家庭教師田口の視点(11ページ目)

2004年4月22日 13:12:56
 閑話休題。突然ですが、さくらさんからのメールです。さくらさんのプライバシーに配慮して、少し私のほうで手を加えさせていただきました。mi-kaさんの掲示板への書き込みこちらを読まれて、お忙しいなか、長々とした、でも、気持ちの入ったメールを送ってくださいました。では、、。


 mi-kaさんのご自分のお子さんについてお話されたこと、ここにたどり着く間、すごくおつらかったことと思います。 
 私も長女を23歳で出産し、若いお母さんと言われながらも、仕事を辞め、育児に専念していました。その時の事を思い出しました。上手に文章が書けませんが、その事をお話させていただきます。
  8ヶ月で突発性発疹を起こしたとき、熱性痙攣(けいれん)が止まらないという症状にわけがわからず、、、、、、。ですが、一つ目の個人の病院で、なかなか見ていただけず、みていただいても、結局どうしようもないとわかり、あわてて大きな病院へ、、。娘の顔を見せて「なんとかしてください」とお願いしたところ、「外来へ早く」といわれ診察をしてくれました。 
 病院の医師や看護婦に、「30分この状態が続いてます」と言ったところ、先生や看護婦さんの表情が、とても険しくなりました。「ここでお待ちください」と、子供と離され、どんな様子かも言われず、先生方が真剣に娘の検査、治療にあたってくれていましたが、私を通り過ぎていき何も言ってもらえず、やはり、凄(すご)い状態で、とんでもない事をしてしまった自分を責め始めていました。泣きながら「どうでしょうか」と我慢できず、きいたところ「なんとも言えません」と言われ、涙が止まりませんでした。病室でも、意識は戻らず、ただ待つしかありませんでした。意識が戻ったのは12時間後でした。
 目を覚ました娘は、点滴されている腕を私に見せて、「痛いよ」っと言っているようでした。
 意識が戻ったことがうれしくて、すぐナースコールで呼んだところ、医師がすぐ来てくれて、娘の様子を見て「知能は大丈夫だね。良かったね。」と言って笑ってくれました。 
 数日後、「東京から来た、脳神経専門の先生がお話があります」と言われ、子供を抱き個室でお話を聞きました。
 その内容は、この未熟な私にすごいものでした。
 「まず、これから毎月、病院の指示通り診察にくる事、抗痙攣剤を毎日2回飲み続ける事、脳波の検査を年に2回すること、血液、尿は毎月検査、何年かかるかわかれません、頑張りましょう」という内容でした。
 娘の痙攣の原因は、1.高熱 2.遺伝性 3.(前の病院で、すぐにみてもらえなくて、この病院に連れてくるまでが)長時間だった 4.半身痙攣の疑い(看護婦の診断)、5.脳波に異常あり でした。3,4,5番に問題があると言われ、何日か自分を責めていました。こんなママでごめんねと、何度も言ってしまいました。
 でも私は親として、治るか分からないこの子に責任を持って行く事、泣いてばかりいてはいけないと、毎日、医師の指示通りに従いました。
 そして、くよくよせず、散歩をしてきれいな花を見たり、笑ったり、毎日娘といる時間を大切にすることを自然にできるようになりました。
 ですが、また2歳で痙攣をおこしました。指示の通り、座薬を入れ、救急車を呼びました。
 もう泣きません、育児書もすべて読み勉強もしたし、この子は私が守る、と決めました。自分の母親にも「来なくていいよ。すぐ退院できるから」と自分も強くなってきました。
 薬のせいか夜中に目をさまし、2歳でビデオの再生をしてしまうので、突然夜中に「それいけ、アンパンマン」なんて始まり、娘とアンパンマンのビデオを見る毎日が続きます。 
 3歳の幼稚園入園が近くなった頃、近所のお子さんはみんな入園申し込みを始めていましたが、私は悩んでいました。薬の事、熱がまたでたときのこと、それと他のお子さんより後れがある(運動面が特に)、、、。
 悩んだ末に幼稚園に相談に行ったところ園長先生が「お母さん、心配しないで預けて下さい。薬を持たせてください。 後れは、学校入学までには並びますよ。」とのこと。A(娘さんの名です。Aに変えさせていただきました:田口注)もそれを一緒に聞いていてうれしそうでした。
 入園を決め、Aの1回目の自立です。最初の1週間は「ママ、ママ」と泣いていましたが、楽しく、元気に行き始めました。 
 4歳ではピアノを習い、子供の成長する意欲のすごさを感じました。
 私の父が亡くなり、娘は私をなぐさめてくれる優しい子に成長しました。妹も生まれ、お姉さんらしく、妹の面倒もみられるようになり、脳波の異常がうそのようでした。でもまだ薬づけの日々ですが量は少なめになってきました。 
 5歳の運動会では、縄跳び走りができなく、前日までできないのは我が子だけ、でも何度も何度も練習する娘がかわいそうで、「明日できなかったら引きずって走っちゃいな」と言ってしまいました。
 先生にも、「うちの子無理みたいです。」とあきらめた言葉を言ったところ、「何言ってんの、大丈夫明日できるよ。 Aちゃんちっとも遅れてないよ。就学テストだって満点なのよ。あの子はコツさえつかめば」と、、、、。そして当日、彼女はきれいに跳(と)んで私たちの前を過ぎていきました。涙がでました。あの場面は今でもそのまま思い出せるほど私の記憶に鮮明に残っています。
 小学校に入学前の診察結果は脳波に異常なし、医師からは「もうこなくていいよ」といっけん冷たいようで、温かい言葉でした。いろんな人に支えられ、励まされ、ほんとに育児は大変でしたが、乗り越えてこられました。目に見えないなにかも(父かな)支えてくれてたのだと思います。奇跡がおこった、そんな気持ちでした。
 そして、今の私と娘はいます。娘が私を育ててくれた、今はそう思えます。毎日を大切にすることを娘から教えてもらいました。
 今、辛い治療(睡眠薬を飲み脳波の検査など)に耐えたAは、「看護婦になりたい」という夢を持っています。
 今度は人の為に働ける人になりたいと、言っています。だから夢を叶える手伝いをしたいと思っています。
 いろんなつらい経験を積まずに、自信は生まれないものと思いますから、これからも、まだまだ日々親子で勉強です。 
 きっと、楽しい思い出がこれから先、mi-kaさん親子にもまっています。
 子供との経験はすべて宝物になる日がくる事と思います。 
 田口先生のおっしゃる通り、医学の進歩はすごいですね。そして、それ以上に子供の成長する力もすごいですね。 
 うまく言えませんが、mi-kaさんを応援しています。mi-kaさんのお話から、mi-kaさんの心の美しさが伝わってきました。 
 田口先生、これからもよろしくお願いします。最近夜でも大丈夫みたいですが、どうですか。
 


