家庭教師田口の視点(18ページ目)


2006年1月18日 12:03:47
 ずっと、受験にかかりきりで、すこし体調を崩しかけたこともあり、危険を感じたので、このホームページを含め、省ける作業を、すべて中断することにしました。ご理解ください。受験の山場が、そろそろ来ようとしているころですね。でも、中学受験が終わり、すこし余裕が出てきました。まだまだこれからもたいへんですが、そろそろ、このホームページを再開しようかと思っています。あとほんのしばらくお待ちのほど、よろしくお願いいたします。

2006年2月19日 18:05:10
 さて、今日から、すこしまじめに書き始めましょう。時間的な余裕もできましたので、、。
 皆さんは、子供のエネルギーって、どんなところからくると思いますか?いえ、人間のエネルギーって、どんなところから来ると思いますか?あなたは、どんなときにやる気になったりしますか?人から、たとえば、勉強しろ、とおこられたときですか?

2006年2月26日 23:25:00
 さて、子育ての根幹にかかわる、子供のエネルギーの話をしていきましょう。やる気といったほうが、わかりやすいかもしれませんが、、、。こう書くには、こう書くなりの理由があるのです。
 最近、実は、私は、このホームページのせいか、やる気において、きわめて問題のある子たちを教えるという経験をしています。もちろん、きわめて、やる気満々の子、とても頭のいい子も教えているわけで、そういうがんばりやさんのスケジュールを入れたくても入れられないとき、このスケジュールの一部を奪っている、やる気のない子たちが、どこかで、恨めしく思えたりもしました。しかも、そのやる気のない子達は、勉強そのものをやる気がないのですから、私が立ち直らせようと、奮闘している最中に突然やめると言い出したりしてきます。
 ちょっと問題、というくらいの子でしたら、私は、成績を上げるのに、悩むことはないのですが、はじめから、やる気も何もない、態度も悪い、とくると、こちらにも、相応の辛抱と長い目で見る視点が必要になります。口で言うのは、簡単ですが、エネルギーを吸い取られるような思いも何度となく経験してきました。
 実は、ポーさんの娘さん、ちょっと前に触れた「天真爛漫」な子ですが、彼女も学校と大きなトラブルを起こした後に、休学し、実質、やめたような状況になっています。それで、私もやめることになりました。こういうことが多いんです。私自身覚悟はしていましたが、やはり、こちらの精神衛生上よくないですね。いっておきますが、私とは、仲良かったですよ。最初、私の前の家庭教師と無理やりに近い形で、引き離されたせいか、かわった私に、よい印象を持っていないのかな?という子でしたが、、。
 最近、ポーさんから、おやめになって以来、久しぶりに、メールいただきましたが、私の助言を参考にされて、子育てをやり直されているようです。子育ての基本は、本人の年齢とは関係ありません。休学したときは、お母さんはショックだったでしょうが、私は、このこともあらかじめ覚悟しておかなければ、ならない、という意味のことを申し上げ、実際そういう事態に至ったときも(私は、彼女に対する学校の対応にも、ポーさんの、その際の反応にも不満でした。詳しくは申せませんが、、、。具体的には、いずれ、ポーさんご自身の手で、かける範囲内で、掲示板などで、記してくださるかもしれません。ポーさんも私が好きなお母さんの一人であることも付け加えておきましょう。メールで、私のこのホームページに今もこられているということを知り、すこしがんばって書こうという気になっています)、私は、それを悪いこととはとらえられず、むしろ、彼女が新しく生まれ変わるための一歩くらいに思ったほうがいいというようなことを申し上げました。
 ポーさんは、私を「娘の命綱」のように形容してくださって、彼女が私をやめたことをとても心配されているようでしたが、こういうマイナスの状況を、プラスに変えることが、人生のあらゆる場面で必要だと思っています。絶望する前に、哲学と知恵という武器を持つことによって、、。私から言わせると、子供が問題であるとき、子供本人よりも、親のほうに、学ぶべきこと、変わるべき点が多かったように思っています。で、私は、本人に語るのと同じくらいのエネルギーをもってお母さんに語りかけてきたと思っています。
 で、こういう経験をいっぱいしてきたおかげで、私は、間違った(と私には思える)子育ての危険性をここで、改めて、別の角度から、取り上げてみようかと思っています。子育てのあり方についての皆さんのご参考になればと、、。
 ポーさんの娘さんすこしずついい方向に変わってきているようです。なぜ、変わったかですって?あたっているかはわかりませんが、これについて、私は、子供のエネルギーという観点から、お話してみますね。子供のやる気はどこから出るのでしょう。

