいつもより夜中に慎重に行動するのではないかと思います。
 繰り返します。
知識が身を助けるのです。必要であれば、何回でも読み返しくださいね。

 私にとって、当初パソコンでの授業は、とてもドライなものになるだろうと思っていました。でも、彼女は、そう思っていた私の考えをものの見事にひっくり返しました。結局、人間と人間とのふれあいと言う意味では、むしろ、じかに教える以上のものがあったりして驚いています。上にも記している通り、パソコンでしたら、親がだめと言っても子供は、私とつなぐことができるわけです。逆に本人がいやだったら、パソコンの前から席を立つだけで、拒否することができるわけです。その子の心持ちがこれほどダイレクトに伝わってくるものはない、というのが今の感想です。
 パソコンはドライどころじゃないと痛感しました。
 パソコンのおかげで、彼女に出会えた。彼女から心を揺さぶられ続けた。彼女に教師の原点を教えられ続けた。
 私は、何よりも彼女から高く評価され続けたことを、いつも尊敬のまなざしを送ってもらったことを、誇りに思います。何ものかで賞をいただくより、私にとって、それが大事な勲章です。高校生になった彼女は、多くの友達がいて、多くの人に愛されていたということを知って、そして、私の前では、中学生のころの「おとなしい彼女」を演じ続けてくれていた、ということも知り、私に好かれようと必死だった彼女に、今気づきました。そんなに思ってくれてありがとう。

 ご両親のいろいろな私に対するご配慮にも感謝しています。ありがとうございます。(このページの最初にも書きましたが、ご両親のお気持ちを考え、私自身何度も何度も何度も読み返し、その上でこれを載せることにしました。ここまでは、一度ほとんどを削除し、およそ1ヶ月後の10月30日に掲載しなおしたことをご理解ください)

2007年9月20日 2:17:39
 以前書き溜(た)めてあったものを、ここに掲載させていただきます。悲しいですが、かといって、そのまま浸っていても仕方ないし、彼女も喜ばないでしょう。前に進まなくてはいけないんですよね。本来ここで書くはずのものでした。記していきましょう。「失意淡然(失意の中でも、淡々)」と、、。
 それから、たくさんの励ましの言葉、ありがとうございました。私は、今日(19日)、はじめて涙のない日をすごしました。彼女のお母さんからのメールをいただいて、また、涙腺(るいせん)がゆるみましたが、、。彼女は、私にとって、同志でした。互いに絶対裏切らないと信じあえる子でした。彼女はお母さんに「田口先生だけは信じられる」と言ってくれたそうです。私の前では、いつもおとなしかった子で、そんな言葉は一言も言ってませんでしたが、、。
 正義感が強く、友達のたくさんいた子。高校になってとても活発になったのに、私には中学のままのおとなしい子でいた子。お母さんが、メールで彼女のほんのちょっとのおてんばぶりを紹介してきたときも、私は、彼女のことを思って、その内容をみなかったふりをしていました。もちろん、彼女にもまったくそのことを触れませんでした。私の彼女に対するイメージを壊すまいと、彼女が必死だったことが後でわかったので、「やっぱりあれでよかったんだ」と今心の中で思っています。
 ありがとうね。こんなに私を信じてくれて、、。君のような子が一人いただけでも、私は、この仕事をしていてよかったと思うよ。私も「君だけは信じられた」。「強情な」君も「強情な」私も、2人で話すときはお互い寛容だったね。