 幼いころ、大過なくすごした子よりも、こういう子のほうが、しっかりした子に育つのかもしれません。もちろん、こんな経験は、誰もしたくはありませんが、、。何もかも恵まれ、苦しむ経験も少なく育った子が、長い目で見て幸せとは限らない、という例を、私は、いっぱい見てきています。私自身も、生まれつき、足がおかしく、いつまでも立ち上がれず、医者から、もうだめ、といわれて、奇跡的に治った人間です。そのときの私の母の気持ちは、きっとこんなだったろうなあって、感慨深いです。私自身の記憶にはないのですが、、。

2004年4月30日 1:59:24
 よく、子供に対して、ハングリー精神がないな、という親御さんがいらっしゃいます。でも、そういう風にハングリー精神のない子に育ててしまったのは、もしかしたら、その親御さんご本人かもしれないということも理解しなくてはいけないとも思います。小さいときから、大きくなれよぉとばかりに、有り余るほどのご飯を与え(それで本当に大きくなるのでしょうか?私は専門家でないからわかりません。素人考えでは、必要以上に食べ物を与えるのは、身長よりも、横幅を大きくしてしまうのではないかと思いますが、、)、ほしくないといっても、食べろとばかりに、飽食を味あわせる、そんな環境で育った子が、ハングリー精神を持てっていわれても難しくはないかと思ったりします。
 昔ある経営者が、お孫さんをみて、厳密に言うと、お孫さんの食べている様子を見て、社長の器でない、と判断し、嘆かれた、というのを読んだことがあります。そのお孫さんは、そのとき、まだ小学生くらいの年齢だったと思いますが、食事中、取れるだけの食べ物を、自分のところにとって、しょうゆ皿に、たっぷりとしょうゆを入れたらしいのです。で、結局、その一部しか、食べずに、無駄にしてしまったらしいんです。自分の取り分も予想できないやつはだめだ、というのが、その社長さんの見方でした。もうかなり前のことだったので、そのお孫さんのその後の話は、忘れてしまいました(確か、この経営者のご判断が正しかったことをうらずけるようなことになったと思います)が、なかなか鋭い観察だと思いました。
 ちょっと食べて、もういらん、という子、私が教えている子にもいましたが、好きなことには、集中できても、きらいなこと、苦手なこと、には、あまり長く集中できなかったように思います。
 苗のとき、踏まれた麦は、しっかりと成長する、というのを、読んだ覚えがありますが、子供にも、これと同じようなことがいえると思います。空腹も時には、人間の精神的な成長に欠かせないのではないかとも思います。

2004年5月6日 15:12:18
 さきほど、ある出版社のかたと、電話でお話しました。で、できたら、本をもう1冊出版したいと、改めて思うようになりました。私の本業は、あくまで、家庭教師なので、その合間に、こつこつと書きためていこうかと思っています。
 