2006年3月12日 18:38:52
 ポーさん、書き込み躊躇(ちゅうちょ)されているようです。確かに、書きにくい内容ですね。
 さて、私のほうは、話をすすめましょう。
 結論からいいますと、子供のやる気、エネルギー見たいなものは、私は、自由度の高さ(すでに書いていることからご想像つくかと思いますが、それは、好き勝手にやらせるということではありません)によるのではないかと思います。今の何不自由のなく見えるこの世で、子供達は、日々行動を制約され、指示待ち状態になっている子が多いように思います。昔と違って、子供に手をかけられる時間は多くなり、一方で、核家族のせいで、子育ての経験の豊かな人が周りにいない(いたとしても、猫かわいがり)で、初心者に近いお母さんが、心の余裕もないまま、子育てをしている、という現状を反映しているのかもしれません。正直、私自身もこの仕事についていなければ、今とまったくかかわり方が違ったことでしょう。多くの子にかかわって、感じるのは、こちらの「余裕」(それは、経験からくる余裕なのでしょうか?)がとても必要であるような気がしています。私は、よく、「子供の変化には、タイムラグがあります」とか「子育ては、短距離走というよりも長距離走に近いものだと思います」(この話の、具体的意味合いも、具体的事例とともに、いずれ示していくつもりです。すでに深刻な状況になった子がすぐに変化することは、私でも難しいです。時間がかかります。変化した具体的お話は後ほど、、)とか、私が教えさせていただいているお宅のお母さん方にメールやお話で、お伝えすることがあるのですが、子供によっては、見守る、余計な手を出さない、ということが必要だったりします。

 自分ひとりでは、スケジュールひとつ組めない子。私の教えている子のなかにもいるのですが、こういう子たちは、自分で、物事を考え、自分で、行動を決める、ということを、そういう訓練みたいなことをしてこなかったんでしょう。親から、理由もわからず(私の妻のかかわりの例をお読みになった方は、私の申し上げていることがお分かりかもしれませんが、多くの場合親は説明したつもりなんです)、こうしろ、ああしろといわれ、行動してきたりすると、それがあたりまえになってきてしまうのでしょうか?こんな子が皆さんの周りに意外といることは、あまり想像しがたいという方もいらっしゃるかもしれませんね。
 ところで、従順と反抗はまったく正反対のことのように思えますが、異常に反抗的な子も異常に従順な子も、同じ根っこを持っているような気がするんです。皆、「だる〜(だるい)」「面倒くさ〜(面倒くさい)」を表立って言ったり、あるいは、心の奥底で、抱いていたりするようです。人間にとって大事な、何かことをなすエネルギーみたいなものを奪われているんです。適当な比ゆが思い当たらないのですが、たとえて言えば、エネルギーを失った子は、「飼いならされた子羊」あるいは「飼いならされることに抵抗するオオカミ」といった感じでしょうか?以前、ベトナムの子供達の目の輝きを見たのですが、どこか、これらの子にないものを感じたりしました。
 