 では、、。
 
 (牛の話のつづきです。書き溜(た)めたものをとりあえず、そのまま)
 親御さんでしたら、こんな例を挙げると、わかりやすい方もいらっしゃるかもしれませんね。たとえば、あるサラリーマンが海外に転勤を命じられたとします。本人は、寝耳に水で、思っても見なかったことで、で、いやいや転勤に従ったとします。そうすると、本人は、元来が乗り気ではないですから、新しいさまざまな出来事に、ことあるごとに不平を言いますね。で、挙句(あげく)の果てには、「こんなところに来るつもりじゃなかった」みたいな反応をするでしょう。
 でも、これが、もし、海外勤務を望んでいる人に同じ命令が下されたら、どうでしょう。願ってもないことと、出会う新しい出来事のすべてを、肯定的に受け止め、文句を言うどころか、そこからくるさまざまなストレスを上手に自分の中で「消化」していってくれるのではないでしょうか?
 まったく同じことが受け手によって、まったく異なるものに見えてしまうわけです。そして、それが本人の適応力を左右してきたりするわけです。
 子供も同じで、納得のいかないストレスを与えられた子供はいろいろなことに、少しずつ「へたな」対応をすることが考えられます。誰だって、おそらくは、自分でしなくちゃと思ってするのと、誰かに強いられていると思いつつ、するのでは、結果に大きな差が生まれてくるような気がするのですが、いかがでしょう。同じ1時間を必死に勉強しているように見えても、どうも結果が違うなんてことは、このストレスとも関係があるかもしれません。
 ストレスの中にいる子は、同じ問題を解いても、スムーズに解けなかったり、で、その科目が嫌いになったり、、。こういうちょっとの違いを積み重ねて、勉強の得意な子と不得意な子とが形成されていくのではないかと思うんです。「ちょっとの違いがいずれ大きな違いになっていく」。これは、私がこのホームページでも繰り返し述べていることかと思うのですが、これは、こういうところにも現れるように思います。
 私自身は、中学のあるときから、勉強が好きで好きで仕方なくなりました。何かおいしい食べ物を前にしているかのように、勉強にむしゃぶりついたことがありました。これが今に至るまで持続しているわけなんですけどね。で、もちろん受験期などのように、ストレスのたまるような時期もありましたが、で、こんなに勉強ばかりはもうこりごりと、さすがの私も思ったこともありましたが、なんとか、乗り越えることができたような気がするんです。
 これが他人に強いられたものだったら、どうかな、ここまでがんばれたかな、という気もしています。仮に、がんばれたとしても、表面的ながんばりとは裏腹に、スムーズに問題に立ち向かえなかったり、ということがおきていたのではないか、と思います。
 これらは、ひとことでいうと、過剰なプレッシャーは、子供の能力を退化させるかもしれないということです。子供に言えばいうほど、子供が勉強すると錯覚されているような親御さんが見受けられたりしますが、むしろ逆効果を生む場合もある、ということも、私たちは考えなければならないような気がするのですが、、。
 不必要なプレッシャーを与えないコツ、それは、子供の目線で考える、子供の心を読む、子供が勉強する上でネックとしているところを見きわめる(お母さんがやる気がないとおっしゃっていても、やる気がないと見えるだけ、というのは私が常々感じることです。ネックが別のところにあったりもするのです)、子供に自由度を与えて、こちらがもっているのと同じ情報を十分に与える、子供のわかる言葉で伝える、環境(いわゆる部屋や机を与えるということを意味していません。むしろ、それとは、正反対に近い「環境」です)を整えるなど、さまざまあり、そのそれぞれについて、私は、できるだけ、皆さんにわかるよう、記してきました。そして、知恵を使うことが大事だ、頭を使うことで、物事がものすごくスムーズに行く、ものの見方、世界観が変わる、と言う経験をしていったとき、子供たちは、学習意欲を形成していくのだと思っています。
 それは、そのそれぞれが、この「牛の話」とつながっているわけです。「牛の話」、ストレスをためると、牛はお乳に雑菌をためてしまうという話。皆さんも、子供の体内に雑菌を増やしてしまっているかも、と思って、どういうかかわり方がいいか、考えをめぐらせてみてください。
 深い思考が深い行動を生みます。浅い思考が浅い行動を生みます。

2007年10月13日 23:42:37
 最近、1軒だけ問い合わせがありました。私にしては、この時期としては、ありえないほど、問い合わせが少ないですが、このページの書き込みから、それは、仕方ないでしょう。問い合わせいただいたそのお宅は、私のホームページはご覧になったみたいですが、この「27ページ目」をご覧になってられないみたいでした。だから、問い合わせてこられたともいえるかもしれませんね。で、この事件については、そのお宅に触れないことにしました。今教えさせていただいています。

 仕事のほうは、私は、今までとまったく変わらず、していますので、ご遠慮なく、もしご希望でしたら、お問い合わせ、ご質問ください。すでに大学に合格して、おやめになっているお宅もあります。これから、そういう合格してやめられていくお宅も少しずつ出てくるでしょう。というか、出さなくてはいけないんですけれど、、。

 今後も
できるだけ多くの子を、彼女のように、私の「魔法」にかけてあげたいと思っています。それが、私の使命でしょう。

 私の仕事自体が、不幸な事件によって、ぶれることはありませんので、ご安心ください。これでも、プロを自認している人間です。むしろ、最近は、彼女から力をもらっているような気さえしています。私自身彼女の分も充実した人生を歩んでいこうと思っています。

 なんていうのでしょうか、私は、彼女を、「魔法」にかけていたつもりでしたが、逆に、私自身が彼女の「魔法」にかけられていたのかも、と思う昨今です。彼女が「私の分もがんばって」と私の体の内部から叫んでいるようなものを感じます。実は、体の内部から聞こえてくるような気もするのですが、本当は、耳元あたりからか、頭の後ろからか、はっきり特定できない状態です。でも、聞こえてくるような気がします。多分そう思いたい自分がいるのでしょうね。よくわかりません。ただ、涙が流れているときでさえ、彼女から励まされているのを感じていました。

 さて、今日から少しずつ、また、書き足していきますね。

 
この続きは次のページで、、。







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