2004年5月8日 0:45:25
 先日、「1年後、弟のほうもよろしく」と、あるお宅からいわれました。長男の子を教えているお宅です。私の教えているお宅は、私のホームページをまったくご覧にならないお宅と、よく見られるお宅に、はっきりと分かれるのですが、このお母さん、よくご覧になるお母さんで、そういう方からもきびしい(?)チェックが入っていると思うと、身の引き締まる思いです。うそはかけないですもんね。

2004年5月12日 3:43:03
 好きな人。今日は大ちゃんのお話をしましょう。大ちゃんの登場はセンセーショナルでした。だって、掲示板で、いきなり、
1.田口先生って、セクシーな娘とキュートな娘、どっちがタイプ?

2.田口先生って、すき家と吉野家、どっち派?

3.田口先生って、体育会系?それとも文化系?

4.田口先生って、女子の教え子さんにコクられたことありますか?

5.田口先生って、お休みの日どう過ごしてるんですか?

という質問してくるのですから、。

 これに、長通先生をはじめとした皆さん、丁寧に答えてくださいました。もちろん私も答えましたけど、、。ドキッとしますよね。こんな質問されたら、、。先日も、メールで、「トリビアな話」と題して、

関取になった直後に、自分でちょんまげを切って丸坊主になってしまった力士がいる。

81へぇ(推定)

というのを送ってきました。
私が、
「ほんと?怒られなかった?」
と送り返したら、

インターネットで「関取名鑑」を検索して、「力士名別」から「八龍鉄右衛門(はちりゅうてつえもん)」を調べれば、その人の経歴詳細や、ちょんまげを切るに到った経緯が分かりますよ。
怒られたかどうかはボクにはわかりません、何しろ昔の人なので…。

とのご返答。大ちゃんの意図はよくわかりませんが、こういう友達がいてありがたいなあと思ったりしています。このホームページのおかげで、少しずついい友達ができてきているのを感じます。でもまさか、大ちゃんというコンビニの店長と出会えるとは、、。まさに、縁は、異なものおつなもの(味なもの)ですね。大ちゃんのメールは、一服の清涼剤みたいな感じです。大ちゃん、これからも、いつまでもよろしく!!