 親の不必要な管理(管理(好きな言葉ではありませんが)が不要といっているわけではありません。もっとも、管理されていると子供が感じるような子育てが本物にも思えませんが、、)による不自由というのが最もたちが悪いんですね。なぜなら、あいまいだったりするから、、。あるいは、その場その場で言うことが違ったりするから、、。たとえば、速く走りすぎて、怪我したというのは、わかりやすい教訓なのですね。外界から来る、痛い刺激は、これも制約を与えてくるものですが、いつも一定の法則みたいなものを感じさせ、不満をいいようがないものがあります。第一、物に不満を言っても、無意味であることは、すぐ子供は学び取ることができます。ところが、周りの人間、特に親となると、親は、手加減とか、その場の気分とか、とても複雑でわかりにくい、ある意味で、子供には、矛盾したことを平気で言ってくるわけですね。また、駄々のこねがいがありそうというのも、親に対して子供が無意識に抱く感想でしょう。
 子供に細かく命令的なことを言えばいうほど、子供は、戸惑います。なぜなら、そこには、子供にしか気づかない矛盾があるのですから、、。学校の先生に「言うことが矛盾している」と不満を漏らす子がいますが、もとより、そのことは親御さんに対しても向けられることがあります。
 親御さんの矛盾。「しっかり考えなくては、だめよ」という一方で、じっくり考えていると「速くやらなくてはだめでしょ」と言ってきたり、、。「今度がんばんなければ、また変な点をとるわよ。時間を有効に、、」というお母さんが、その一方で、「気晴らしに、ちょっと食事にでもどう?」と誘ってみたり、、のんびりした旅行や帰省を企画してみたり、、。子供が自分で欲したものではないから、子供はのんびりどころか、勉強のほうがやり切れずに残っていたりして、気が気ではなかったりするんですけどね。親は気晴らしをさせてあげたつもりでいたりします。気晴らしなんか、そのときそのときに応じて自分で考えたほうが、いい気晴らしができるんですけどね。でも、それを言い出したり、友達と約束があるからとか言うと、「せっかくこちらがお前のために、気を使ってあげているのに、、、」みたいなことを言ったりします。
 もう少し深刻な話もあります。具体的にいいますね。
 あるやる気のない子が、私にある話をしてくれました。これは、彼は、お母さんには、言っていないので、お母さんは、きっと思いもかけないことでしょう。だから、こわいんですけどね。彼が、どうして性格をねじけ、やる気をなくしていったかというと、、。その最初が、こんな話だったそうです。言っておきますが、人当たりのとてもいいお母さんですよ。厳しさやさしさは、こういうことに関しては、関係ないんですね。しいて言えば、子供を親の視線からだけで、振り回さない、ということが大事ということでしょうか?あるいは、お釈迦様が孫悟空を手のひらに乗せていた、あの感じが大事ということでしょうか?私は、このホームページで、これをいろいろな角度で、記していっているんですけどね。皆さんのヒントになるよう、具体例を例示しながら、、。
 さて、その彼、、。先ほど申しましたが、こちらはほんと深刻です。幼いころ、彼が、ほしいものがあって、「これほしい」といったところ、「何でもほしがるんじゃないのよ」と注意されたらしいんです。で、何もいわずに、ほしいときも我慢していたら、あるとき、「何で、ほしいっていわないの?ほしいのであれば、ほしいっていわなくてはだめじゃないの?」といわれたらしいです。お母さんは、おそらく、前に「何でもほしがるんじゃないのよ」といったことを、そのときすでに忘れていたのでしょう。きっと、お母さんは、忘れているから、矛盾に気づかないんです。矛盾しているなんて、これっぽっちも、、。
 そのとき、どういうわけか、彼は、その時期は純真だったのでしょう(もっとも最初からねじけた子どもはいないと思います)、「死にたい」とふと思ったそうです(それをきいて、私は、ぎょっとしました)。それから、幼な心に、電車がやってくるのを見ては、今、自分が飛び込んだら、どうなるんだろう、とか、よく考えたということを述懐していました。こういうことをいっぱいあきらめてきたときに、子供は慢性的なあきらめの気持ちを持ち、エネルギーを奪われるのだと思います。あるいは、むやみに反抗的になったりするのだと思います。なぜなら、自分で考えて行動すると、しかられそうだから、何もやらないのが、一番安定しているわけです。でも、勉強は、おとなしいだけでは、だめで、点数の前では、「いい子ぶりっ子」が通用しないわけですね。頭が悪いと思ってもらうか、どうにも親に合わせられず、反抗してしまうか、となるのではないかと思います。

2006年3月26日 22:23:34
 すこしはこんな話もいたしましょう。というか、今まで、内容にすこしかたよりがあったかもしれませんね。実は、私の本業は、教えることなのです(そんなこと知ってるって?)。

