家庭教師田口の視点(110ページ目) 

 このホームページは、最初は、ご興味のあるところから、拾い読みをされることをお勧めいたします。うそや大げさな表現は避けているつもりです。プロの家庭教師のレベルとして、当然のことを書いているつもりです

2016年11月2日

 さて、今回は、ある男の子をご紹介しますね。

 この子、小さいころ、軽度の知的障害と診断された子らしいのです。

 で、お母さんは、私に何度かこの点が気になると言っておられました。

 でも、私は全然そのように、つまり、軽度の知的障害があるようには感じたことなかったんです。 

 ご両親の心配にもかかわらず、私は全然知的障害らしきものを感じなかったのですが、お母さんが軽度の知的障害があるとおっしゃるものですから、

「そうですか」

と聞き流していました。が、何回目かにそのお母さんが、彼の軽度の知的障害の話をされたときには、さすがに

「それは、全く気にされる必要はありませんよ。きっと、、」

というような話を差し上げました。

 というのも、ご両親が心配されて、専門機関に相談されたり、挙句(あげく)の果ては、それ専門の塾みたいなものがあるらしく、そこにケアをお願いするみたいなことになったりすることが結構あったりして、いわば、「いじくりまわして、かえって結果が悪い」という感じにならなければ、と心配してのことだったんです。

 変な言い方ですが、ご両親が心配されているのが心配だった、という感じです。

 小学5年に教え始めた子で、教え始めたころは、通っていた塾のせいか、中学受験が迫っている子にしては、普段の様子を伺(うかが)うと、どうも今一つがんばっている様子が感じられませんでした。ただ、これは軽度の知的障害が原因であるとは、あまり思えなかったんですね。

 なぜなら、「集中力がない」「だらだらしている」というその子は、不思議なことに私の前では、とても集中していたので、、。 

(このホームページをずっとご覧になっている方は、ご両親が「集中力がない」「すぐ気が散る」とこぼしておられた子が、私の前で(あるいは私が教えているパソコンの前で)、とっても集中しているという例をいっぱい読まれていることかと思いますが、決して大げさに書いているわけではないのですよ。

 最近では、1か月ほど前に教え始めた子がそんな感じで、その様子をご覧になったお母さんが驚かれていました。私は、教える専門家ですから、当たり前と言われる方もおられるかもしれませんが、、)

 中学受験を終えて、今、中1で、その塾をやめて、私だけが教えるという形をとっているのですが、かなりがんばっています。

 中位の私立中学で、上の中くらいの成績をとっています(入学直後の学校のテストでは、下から数えたほうが速い、という感じでした)。

 一度数学の定期テストで、学年でトップの点をとったりもしました。対人関係もとても上手です。

 この子が軽度の知的障害だなんて、今はだれも思わないでしょう。(つづく)

  

 

2016年11月8日 

 上でいじくりまわして、かえって結果が悪い」と書きましたが、もしかしたら、適当な表現ではなかったかもしれません。あまりにも、私(田口)目線でしたね。失礼しました。私も人間なので、お許しください。

 あとで考え直したのですが、いじくりまわして」というよりも、「試行錯誤して」というほうが適当だったかもしれませんね。

 実際、親御さんは、いろいろこうじゃない、ああじゃないという感じで試行錯誤をされていたのだと思います。専門の機関に相談されたり、専門の機関に指導をお願いしたり、ご自身もいろいろがんばられたり、、。でも、結果は変わらなかったり、かえって悪かったりするんです(専門の機関にお世話になってどうして?と本当に不思議なのですが、あまりいい例に、出会わないんです。きっとたまたま私の教えてきたお宅でそうだったというだけのことなのでしょうね)。

 相変わらず、ひらがなや漢字が覚えられない、集中力がない、集中が10分も持たない、など、、。場合によっては、本人が反抗的であったりすると言われたような子もいます。

 でも、私が教えるときは、集中していた(いる)のも事実なんです。私は2時間ぶっ続けで教えることが多いのですが、2時間よく集中していたりします。(口コミで、私のことをお聞きになったという方の中には、こういう類の話を、小耳にはさまれてたという方もおられるかもしれませんね)

 で、それを踏まえて

「よく集中する子ですね。(性格の)いい子ですね。頭のいい子ですね」

というようなことを申し上げるのですが、親御さんが接しているいつもの本人と違うものですから、驚かれるわけです。

 「ひらがな、漢字が覚えられない」という子も、私の前ではふつうの子並みに覚えてくれます。で、これまた驚かれるのですが、親御さんの目の前では、相変わらず「きちんとしない」「きちんと覚えられない」「10分と集中しない」となるんですね。

 私は、基本的に子供たちをいじくりまわさない、「補助輪」に徹する、本人がじっくり考えているときは待ってあげる、ということをしているのですが、で、その中で、本人が行き詰っているところをピンポイントで教えてあげる、ヒントを与えてあげるということをしていて、覚えるコツ、理解するコツみたいなのを伝えていっているのですが、それが専門(というか、それしか能がない)の人間なので、結果、子供たちが集中するという感じになるのでしょうね。

 私の教え方を一言でいうと、「ポイントを押さえて、本人の手ごたえをじっくりと観察する」という感じでしょうか?