2004年5月20日 14:16:40
 さて、今日は、戦術と戦略のお話をいたしましょう。といっても難しいお話をするつもりはありません(いや、難しいかもしれませんから、心してお読みください)。きっと皆さんのご参考になることかと思います。戦術と戦略の違いわかりますでしょうか?
 例によって、辞書を調べてみましたが、ここでその辞書的な定義を書き出しても、きっと何のことやらお分かりにならないのではと思います。で、私の定義をいたしましょう。戦術とは、個々の場面で、短期的にうまいことする、ということです。戦略とは,長い目で見ていい線いく、ということです。私は、このいい線いく、という感じは大事だと思います。戦術で(つまり短期的に)成功して、戦略で(長い目で見て)失敗する、というのはよくあります。
 最近いい例がありますね。アメリカを主力とする軍による、イラク戦争です。アメリカは戦争そのものでは、圧倒的に、イラクを負かしましたね。これは戦術で勝ったということです。でも、今苦しんでいますね。この様子は連日報道されていますから、改めて申し上げるまでもないでしょう。こんなことなら戦争しなければ、よかったと、思っている人たちも多いのではないでしょうか?これは、戦略の失敗ですね。「個々の戦いそのものではうまくいくけど、全体としてみたら、かえってうまくいかなかった」、こういうことはよくあることですね。
 ほかの例を挙げましょうか。
 歴史上で、よく比較されるのが、信長、秀吉、家康ですね。戦術という点では、最初の二人は、天才的でした。でも、最終的に天下を取ったのは、家康でしたね。偶然ではないかもしれません。家康は、見方ヶ原(みかたがはら)で、信玄に蹴(け)散らされるなど、負け戦も結構味わっています。むしろ、勝ち戦のほうが、少なかったのでは、という方もおられます。でも、最後に天下を治めたのが、家康というところが面白いですね。中学受験に失敗して、高校受験でも悔しい思いをして、でも、大学受験で、花開いた、という感じでしょうか?
 家康は、3人の中で、一番若いから、という方もおられるでしょう。でも、信長や秀吉の息子たちは、いずれもその後の政権を維持できなかった、というのもあり、ただ単に若かったから、というのでもないような気もしています。先の二人は、子育てという観点では、凡庸(ぼんよう)だったといえるとおもいます。一方、家康は、子育てにも一日(いちじつ)の長があり、いろいろ調べてみると、長期戦略において、非常に優れていたように思います。それは、江戸幕府という、250年ほど続いた、強固な武家政権の礎(いしずえ)が、彼によって作られた、ということからしても、この人のえらさがわかります。この人のすごいのは、天才的なひらめきというよりも、天才的不屈さ(胆力)と人から学ぼうという意志、そして何よりも長生きをしたことでしょう。これについては、詳しく語ると、時間がいくらあっても足りないのでやめますが、、、。
 実は、私は、教育においても、戦略がとても大事だと思っています。戦術で勝つということは、個々のテストでいい点を取るということです。戦略で勝つとは、長い目で見て、幸せな人生を送ることです。まあ、私がかかわる部分で言えば、本人の希望する大学に受かって、納得のいく人生を歩めるというあたりでしょうか?
 たとえば、中学受験に合格する、とか、高校受験に合格するとかいうのは、大学を志望している子ですと、最終のゴールではないですよね。私なんか、大学に入ること自体も、最終目標とは思わず、むしろ、大学で、何を学ぶか、こちらのほうが大事だと思っていました。何しろ、遊ぶにしろ、勉強するにしろ、短いですからね。大学生活は、、。
 まあそれはともかくとして、私が見聞きしてきた子のなかには、途中で、つまり、大学に受かる前に、ある時期から、やる気を失って、結局何のために、中学に受かったのか、あるいは、高校に受かったのか、という結果になる子がいます。そういう子は、戦略的思考が、その子にかかわる人たちになかったことが原因かも、と思ったりします。
 戦略的思考、難しく書きましたけど、要は、長い目でどう子供とかかわれるか、ということでしょうか。あるいは、子供でいうと、長い目で物事を考えられる子になっているか、ということになるかと思います。
 そういえば、私なんか、本、増刷してもらえない状態が続いているわけですよね。これ、むちゃくちゃイメージダウンですよね(イメージアップかな?売れているということだから、、)。私自身は、まったく変わっていないのに、、。こちらが妥協すれば、すぐにも増刷してくれそうなんですけど、ほかの出版社に問い合わせたりしたら、「それはおかしい」ということばかり、、、。私自身は、この世界がよくわからないので、どなたが正しいと言うつもりもありません。ただ、私の普通の感覚でも、理解できるように、と求めているのですが、納得がいきません。あちらはあちらで論理があるみたいなのですが、とにかく、私とは、違う論理で、動いていることは確かみたいで、その論理を知りたいと思っています。
 で、ほかの方でしたら、目先、本が出ていないなんて、イメージ悪いし(むしろ「品切れ」って、かっこいいかも?)、てなことで、妥協するのでしょうが、私は、これは、長い目で見て、こちらにとっても、あちらにとってもよくない、と思われるので、説明を求め続けています。掲示板でおなじみの「祐」さんをはじめ本を買えない方からしたら、ご迷惑な話かもしれませんが、、。ほかの出版社で、「うちから改訂版を出されたほうがいい」とすすめてくださるところもありますけど、すこし、話し合っていこうと、今は思っています。目先よさそうなことのために、先々の禍根を残さないように、、。私の本は、短期的に爆発的に売れるということはない(いや、いずれ火がつくかもと、ひそかに思っています)かもしれませんが、長期的には、コンスタントに売れている本です。こういう本こそ大事にしてほしいですよね。私の「心」の入った本なのですから、、。
 
 話を、受験に戻しましょう。中学受験で、あるいは、高校受験で、合格したことが、仮にあったとして、その子たちが、それで息切れしてしまうと、つまり、その目標を達したとたんにやる気を失ってしまうと、最終的には、つまり、戦略的には、それは、失敗だったということになるかもしれません。それを防ぐには、子供さんに、長い先々の視点、視線を、具体的な形で、示しておくことでしょう。中学受験にがんばっている子に、「中学に入ったら、のんびりできるから、、」みたいなことをいわれて、本当に、志望校に入ったら子供さんにのんびりされて困った、という話もあります。中学に入ったらのんびりできるというのは、事実とは異なる場合が多いと思うのですが、、。