 皆さんに、こんなことを書くと、誤解されそうですが、私自身は、受験に必要な知識は、入試問題を直接やる中で、本人に必要な基礎まで、さかのぼって教えることができる、という考えを持っています。今回、2浪の子で、おそらくは、私が中学2年生くらいの学力しかなかった、と思っている子にも、いわゆる基礎を学ぶためのテキストは、一切使わず、大学の入試問題をそのまま、解いていく、という、一見無茶なことをしています。最初本人は、少なからず、戸惑いを見せました。だって、中学生に大学入試問題を解かせるようなものですから、、。

 入試問題を、基礎のわかっていない子にやらせるなんて、無茶ですか?きっと無茶に見えますよね。でも私にとっては、無茶ではありません。そのあたりをわかりやすくご説明いたしましょう。
 本人たちは、最初、半信半疑だったりしますね。でも、私を信じるしかなかったから、私の言うとおり、がんばるしかなかったりするわけです。あるときは、はじめほぼ0点だった子が75%6ヶ月で取れるようになったことがありましした。入試問題です。そのあと、ほかの科目に対策の比重を移したら、50〜60%に落ちたみたいですが、、。これは、特別な例ではありません。私は、それができると思っていますし、少なくともその能力を持ち合わせていると思います。これがもっとも無駄のない、最短の指導だと確信しています。もっともそれには、こちら側の本人の能力に合わせつつ、受験レベルまでフォローできる能力がなくてはならないことはいうまでもありません。私が目指す「プロ家庭教師」と塾、予備校との違いは、こういう最短の指導がいざとなったらできるか、というところにあると思います。
 受験に関して、
基礎がないから、たとえば文法の基礎から、というのは、とても危険だと思っています。一見合理的ですが、、。なぜなら、文法のテキストで習う部分から、入試に出るのは、実は、ごく一部(5分の1もないと思います)なのです。それは文型(第T文型とか第U文型とかいうやつです)がほとんどまったく大学入試にでないということから、ご想像いただけると思います。数学では、難しい因数分解はほとんど出ません。で、私は、英語に限らず、入試に出る、必要な知識で、本人が、わかっていない部分だけを、受験生には、教えていく、というスタイルをとっています。もちろん、こういう理屈が成り立つのは、受験対策、中間期末対策(とりあえず、点をとりたいという場合の)みたいなことに限ってですが、、。基礎から立ち上げると、出そうもないところを、出そうなところより優先するみたいなことがおきてしまうのです。浪人生のような、とりあえず、受験に受かりたい、という子にとって、「基礎から、、」は、1年を棒に振るようなくらい、多くの「無駄」(長い人生においては、それが無駄とも思えませんが、、。私は、英語の文型は、ほとんどどの文も瞬時にいえるほど大好きですし、言葉の仕組みを考える上で、とても有益なものだと思ってます)を受験生に強いているともいえそうです。で、考えてみれば、英語を理解する上で、文型は必ずしもいらないんですね。しいて言えば、教える側が教えやすいということは言えるかもしれませんが、、。
 私自身は積み上げるように、勉強してきた人間なのですが、何らかの理由でそうして来なかった子にそれ(基礎からこつこつ)を当てはめようとすることは、一見、理にかなっているようで、結果から見ると、さんざんであったりします。
 私だって、この子には基礎がありません。ですから、基礎からやりましょう、なんていって、たっぷり時間をいただいて、お金を取るほうが楽ですよ。実際、教えたお宅が、そんな塾に行っていて、成績さんざんだったというのも経験しています(注:私が教えて成績がすぐに上がった科目があったのを見られてか、その塾をやめられたお宅ありましたけど、、)。でも、そんなこと(「基礎からこつこつ」にこだわること)をしたら、よい結果が伴わず、子供を失望のどん底に追いやるばかりだと思うんです。賢い子でも、それやられると、疲れてしまうでしょう。勉強ができない子では、なおさらです。最近教えた子でも、塾でさっぱりわからなかったという子が、私が教えたら、とてもよくわかる子なので、つい「頭がいいね」といってしまったことなどあります。別にめずらしい例ではありません。
 