 このポイントを押さえて教えるというのが難しいのかもしれません。そのコツは、このホームページ全体の様々な具体例から感じ取っていただければ、、。(つづく)

 

 

2016年11月15日

 少し気分を変えて 視点余話です。

 今回は、英語のお話です。

 (と言っても、難しい話ではありません。私のホームページの信条は「気楽に読めて、ためになる」ですから、、。子育てでも何でも楽しくなくては、ですね!)

 ちょっとした、日本語と英語の違いです。

 皆さんはsurpriseという単語の訳をご存知ですか?

 「驚く」とおぼえておられる方もおられるかもしれませんね。

 でも、正確には「驚かす」という意味なんです。

 そんなのちょっとした違いではないか?ですって?

 そうなのですが、ここでも「ちょっとした違いが大違い」ということが言えると思うんですね。

 「驚く」は be surprised だということはご存知の方も多いでしょうが、なぜ、「驚く」が受け身(受動態)つまり be +過去分詞になっているのか不思議に思いませんか?私たち日本人からしたら、ずいぶん面倒くさい表現を使っているという感じですよね。

 でも、この面倒くさい表現には、それ相応の理由があり、英語(もしかしたらヨーロッパ語全般)の独特な発想が関係しているように思うんですよね。

 surpriseをはじめ、英語には、日本語では「~させる」という意味の単語は多いのです。

 たとえば、excite(興奮(エキサイト)させる) amaze(驚かす) tire(疲れさせる) などなど。

 で、今私はbe surprisedを代表例として取り上げているわけですけど、これは、直訳すると、「驚かされる」となるんです。

 なぜ、そういう発想になるのか?

 それは、英語が極めて理屈っぽいからでしょう。 

 「自分で勝手に驚くわけないだろ。驚く以上は何者かによって驚かされるんだ。だから、受け身にならなければならない」という発想なのではないかと思うんです。

 ほかには、I was tired.などは「疲れていた」と訳すのですが、やはり「勝手に疲れるわけないだろ。何者かに疲れさせられたんだ。受け身にすべきだ」となるわけです。

 極めつけは、I was born.です。これ、「生まれた」って訳すんですけど、実は、bornはbear(産む)の過去分詞なのですね。ですから、私は自分で産まれてきたわけではなく、だれか(この場合は母親)によって、この世に産み出されたと、いちいち考えたわけですね。だから受け身じゃないとだめだと、、。

 ここまで理屈っぽいって、日本人はおよそ想像できない世界ですよね!

 ほかにも、英語の理屈っぽさを感じさせる事例はいっぱいあるのですが、また機会があれば、ご紹介しますね。

 ここまで読まれた方は、入試でたまに出る「I was (  ).にexciteを適当な形にして入れるとしたら?」的な問題は、簡単に答え出せますよね!(後注:答えはもちろんexcitedです)

 

 

2016年11月22日 

 さて、前々回のお話に戻りますね。

 その前々回のところで、「補助輪」に徹すると書いたくだりがありますが、これについて、少しご説明する必要を感じていますので、少々お付き合いください。

 この「補助輪」に徹するに関しては、私は、以前家庭教師田口の視点(8ページ目)家庭教師田口の視点(42ページ目)で(この42ページ目では、ぜひバナナ事件のお話もお読みいただければ、、きっとご参考になるかと、)書き出したことがあるので、ぜひそこもご参考にしていただければ、と思うのですが、それに追加する感じで、書かせていただきますね。

 「補助輪」という発想は、前に出て引っ張っていくというよりも、後ろからついていって、致命的な場合以外は、極力口を出さずに、見守り声援を送ってあげる感じです。

 親が引っ張っていこうとすると、子供たちは窮屈さを感じるものかと思います。

 自分で考えていって、仮に失敗しても、子供たちは、そこから多くのことを学ぶことができますよね。こういうとき、失敗は失敗でないと言えるかと思います

 何よりも、そういうときの子供たちはより生き生きとするかと、、。仮に厳しい現実であっても、それに体ごとぶち当たっていける(た)ことからくる快感みたいなものがそうさせるのでしょう。また、そういうところから、根性とか粘り強さとかが知らず知らずのうちに身につくのでしょう。

 これが、教育、子育ての面白いところですね!短期的には、マイナスに見えることが長期的には、プラスに作用することがあるのですから、、。

 むしろ、周りの人間ががんばってサポートをして(ときにしすぎて)子供たちが何ものかをうまくやりおおせたとしても、それは表面的には、「成功」かもしれないですが、少なくとも長い目で見たら、失敗かもしれないという認識は必要でしょうね。なぜなら、子供たちは成長しないかもしれないからです。

 子供たちが失敗しながらも、たくましく立ち上がる様子を、喜んで見守ってあげるような余裕があったほうがいいのではないかと思うのですが、いかがでしょう?