2004年5月23日 13:16:04
 (つづき)ちなみに、私は、受験に受かることと同じくらいに、受験に受かった後のことを、視野に入れて、子供たちには、語りかけていきます。実際大半の子が、受験に受かった後にも、やる気を持続してくれています。不思議なことに、中学に入ってからも、高校に入ってからも厳しいということを伝えたからといって、目先の受験にやる気を失う子は少ないです。もちろんその語りかけ方にも工夫が必要ですが、、。それこそ、私の「魔法」の発揮のしどころですね。
 そういえば、「魔法」のお母さんのお宅の子(この「視点」を丁寧にお読みになっている方はお分かりでしょう)、いまだにやる気満々です。私のほうとしては、わからないところは、全教科にわたって、すべてなくして、やったらやっただけ点が取れるようにしてあげるつもりです。典型的な受験校ですから、進みが異様に速いのですが、彼女が、私を信頼してくれる、その信頼にこたえていくつもりです。今、高1で、ほとんど、遊ぶ暇もないくらいがんばっている彼女(お母さんによると、中学時代とはずいぶん違うようです)、それをそうさせてしまったのは、私ですし、私は、それに、心から、応えてあげる義務があると感じています。心から、、、。
 心から、、。私は、この言葉が好きです。ちなみに、私は、教えるに当たって契約書みたいなものを交わしたりしていません。私の教え方、私のかかわり方が、契約書だと思っています(もとより契約書を作りたくないということではありません。今のところ、たまたまそういうものを要求してこられる方がおられないということです。どこでも、そんな感じとは思いますが、、)。私は、事前にお金をいただきません。それは、信じられなかったら、いつでもおやめいただいて、結構です、という私のシグナルです。幸い、おやめになる方が、ほとんどいないので、私は、年々少しずつ忙しくなっていっているのですが、、。この調子で、年末になると、どうなるのでしょうか?まあ、毎年年末が忙しくなるのは、慣れっこには、なっていますし、暇より、忙しいほうがいいに決まってますしね。、、、。

2004年6月9日 10:07:12
 すこし間が開いて、すいませんでした。仕事上よんどころない事情があり、こちらに手を抜かざるをえませんでした。無理して、体を壊すのが、一番よくない、と肝に銘じているものですから、ご了解ください。仕事だけには、手を抜きませんが、それ以外には、いざとなったら、「ずぼら」になるようにしています。

 先日長通先生から、あるメールをいただきました。そのコメントで、最近、なるほどと思ったことがあります。
 先生はたしか、ご自分を「先生と呼ばせないこと」というのを、考えてられるようです。これは、ひとつの見識ですね。私はこれについては、きわめていい加減ですけど(つまり、呼びたいように呼ばせているのですが)、精神はよく理解できます。「先生」と呼ばれることの危険性には、常々、注意していたものですから、、。「先生」と呼ばれたとき、あるいは、呼ばれ続けたとき、自分は偉いんだという錯覚に陥りかねないですしね。「先生」という言葉は、知らず知らずに、私たちに、そんな魔術をかけているのかもしれません。時に、それを子供は、敏感に感じ取ったりするようにも思ったりしています。このことを、私たちは、肝に銘じておかなくてはならないでしょう。
 たとえば、2,3人程度教えた経験は、私からしたら、ほんのわずかな経験に思えるのですが、でも、それで、きわめて自信をもたれておられる方がいます。こういう方は少ないと思いますが、、。でも、よくよく聞いて見ますと、言っておられることは、教え子に対する悪口に終始、というのもめずらしくありません。自信があるから、いえる言葉でもあるでしょう。ご自分はちゃんとやっている、でも、この子が、、。でも、こんな論調は、自己弁護にはなるかもしれませんが、自分の能力の上昇には結びつかないでしょう。厳しい言い方でしょうか?これは、自戒の意味も込めてはいるのですが、、。なぜなら、自分だって、まだまだ、と思っていることはあるのですから、、。正直、ほとんどすべてのタイプの子に出会ってきたのではないか、と思っています。それでも、子供の心の動きが、読めない場合があります。で、そのとき、私は、自分の今までの経験が、役立たないかもしれないと思ったりします。むしろ、今までの経験を捨てて、虚心に教え子に向かうしかないと思ったりすることがあります。多くの子供たちと接して、こういうことに、初めて気づく、というのも面白いですね。家庭教師は、奥深いです。どんな仕事もそうなのでしょうが、、。
 いや、むしろ、子供と接する、ということ自体が、奥深いことなのかもしれません。一人家庭教師に限らず、ご家庭のご両親などでも、「私は悪くない、でもこの子が、、」的な論調で語られる方はおられます。具体的に質問していくと、あるいは、子供の話を聞くと、やはり、親御さんにも問題があるのでは、と思われることはあります。でも、それを指摘しても、ご自分を、一方的に非難されているととられ、なかなか認めてくださらない方がいらっしゃるのも現実です。先日も、ある方に、お子さんに対する「やりすぎ、言い過ぎ」と思われることを、できるだけ、お気持ちに配慮して、申し上げたのですが、あの方は、それを、勘よく受け取られて、「反省」されたようですが、むしろ、そういう方のほうが、少ないかもしれません。一般的には、ともかく、いざご自分が、問題点と思われる点を指摘されると、「自分は悪くない」的発想で、返答される方は意外に多いです。そういう方が、私と同じ視点に立って考えていただくために、私は、時間をおくこともしばしばです。いずれ、再び、同じ場面に至るとき、親御さんは、すこし私の視点に歩み寄ってくださっていたりすることがあります。だから、先方が、私の言うことを理解しても、「自分には、当てはまらない」と感じていると思われるとき、私は、それ以上強く言ったりしないこともあります。くるときが来れば、わかっていただける、というようにも思えるからです。第一、私のほうが、間違っていることもあるかもしれませんし、、。
 私も、実は、他人から、自分の非を指摘されたら、そうなるかな(つまり、「自分は悪くない」と言い張るかな)、とも思っています。素直に受け取れるか、自信がありません。ですから、先ほどの長通先生のご指摘を、改めてかみしめたわけです。
 たとえば、子供が「お母さんには、ほめられたことがない」といっているとき、お母さんが、「そんなことはない。私はほめています」とおっしゃったとします。実は、よくある事象なのですが、これは、どちらが正しいのでしょう?お母さんからしたら、きちんとほめている、というわけでしょうが、でも、子供が、ほめてもらっていると感じていないのです。これは、どのあたりから来ると思われますか?
 私の意見を言わせていただきますと、子供がほめられていると感じていないことのほうが大事なことではないかと思います。正直、親がほめていると思っているかいないないかは、この際どうでもいいようにさえおもいます。
 たとえば、ほめたあとに、「でもね、これこれはできていないしね」見たいな言葉ががついてきたら、ほめてもらったと、子供が感じるでしょうか?英語はよくできたね。でも、数学がね、、。前よりよくできたね。でも、○○くんは、もっとできたみたいよ。この「でも」をつけたら、子供によっては、自分の努力を否定されたととらえることでしょう。でも、親御さんは、ほめたと思うわけです。100点を取らなければ、ほめない親御さんというのもあるそうですね。これ自体は、親御さんの子供に対する期待の強さを表しているわけですが、でも、ご自分が、そのようにいわれたら、どうでしょう。それについていける子供はよいですが、なかには、ついていけない子供さんもいるということは、頭の片隅においておいたほうがいいかもしれません。初め、その親御さんの態度に疑問を持たなかった子供も、ある年になると、露骨に、反発してきたりします。そのとき、「あれ?」って思うわけですね。私はきちんとしている、ちゃんと接している、でもなぜ?って、、。ただひとつ、子供が、激しく、親に反発していることだけは確かだったりします。そのとき、親が、子供の視点から、自分の行動を見直さない限り、いい結果は生まないように思います。