基礎から、、とか、この子は、やる気がないから、、などというのは、家庭教師や塾の無能の現れであるとさえ思っています。上で述べているように、本当に手をつけられないくらい、エネルギーがなくなって、やる気がなくなっているという子もいますが、これは、別の観点から、考えなくてはいけないことでしょう。多くの場合は、家庭教師、塾の教え方の悪さやかかわり方の未熟さをご両親とともに、本人のせいにしているともいえると思います。基礎からを押し付けると、やる気のない子がさらにやる気のない子になってしまうような気がしています。だって、たとえば、中2の子に中1のことを教えたって、目先の学校の授業がちんぷんかんぷんになるわけですから、やる気のある、ないにかかわらず、本人を落胆させる方向に持っていくことでしょう。

2006年3月29日 1:33:54
 閑話休題。「たんぽぽ」さんが掲示板2に書き込まれています。久しぶりの書き込み、うれしいです!!今回、私が教えて国立大に受かった2人のうちの、1人がたんぽぽさんの息子さんでした。国立大に受かった2人(今回私だけが教えて、大学受験したのは、6人で、そのうち2人が国立大でした。まあまあの確率でしょ)とも、違った意味で、とても印象深い子でしたが、たんぽぽさんの息子さんが印象深いのは、まず、高校を中退して、大検から、受験して、国立に受かったことです。彼は、人生のレールは、いろいろとあり、一度踏み外したくらいで、あきらめてはいけない、ということを、身をもって示してくれたといえると思います。掲示板2一度、のぞいてみてみられたら、いかがでしょう。で、たんぽぽさん、いろいろと苦労されたところもおありと思いますので、先輩お母さんとして、何か、いいお話が聞けるかもしれません(なんて書くと、たんぽぽさんにプレッシャーかけてしまいそうですね)。たんぽぽさんは、私がこのホームページを立ち上げたばかりのころからのお付き合いで、私の大好きなお母さんの一人です。もしよろしかったら、お越しください。そして、もし、気が向かれたら、お話ください。いい方ですよ。ぜひ、楽しい、いいお話ができると思いますよ。お待ちしています。

2006年4月19日 3:09:03
 「子供のエネルギー」について、ちょっと補足しておきます。
 子供のエネルギーは、できるだけ、本人が、厳しい現実にぶち当たることによって、でてくるような気がしています。厳しい現実の前で、人は、ひるんだりやる気がなくなったりすると、思われる方も多いかと思いますが、実際は、その逆のほうが多く、周りの人間が、それをあらかじめ心配して、守ってあげたり,、緩和してしまったり、制限してしまったり、つまり、思い切ってぶつかれないように(親は心配なのですよね)してしまったときに、やる気をなくすのではないかと、、。厳しい現実から守られることは、いわば、「かごの中の鳥」をつくっているようなものだと思っています。小さいころから、守られる一方で、自由のない子供達。こんな子供達は、知らず知らずのうちにエネルギーを吸い取られていっているのではないかと思います。致命的でなければ、できるだけ、厳しい現実と格闘させてあげたほうがいいのでは、と、私は、思っています。もし、そのとき、私達が、彼らに対してすべきことがあるとすれば、それは、その厳しい現実と向き合える、知恵と哲学(心の持ちようみたいなもの)を伝えていくことでしょう。もっとも、哲学は、普段の何気ない会話などで、知らぬうちに伝わるものであるかもしれませんが、、。厳しい現実を親があらかじめ、緩和してしまって、たとえば、実力もないのに、いい点をとらせようとがんばってしまったり、本人が楽をして、いい思いをする、ということを、何回も経験させてしまうと、子供は、心から、「楽をしていい思いをしたい」と望むようになるのでは、と、、、。
 私自身は、能力以上に点をとらせるのを、仕事にしているようなところもあるわけで、でも、そんな時、私は、本人達に、実力で、いい点がとれたとは思わないよう、伝えておくようにしています。わかっているようで、ふくらまされた点数が、自分の実力の評価と勘違いしてしまう子はいるからです。実力のない子は、いずれ、学年が上がるにつれ、馬脚を現してくるものです。私達は、このことを、むしろ、警戒すべきでしょう。