 私たちがすべきことは、その子供たちがどうしても先に進めなかったり、知恵や情報が不足しているように見えたりするときに、十分な、あるいは、適当な情報、知恵を与えてあげることくらいで、それ以上の「はからい」は、あまり必要ではない場合が多いと言えるのではないかと、、。

 事態が致命的であれば、あるいは、致命的になりそうであれば、その時のみ、手を差し伸べてあげるという感じで、多少失敗しても、いい勉強になったというくらいのスタンスでしょうか?

 で、子供たちが何ものかをきちんとできたりしたら、少し大げさにでもほめてあげるという感じですね。繰り返し、しつこくほめてあげることですね。私が「補助輪」という言葉で表現したかったのは、こんなところなのですが、どう思われますか?

 これは、勉強を教えるというような場面でも、とても有効な発想かと思います。

 勉強を教える場合も子育ても、がんばって周りが引っ張り上げよう、引っ張っていこうとすると、それをすればするほど、本人も周りもしんどくなったりするものではないかと、、。

 「補助輪」に徹するというのは、このあたりのしんどさを解消し、勉強や子育てをいい方向にもっていく発想の一つのエッセンスを含んでいるのではないかと感じているのですが、、。

 

  

2016年11月29日

 このページの一番上の小さいころ、軽度の知的障害と診断された子という子、実は、家庭教師田口の視点(100ページ目)での一番下の2016年1月25日視点余話での私のドジ話のお宅の子なんです。

 ヘルメットと頭の間に手袋をはさんだまま、つまり、頭の上にある手袋に気づかないまま、ない!ない!と心の中で騒いだ、あのドジ話は、このお宅の帰りに起こったことなんです。

 こういうハプニングは、とても恥ずかしいですが、不思議にいい思い出になるんですよね!??私は、起きてしまったことは仕方ないので、こう思うようにしています。

 次に同じドジを踏まないように気を付けながら、工夫しながら、、。

 たまたま、どういうわけか、門の外を照らすライトがついていなくて(そのお宅の名誉のために申しますと、つけられていなかったことは、このときだけです。いつもはきちんとしていただいているのですよ!)、そんな真っ暗な寒い夜に、私がひとりで、必死になって手袋を探している姿は、ワラけてきますでしょ!

 手袋が頭の上にのっていたと気づいたとき、ほっとした気持ちと「なんて自分は馬鹿なんだ」と思う感情がごちゃまぜになって、なんとも言えない気分になるんですけどね。

 こんなドジは私くらいなものでしょうかね?

 ところで、一般に、軽度の知的障害と診断されたという子のお宅は、私が経験した限りでは、子供たちへの言葉がきついという印象のお宅が多いのですが、このお宅もそんな感じで、とても言い方の厳しいご両親で(私たちには優しいんですけどね)、子供たちに知恵を授けようというよりも、ただただ厳しいという家庭環境で、本人が知的障害にみえるような状況が生じたという可能性も感じています(その逆、つまり、知恵を授けて、(過保護の逆の)守られない環境にできるだけ触れさせて、がんばって乗り切ったら、いい結果を出したら、ほめてあげる、という感じがいいんでしょうけどね)。

 もちろん、ご両親にも、この可能性に関して、説明させていただきました。

 私の仕事の大事な部分は、それから、本人をいかに守るかでもあると、感じていました。つまり、ご両親の厳しい言葉をいかに和らげるか、一方で、物理的過保護(なんでも買ってあげる、口を出しすぎる、というような)をいかに少なくするか、ですね。

 ここでも、「優しい言葉」と「甘くない(厳しい)環境」(家庭教師田口の視点(47ページ目)家庭教師田口の視点(48ページ目)家庭教師田口の視点(74ページ目)参考に)が大事だというのを感じてきていて、本人の成長ぶりに、それを再認識させてもらったという感じです。

 ご両親、ずいぶん変わられたとはいえ、まだ厳しい言葉を言われている感じですけどね。

 人間すぐには変われませんものね。

 私のいうことに耳を傾けてくださるというだけでも、感謝しなくてはいけませんよね。

 ありがとうございます!!

 おかげで、本人はもっともっと賢くなることでしょう。

(次回はページを変えて)

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 















もし、この「視点」全体から、読みたいところを探したいという方は視点目次(サイトマップ)をお使いください。ほとんどあらゆるタイプの頭の子、性格の子をとりあげてきています。かかわりの基本は同じですが、少しずつ、子どもたちによって、かかわりに変化をさせています。きっと、ご自身のお子さんと似た子も発見することでしょう。私が、どういう子にどうかかわって、子どもたちを変えてきたか、成績を上げていったか、などを、具体的に記していっていることがおわかりいただけるかと、、。ぜひご参考に、、、。繰り返し繰り返し読むに耐えうるものにしてあるつもりです。

 

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