 長通先生のお話に戻しますね。最近思うんですけど、英語で、先生を呼ぶときMr.で呼びますよね。グリーン先生だったら、Mr.Greenとなるわけでしょ。でも、日本語に訳すと、どうしても、この場合、Mr.は、「先生」という訳になってしまうわけですよね。Mr.と「先生」、この差は大きいように思います。このあたりの考察もしてみると面白そうですね。日本人は、教えるという行為をとても尊重してきた民族なのでしょうね。一時期、学校の先生の仕事を、「聖職」扱いしていたこともあったらしいですし、、。先ほども書きましたように、私は、そのあたり(先生と呼ばせるかいなかについて)いい加減ですが、でも、時々先生と呼ばれて、「えっ?自分のこと?」と思うことがあります。今はずいぶん慣れてきましたけど、この長通先生のコメントなどいただくと、「なれてしまっていいのか」という気になったりします。これに慣れてしまう危険性を認識しなくてはいけないでしょう。
 長通先生は「自分がうまく行った学習方法を押し付けないこと」とも書かれていました。そう、数人の経験で、うまくいったとして、それが必ずしも、すべての子には、通用しないということも、知らなくてはいけないと思います。それこそ、「先生」の知らず知らずの傲慢が行き着く先でしょう。自戒の念もこめて、、。