2006年4月23日 1:45:25
 勉強というものは、これくらい文明が発達して、生活が便利になったにもかかわらず、相変わらず、鉛筆やシャーペンで繰り返し書いたり、解いたり、覚えたり、というきわめて「原始的な」作業を必要とします。それは、脳を鍛える、ということの本質を考えれば、当然のことですね。おそらく、たとえば、江戸時代と現代で、この作業に関する、本質的な部分は、変わらないのではないかとさえ思っています。私は、今、パソコンで教えることのほうが、多いくらいですけど、パソコンでも、それ(パソコンのなかのホワイトボード)に手書きで、書き込んでいくわけで、図を、描くのも、多少便利な部分(直線を一瞬で引けるとか)があるにせよ、大事なところは、手で描いて理解する、という作業が必要なわけで、これが、勉強の本質であり、どんどん楽になっていく生活の便利さとは、対極をなすものだと思います。ですから、楽をしていい思いをする、という価値観を、たとえば、このパソコンなどでも、どんどん進化していって、私達をいろいろな面で、楽にしてくれる、あるいは、今までできなかったことを、実現してくれるわけですが、この延長上にある価値観を、そのまま、勉強に持ってくると、子供は、楽をして、いい点をとろう、見たいな発想をするようになります。でも、楽をしていい点をとる、ということをし続けると、能力が低下し、子供は、いずれは、以前ほど、楽にいい点がとれなくなるものですから、勉強に対する興味を失っていきます。本来、勉強というものは、原始的な作業であるということを、彼らにわかる言葉で、伝えておくことは、大事なことでしょう。
 「子供への介護」論については、以前、このホームページのどこかで、論じましたが、「介護」の弊害は、ここでも、生じてくる可能性があり、親が「介護」すれば、するほど、子供は、それにのしかかってくる、よりかかってくる、ということがいえると思います。
 ある覚えなくてはならないプリントがあって、そういうのは、大体、書き込みながら、覚えるようになっているのですが、それをお母さんが、すべて書き込んでくれて、後は本人が覚えるだけ、という形にしてくれたお宅があります。でも、ここで、よく考えなくてはいけないことがあります。書き込む、という作業も、覚えることの一環だとすれば、これは、つまり、書き込むという作業は、本人がすべきことでしょう。このことを、すこしでも、頭の中に入れて、子供に接することは、とても大事だと思います。
 それを、お母さんがしてくれた。お母さんは、子どものためを思って、、。でも、案の定、その子は、そのプリントに関心を持ちませんでした。「子どものためを思って」が子供のためになっていない。そういうことを、何度も経験しているうちに、子供は、勉強というものを、うまいことやろう、楽にしよう、と思うようになって、あるとき、勉強というものが、とても面倒くさいものだとわかって、勉強というものが好きになれなくなったりします。低学年で、そうなると、一般に、親から逃げる(逃げおおせないとわかると、しぶしぶやる、ぼーっとやる)というような形を取りますが、でも、反抗期になると、表立って、拒否反応を示します。攻撃的な拒否反応をさえ示します(これについても、詳しく記したところがあるかと思います)。繰り返すようですが、勉強というものの本質は、原始的な作業です。人の頭は、繰り返しによって鍛えられるものだからです。ノートを丹念にとったりするという、根気のいる作業を、淡々と、時には、喜んで、するような子に育てるべきでしょう。それは、小さいころからの、習慣付けによる部分が大きいと思うからです。エネルギーのなくなった子(やる気のない子)が高学年になると、私でも、変えるのに、とても苦労します。かなり大変な子になってしまった子にであった私の、これが実感なのです。「もう少し早く、田口先生に出会っていたら」といわれる事はよくあります。エネルギーのない子供本人からも言われたことがあります。もとより、わからないところをわからせる、という能力だけを求められるのでしたら、私は、間際でも、十分能力を発揮できるかと思いますが、、。それは、このホームページ全体を読んでくださった方は理解してくださることでしょう。
 このホームページから、ぜひ、エッセンスを受け取っていただけたら、と思います。繰り返し、私の経験から学んでいただけたら、と思います。私は、そんな方々のためにも書いているつもりです。これは本当に大変な子だ、と私が思う子に出会って、皆さんのご参考になればと、すこし、がんばって、書いてみました。
 



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