2004年6月15日 14:33:23
 閑話休題。さて、もうずうっと前のことなんですけど、今頃の季節になると、思い出すことがあります。私は、自慢じゃないですけど、めったに蚊に刺されないんです。まあ、1年に1回刺されるか、刺されないかでしょう。もちろん私なりに工夫をしているわけで、私のノウハウは、勉強だけでもないわけです。先日も、私は、別の教え子から、「歩く辞書」といわれました。そこまでは、まだまだですが、その子からみるとそうなんでしょう。それはともかく、、蚊に関しては、うるさい人間なので、自慢げに、教え子に言うことがあるわけです。蚊に刺されるようじゃ、まだまだだなって。
 まあ、こういう、自慢するほどのことでもないところで、自慢するのが、一番平和ですよね。
 で、話を進めましょう。あるとき、教え子の一人が、しょっちゅう蚊に刺されるみたいなことを言っていました。蚊に刺されて、かゆくて勉強できないと、、。それは困ったことですね。で、例によって、その手の権威と、自分で勝手に思っている私は、「どこを刺されたのか。いつ刺されたのか」など、診察まがいの質問をするわけです。で、結論を出しました。
「それは(つまり蚊は)ね、まだ部屋にいるね。いる可能性が高いよ」
「どうして?」
「だって、君が寝てから刺されることが多いんでしょ。それに、その鼻の頭を刺されるの、みっともないけど、蚊が一枚上手だ、ということを示しているね。今どこかに潜(ひそ)んでるかもよ」
「で、どうすんの?」
「蚊を殺すの」
「どうやって?」
「キンチョウリキッドみたいなので」
「いつ?」
「いま、それない?」
「それっぽいのある」
といって、彼が持ってきてくれたの(携帯用のでした)を使って、まず部屋の周囲をきちんと、窓とか閉めて、それを焚(た)きだしました。案の定(じょう)、しばらくすると、にっくき蚊が現れました。すでに、あれは、苦しくなっているので、ひょろひょろと出てくるわけです。前後不覚になっていますから、簡単に、手で、パシッと殺せます。その間、5分くらいは、もちろん、こちらは勉強するわけです。そうしているうちに絶対出てくると、私は踏んでいました。読みどおりだったわけです。
「どう?」
そういって、私は、もう一言自慢しときました。
「大体、蚊に刺されるようじゃ、だめだよ。アホが蚊に刺されるんだよ。すこしは工夫しいや。エヘン!!(エヘンとは実際には言わなかったけど、こんな感じ。仮に声に出すなら、すこしユーモアを入れて言っていたと思います)」
 それで、その場はおさまりました。で、別の日、そのお宅におじゃましているときに、お母さんとすこしお話をする機会がありました。そのとき、一応、その彼の話をして、
「工夫が足りない、アホが蚊に刺される、といっておきましたし、、」と申し上げました。
 と、そのとき、そのお母さんが、笑いながら一言。私は、まったく予期していなかったんですけど、すこし考えれば、わかりそうな返答が返ってきました。もうおわかりですよね。
「私もよく刺されるんですけど、アホでしょうか?」
もとより、かれこれ、6年、3人のお子さんを続けて、教えてきているので、気心の知れているお母さんなので、笑いながらではありますが、すこし、肝を冷やされました。前もどこかで、こんな失敗書きましたね。冬のアイスクリーム事件でしたっけ。これで2度目。2度あることは、3度ある?、、、まさか、、(汗)。
 
 なお、お分かりのことかとおもいますが、アホという言葉は、とても危険な言葉なので、あまりおすすめできません。ただ、私が、こちらで使って、大きなトラブルに見舞われなかったのも事実で、アホという言葉が、関西では、トーンによっては、とても親しみを持ちうる言葉、であるせいかもしれないと思ったりしています。正直、「馬鹿」とか「たわけ(名古屋のあたりではよく使われていました)」はこんなときに使う気が、私はまったくしません。関西では、「アホ」を連発する人が、時々いますが、それが、決していやみっぽくない場合も多いようです。大阪の影響を受けている土地柄のせいだと思います。ですが、よそで、私のまねをされないように、、。私のまねをされて、失敗しても責任は負いかねますよ。

2004年6月28日 14:23:11
 また、ちょっと遅れてしまいましたね。毎週毎週、時々は、ずぼらをしながら、結構まじめに書いているほうかと思いますが、どんなものでしょう。書きたいことは、今の5倍くらいあるのです。急いであわてて、というのは、私のやり方ではないので、のんびり書かせていただきます。「5倍くらい」というと、驚かれる方がいますが、能力目いっぱいというのは、私はよくないと考えているほうなので、この家庭教師と同様、これが、私のいつものスタンスです。
  何事も、余裕がなければ、と思っています。
 本田宗一郎という、ホンダという自動車メーカーをつくった方が、「80キロがせいぜいの車で、80キロぎりぎり走り続けるのはよくない。150キロ走れる車で、80キロ走るのがいい」というようなことをいわれていましたが、これは、確か、人生にもたとえていわれていたようです。最初私は何を言われているのかわかりませんでした。車でも何でも、能力の限界を続けていると長続きしないということだと、あとでわかりました。なかなかうまいことを言われているなあと思いませんか?
 ところで、私は、仕事で、無理してるのでしょうか?私自身、先日、朝10時から夜中の12時過ぎまで、12時間以上ほとんどずっと仕事でした。でも、好きな仕事ですから、すこしも苦になりません。頭がパンクしない?と言われた方もいます。私は、家庭教師馬鹿なのです。ある塾の、私の面識のない方(あちらは、一方的に私のことを知ってられた)が、私のことを、「スーパー家庭教師」とよんでられるらしいですが、それは、正確ではないと思っています。うれしいお言葉ではありますが、、。私は、いろんな意味で、家庭教師馬鹿であり、それを突き詰めるところまで突き詰めていこうと思っています。とにかく、能力を、限界まで高めようと、思っています。
(このあとは、すこし難しくなります。心してお読みください)
 さきほど、書きたいことは5倍くらいあるといいましたが、書けることは、無限にあるでしょう。ただ、たとえば、古文の「小技(こわざ)集」など書いても、興味のおありの方は少ないでしょう。現国のこつを具体的に教えるとなると、膨大な紙面を割くことになりそうです。ですから、あまり、こういうことには触れないようにしておきます。
 先日も、現国の記述の答え方がわからないというので、説明してあげたのですが、その子は、かなり惜しいところまで行くのですが、本文に書いているところから想像していないで、「踏み込みすぎ」てしまうのです。こつを説明してあげたら、ものすごく喜んでいました。今までになかった視点なのでしょう。かわいそうに、誰も教えてこなかったのですね。学校などで、、。確かに教えないですよね。入試問題の解き方、現国に関しては、、。みんなセンスで解いていますもんね。確かに、読書量の多い子にはかなわないみたいなものあるけど、それで終わっては、私たちの立つ瀬はありませんよね。
 現国の記述問題と小論文は、似て非なる、いわば、対極的な問題なのです。記述は自由に書けないんです。でも、無意識のうちに、自分の考えで書いてしまう人がいるんです。小論文は、自由に書いていいんです。きわめて空想的なことを書いていい場合もあります。でも、みんな、こんなことを書いていいのかな、と思ってしまうんです。こんなこと?というところからはじめて、ものすごく説得力のある文章を書いたりすると、本人は、こんなものでいいんだ、と思うわけです。
 たとえば、「未来の携帯電話」というので、課題が与えられた子がいます(与えたのは私ですが、、入試対策のためです)。その子は、老人のために、杖が携帯電話になったら、と考えました。で、書き始めたのですが、途中で断念してしまいました。そんなの、やっぱ、実現不可能だし、、というわけです。でも、私から言わせれば、荒唐無稽(こうとうむけい)でも、新鮮な視点をこそ問題製作者は求めているのでは、と思います。実現可能であるが、ごくありふれたものなど、求めているわけがありません。読んでてつまらないでしょ。荒削りでも、発想豊かなものを求めているのではないでしょうか?学生に瑕疵(かし)のない、緻密な設計図を期待しているわけがありません。
 で、思い切って、杖の形をした携帯電話を、私なりの発想で、書き上げてみました。
 たとえば、老人にとって、杖が携帯電話だったら、どういうメリットがあると思いますか?
 私は、こう考えました。それを、GPSにつなげたら、老人が今どこで何をしているか、とらえることができますよね。杖が、規則正しく動いていたら、今老人が歩いているだろう、とか、杖がまったく動かず、1時間以上経過したら、何かあったかもしれない、とか、、、。老人の動きを杖の動きでとらえることができるんです。それだけ、杖は、老人と一体になっているのではないでしょうか?少なくとも、外出時は、、。また杖でしたら、老人が、もって行き忘れるということが、まず考えられない、ですね。だって、その老人は杖なしでは歩けないかもしれないので、、。ただの携帯電話だと、持ち忘れは、十分考えられますでしょ。でも、いつももたずにいられない杖を忘れる方はいませんよね。これは、杖のメリットですよね。こんなことを書けば、俄然(がぜん)面白い携帯電話ができるわけです。ほかに、いくつもアイデアをだせないか、と私がいったら、なかなか思いつかないというので、私のほうから「あごに組み入れる携帯電話」、「補聴器が携帯電話」など、いくらでもだせるということを示しました。あごに携帯を入れるだなんて、突拍子もない発想のように見えるかもしれませんが、将来,あるかもしれませんよ。そんなの、私が、ぽんぽんと提案していくと、だんだん本人は、書けそうだ、と思ってくるわけです。
 その子は、実際の入試で、その大学から、高い評価を受け、大学の入試問題の解答のサンプルとして、パンフレットに掲載されたそうです。もちろん、実際の入試問題は、「携帯電話」ではなかったと思いますよ。でも、「携帯電話」で、何十と空想したことが生きたんだと思います。
 空想して、彼、彼女が書けない、というところから、出発して、すらすらと、10分から30分で、書きおおせてしまう、そうしたときに、本人たちに驚きがあり、自分ももしかしたら、と思わせるところがあるのだと思います。
 プロとは、人がなかなかできそうにもないと、思っていることを、苦もなくしてしまう人ということだと思います。

 少し上のことを、繰り返すようですが、いつも思うのですが、現国ほど、学校の授業と実際の入試問題がかけ離れているものはありませんね。皆さんはどう思われるでしょう。いったいなぜなのでしょう?
 今の国語の授業、多くが、わかった、国語力がついた、というものになっていないと、思うのですが、、。それは、数学や物理の授業のように、答えとして、すっきりと見える部分を、教える側が、示しつつ、授業をしていないからだと、思います。


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